福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

高野山参拝記

2017-12-03 | 頂いた現実の霊験
昨日数か月ぶりに高野山参拝をしてき帰ってました。
ときどき高野山へお参りして奥の院の御大師様を拝んで、師僧・自家の墓参りもしないと日々の低次元情報に流されて自分に活が入らないのです。
今回も朝5時過ぎに一の橋から参道を歩きお参りしました。一の橋の巨大手水の柄杓が前日のお参りの人々が乱雑に放置したままになっているのを綺麗に直して、一の橋では膝を着いて拝みました。8年前に太龍寺で求聞持を行じた時も朝2時前、舎心ヶ嶽での参拝行が終わった後に石段を上る時、途中にある手水の柄杓が乱れているのを毎朝直したことがあるのを思いだしました。当時も、なんの善行も出来てないのでせめてこれくらいの微善行はさせていただかないと‥と思っていたのを思い出します。

今回は参道の灯篭はすべて灯がともっていて道を照らしてくれています。前回のように真っ暗な中を手探りで摺り足で歩く必要はありませんでした、有難いことです。さすがに12月で寒いためか参道では誰にも会いませんでした、しかしご御廟につくと背の高い白人の男性が熱心に拝んでいます。不思議な気がしました、が考えると外人の真言僧侶もいるのですからこうして朝早くから拝んでいる外人がいても不思議ではないのでしょう。この人は前世は高野山の修行僧だったのかもしれません。

自分も早速土下座して理趣経をこころゆくまで読誦しました、しかしやはり指先が凍えるようです、冷たくてなかなかお経に集中できません、修行がまだまだ足りないと思い知らされます。

前回も御大師様の衆生済度の端の端の端でもお手伝いできますように、とお参りしたのですが、あれから数か月たってもなんらお手伝いらしきことはできる気配もありません。慙愧に絶えない気持ちです。つくつ゛く御大師様のお言葉のように、「自利利他は一体」利他心のみ少しばかりあっても自行が伴わなければ利他行もできないのだということを思い知ります。お経が終わり顔を挙げると御廟の巨木の間がかすかに明るくなってきます。この瞬間が大好きです。

帰りに寄った参道の師僧のお墓には杉の葉が積もっています。数か月まえに掃除したのですが杉の巨木がそびえていて絶え間なく杉の葉を降らせているのです。「掃苔」ではなく「掃杉」です。師僧と兄弟子の墓の杉の葉を掃除してお線香をあげました。

参道で今回は弁栄上人の墓に目が止まりました。「芭蕉句碑」の近くに在ります。山崎弁栄上人(1859~1920)は光明主義を唱え、「浄土宗祖法然上人の信仰にもとずき、諸仏を超越した存在としての阿弥陀如来を大ミオヤと仰ぎ、その智慧と慈悲をいただいて、生ける時は光明の日暮しをして、死する時は如来の聖きみ国に生まれんことを願う教え(光明会のホームページ)」を説き、数学者の岡潔も私淑した聖者です。法然上人も、「南無阿弥陀仏」の名号に仏さまの力が籠っているとお説きになっていて奥の院にもお墓があるくらいですから、お二人とも念仏は御大師様の「声字実相」の一端と覚っておられたのかもしれません。

今回も高野山でたるみがちな自分自身をリセットして帰ってきました。数日は高野山の霊気のおかげでボーっとするでしょう。

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