地蔵菩薩三国霊験記 12/14巻の1/6
地蔵菩薩三国霊験記巻十二目録
一、月の廿四日を祈り母の命日を定め益を得る事
二、家内の病悉除の靈験
三、佛の大慈は親子を念ふに似たると示し給事
四、灯明の功徳、身より光を放つ事
五、僻む者は必ず罰を蒙る事
六、印佛利益の事
地蔵菩薩三国霊験記巻十二
一、月の廿四日を祈り母の命日を定め益を得る事
過ぎにし寿永の比(1182年から1184年)源平両家諍闘の事有りて四海の兵、幡を挙げ八方の夷族鋒を双べ、東西の凶徒蜂起し各々南北に陣を張りて普天卒土の濱まで一日も安からず。されば玉龍海に溺れ、月影波に沈んで頗る修羅の栖とぞなりし。時は抑々安徳天皇の御宇なり。然るに鎌倉右大将頼朝征夷大将軍として速やかに逆臣を亡ぼし早く天下を平かにし治世安民の功を成されよとの宣旨を下し給ひて数万騎の官兵を催して都へ上り玉ひしに、駿州の國主平氏方にてありけるが略(ほぼ)聞く子細はありけれども今明の間に何程の事かあるべきと思ひ心怠りして打ち解け、用意一つもなかりけるに関東の大勢先陣早足栖(あしがら)箱根を越ぬと聞へければ中々都へも逃げ上るべきやうなし。所詮当家に志あらん兵どもを相促(もよほ)してとや思ひけん。甲斐駿河の境、葉下山と云ふ峰に取り上りてぞ陣を張る。爰に甲斐源氏に一條次郎直頼手勢三千餘騎相具して葉下山に押し寄せ縦横に責め付け無窮に謀をなしければ葉下勢追立られ方々へこそ散り失せける。さるほどに敵の頸生け捕りなんど引かせて駿河國浮き嶋が原にて鎌倉勢に参り會ひ大将軍の見参に入りける。軍の門出目出度とて賞翫甚だありければ、時の面目弓矢の名價これにすぎじとぞ人々申しける。爰に当國の住人三枝五郎盛信とて殊に貧にてある侍あり。彼もなまじひに國中にはうまれ人並に駈兵にかかりて出たりけり。先祖は当國開闢の本主たりけれども末孫は土民に有るを並べ後裔人の家人となる。貧窮天命の然らしむる習、宿業拙きによりて此の報を感0ずる上は、力無き事なり。されば父は去ぬ治承の合戦(源平合戦のこと)に官兵となり亡びぬ。子孫二人同時に失き今は但盛信一人ぞ侍りける。齢八十にたかむきし老母あり。過往くさまざまの歎きにも心に任せず命の露とともに消やらで明かし暮しけるに盛信一人を楯とも鋒とも憑入りてありしに、又官軍にかかりて上洛すべきに定まりける。母の有様こそ思ひやられて不憫なれ、暫時の他行だに遅く皈り入る時は門に人を立てて待居、早く皈れば喜び玉ふに況や戦場遥かの道、弓箭取る身のならひ再び皈ん事も難かるべしと思ふに心のひかされ忍涙を止め兼ね、とかくしてありけれども忍び出つべき道もなかりければ、盛信母の前に参り申しけるは、抑々普天の下、王土にあらざるなく、率土の濱王臣にあらざるはなし。今君の命そむきがた心に任せぬ我が身ことさら弓箭の家に生を假るあさましきさは親子をも顧みることなきためし、某一人にもかぎるべからず。或は命を恐れて家をはなれ生命に随って官軍となり上洛仕るものかぎりなし。其れにつき一條殿も朝敵対治の令旨を下し玉はりて軍兵をそろへて御上洛あり。某れ人並みに召加へられて罷上るべきに定められ侍りき。これ併しながら家の面目と存ずるなり。天下静謐になりなば急ぎ人より先に還るべし、とぞ申しける。母の心を諫め暇乞ける中にも今生の向顔も是ぞ最後なるべしと思へば不覚の涙もれにき。老母打ち聞きあきれて更に言なくしてありけるが、漸く仰せけるは、天とたのみ地と思ひしに明日の命をしらぬ老が身を誰にあずけをき遥かの戦場には行き玉ふべき。あさましくも我已に年迫りて八七の雪を頂き梓の弓を腰に張りよろず心に苦あり。電光の影の中蝸牛の角の闘とは云ひながら(酒に対す・白居易「蝸牛角上 何事を争う 石火光中 此の身を寄す 富に随い貧に随うて 且く歓楽す 口を開いて笑わざるは 是痴人」)かほどなる危うき我を捨て置て何くとてか行玉ふべき。陣中に行き亦皈るべきことかたかるべし。親子は二世の契ときけば最後此に當れりと鎧の袖に取り付きて涙に咽び絶え入りければ、盛信武き心も消果てて目もくれ心も迷つつ行方さらにをぼへず、共に愛河に沈みける。老母心を静め申さるるは、汝が父も去る治承の乱に君の御為に命を捨て、父子三人ともに弓箭の為に名を残し一人とてもをくれたる名をとらず。それも出にし時は三人ながら道より大将軍に暇を申し急ぎ下るべきよしの玉ひて上らせ玉ひしほどに待入りたれば其の功をむなしくして唯軍陣の塵となる生死は終に限りありと佛は是のみ説き玉ふ。我一人にかぎらぬことなり。構へて軍陣にて古郷に老たる母を残したりなんど心にかけて軍あしくし玉ひて敵に後ろを切らせて大将に疵つけば、亡父や兄の尸に血をあへし生れたる母に面目をうしなはせて先々祖々の弓矢の家をけがし玉ふことなかれ。是を思ふにも俗家に生れけるこそ罪深けれ。南無地蔵菩薩と唱て絶え入りけるこそ哀れなれ。老母をきなをて申しけるは吾を不憫に思ひ玉はん折々は地蔵の名号を唱玉へ。殿を戀しく思はんときは吾必ず地蔵菩薩を念ずべし。」年寄りが事をば心易く思ひ玉へ、今まで知せぬは心深きに似たり。たとひさやうにありとてても吾亦禅師房とて化生の法師の子一人持ちたりしを他所にこれをかくしをきたり。さりとも最後には見助て玉ひなんと云ひも果たさず涙にぞ咽びけり。げに法師もなかりけれども尚盛信が心ををくさせまじと思ひて、たばかりての玉ひけり。内心は今より後は地蔵菩薩をたのみたてまつり最後の引接をもたのみ奉らんと思ふより外はなし。盛信かくてあるべきことならねば、いそぎ皈り来らんとて暇を乞ひて出にけり。親子のわかれ行くも止まるも涙にむせびて、心の内をしはかられて哀れなり。盛信は一條殿の軍勢葉下山の合戦より西海の舟戦に至るまで度々高名致せども不運の師からしむるところ一度の忠節にも立たざること是も前世の業感なるべし。されども数多の矢さきを免れ一の刃にも犯されぬことこそ不測(ふしぎ)の事に覚ゆ。是に付けても母の諫め胸にあたりて、少しも忘れ侍らず。偏に地蔵を念じて不覚の名を取らぬことぞ嗜みける中にも軍中にても老武者のほれぼれとしたるをば父の昔を弔ひて太刀を引きて脱れ、若者の手掛かりよくさも切よけに走り来たるをば兄の当時を思遣りて通ける関東騒ぐと聞へけるにも母の御事心苦しく思ひけるほどに、假寝の夢にも常には母の事のみぞ思ひける。有りける戦に隙々に佛師を請ひ御長三寸の地蔵を作り御足の下に母の御法名を書き付けて供養を演(のべ)錦の袋に入れ日夜頸にかけて身を放さず。唯母君に添ひ奉る心地してたのもしかりけり。是より盛信が祈り奉るは天晴事故なく再び帰国仕り老母の尊顔をも見奉り此の佛像を臨終の佛の授けたてまつりたく餘念なくこそ願ける。されば毎日早朝には此の守袋を頂き奉り千遍の宝号を唱て曰、南無帰命頂礼大地蔵薩埵は済度利生の誓あらたにして抜苦與樂の恵みを垂れ玉ふ、伏して願はくは盛信が所願具に円満して再び老母の顔(かんばせ)を拝し互に言をかはし多目の素意をのべ奉らん。縦(たと)ひ聖母の命縮るとも薩埵の弘誓に酬へて冥官の碑の文に保命(長生き)の筭(さん、占)を延べて長壽の文をちりばめ向顔(対面)の望を遂げて歓喜の眉を開かん。若し老母定業の為に命を轉じ玉はば月の廿四日を命日に授け玉ひて速やかに伽羅陀山へ引導し玉へ。仍って希所(こひねがふところ)は群生同日に九品の浄刹にいたらしめ、滅罪生善の益にあずからん。只佛眼明かに悉地證明を垂れ玉へ三枝盛信敬白すと、毎日此の文をあげて誓申しけり。さるほどに天下の兵革しずまりて、関の戸鎖せぬ御世となり、官軍盾を折り諫鼓(いさめのつづみ)も苔ふかく、忠臣をのをの眉を開きければ、禄は功に随ひ、賞は忠烈によりて行はれて各々皈國しける中に盛信一人は国主庄官にもまさりて皈國をぞ喜びける。さればいそぎ下向して古里のありさまを見ければ、年月いくほどもなかりけれども、あやしき栖になりはてて、
門には扉もなく草軒端をかくして内には音する人もなし。いそぎ母の居に入りて見れば、老母但一人御座すが盛信が皈りたるありさまを見て、さていかに軍は、とて老眼に涙をぞ流しける。かしこまりて承り、軍こそしずまり天下の太平此の時なる由を申しければ母は聞き玉ひて、などさらば其の方は出家入道して後の世の営はなさでありける、と仰せければ盛信心の外にをぼへて世しずまり一天をだやかになりて、各々皈國の御催促にあずかり侍れば、急ぎ下國仕て老躰をも育み奉り向かう向顔をなしたき心さきだちて、此の如くいそぎ参りたり。我が身の後生菩提の勤までは思ひもよらぬ事に侍るとぞ申しける。老母涙を流し玉ひけるは其の方の言ふごとく再び向顔をば遂ぐることかぎりなく悦ぶことなれども夫れ一切衆生は妄執に引かれてこそ生死には輪廻して、かかるあさましき里に生れて、うき目にも見るとこそきけ、弓矢取る身のならひ世の乱の後にして或は妻子の別れを哀しみ、老ひたる親を捨て置て出家して世を遁れしこと君のためには不忠の臣となり、親の為には不孝の人となれば天神地祇もこれを悪み給ひて世上の耻斯にきはまりといへども、それすら棄恩入無為と説きさせ玉へば遁世門きはまりといへどもそれすら園舎宅を捨去り三界流浪の身となれば人も許し君もすてさせ玉ふならひなり(四分律刪繁補闕行事鈔・道宣撰「欲出家者著本俗服。拜辭父母尊者訖口説偈言。流轉三界中恩愛不能脱。棄恩入無爲眞實報恩者。乃脱俗服」)。其の方が兄の殿原も弓矢によって治承の塵となりぬ。亦此の寿永(1182年から1184年)の春すでに親子の別れを告げて尸を野外にさらさんとせしこと、あさましきにあらずや。此のことわり我等が後生までは
にはをよばず。天下すでに太平を致す。君何の御不審かわたらせ玉ふべき其の身にさせる所帯なし。髻に何の心をか止めん。家にさりがたき妻子もなし。執心何か残すべきや。凢そ出家の功徳莫大なりと承る。亡父のためにもなにとて菩提の縁とはならざるべき。運命は限りあれども法躰は猶命を全うす。己が身のためにも得益あり。天晴出家し玉はば存命せし母もいかばかり心安かるべき。とかく事は用なしと語りつつ゛けて涙に咽び玉ふ。盛信もかくは思ひ侍れども人數ならぬ身ながらも烏帽子を頂きてこそ心やすく老母をも省みてなんどとぞんじて𦾔恩のためにこそ取りつつ゛けたる弓矢にて侍れ、是更に本望にてはあらず。兎にも角にも仰せにしたがひ奉んと申すも果てず髪ををろし鎧を衣に脱ぎかへて法名を蓮蔵房と号してげり。母の教訓を真に随喜せる盛信が発心堅牢地神も何に哀れと思すらん。肌の守りに入れける軍中で造りし地蔵尊を取り出し奉りて此の間の心中の趣を細かに語り奉り母の臨終の時は御枕に安置し奉り未来の引接を祈り申すべし。往生浄土の先達御疑あるべからずと申し定めて奉る。老母地蔵を請取玉ひ互に念のかなひたることのありがたさよと頸にかけて身を放ち玉はず。さて蓮蔵房出家の後、三界を家とし浮雲花風と共に遊行し東西に定らず足に任せて徘徊しけるほどに、奥州万嶋と申す所に夜宿して月に嘯き心を澄ましけるに晴天俄かに曇りて秋雨少し降るとき如何の思ありけん古郷の事胸中に浮かびて變易生死(菩薩や阿羅漢などが、三界の輪廻を超えた身をもって、その願力によって肉体や寿命を自由に変え、この輪廻の世界に現われて受ける生死)のことはりに至るまで思ひつつ゛けてゆかしく思ひけるほどに十一月上旬に薄雪道を埋みけれども皈らんと思にひかれつつ同じく十二月の中旬には甲州矢作の老母の宿にぞ着きにける。子息の僧来たれる事を喜んで老眼に涙を浮かべ、恩厚の志切によくこそ来たれるなりとて心しずかに物語するついでに、抑々出家の法式遁世の素意と申すは一所不住を宗とし執心断絶を躰として慈悲をもてさきとし、萬物にかかはらざるを本意とは申すなり。されば何事にも心を止るを妄執とは名く。念に牽かれ物に着するをば輪廻とは申して途世門には嫌侍るなり。此の旨をまもるを修行とは申すなり。行道とて別のことは候はず、唯着相驕慢を離る方便なり。佛と衆生とは水と湯との如くなり。本来無所染にして一物にも拘はらぬ所を水と云ふ。草木薪を具して火の力を借りて暖かに熱き、これを湯と申す。されば旧里に久しく住みぬれば心安きに打ち紛れて、自他の念をこりて発心の源を忘れ、度衆生の心はさてをき名利を求め、佳聞を願ひて悪道に入らん事を哀しむ。故に一所不住を宗とし法界には流浪し家をすつる者を修行とは号して佛の御心に叶て真に貴きならひにて侍るなり。かかる修行のついでにありがたき山々寺々を拝したてまつりて、昔より今にいたるまで地蔵の尊く在し、霊地霊像のこらず拝し申す折はあはれ老母にもをがませ奉りたく思へども叶はざることなればやみぬ。其の靈像のたっときことの源を尋るに、或は卑賎の為に霊妙を開き、或は悪女のために靈像を破られて後徳を顕し、或は貧乏のために身を變じ宝を施し、或は炎上のために水を洒ぎ威を増し、或は信心にかはりて迷途より其の人を皈し玉ふ。此の如きの霊験筆にも及ばず、口をも絶して數をしらず。是皆其の佛のあらたにして人ごとに利生を蒙るにあらねども唯一人鎮護の真をいたす利生を始めとして末代に万民を済度し玉ふ根源となり玉へり。願くは母公も此の三寸の本尊を憑み奉りて三途の岐をはなれて寂光の浄土に引接をうけ玉へ。されば諸教の心を以て法界躰相を見るに、地獄も天宮も別に道なし。唯衆生の信と不信とに酬へて花と現じ炎と變ずる者なり。其の故は鼎の中の熱湯の源は清冷の水なり。其の熱き湯もさむるときは本の水なるべし。荒き鬼に打たるる人も亦たっとき佛の迎へらるる輩も、更に以て差別なし。唯一心の所作にこたへて或は鬼に打たれ或は佛にむくはれ奉る者なり。念比に修行し念ずべき由を説きかせ奉りければ喜んで聴聞して弥よ地蔵薩埵を信じ奉り来迎引接は疑なしとぞ思入りける。其の後老母の心地違例して打ち伏し玉ひけり。蓮蔵房は又修行の為に出ずべき由を申しければ、母公は頓(とく)行き玉へ。亦こそ待て向顔せんとの玉ひければ既に修行にいずべき所に蓮蔵俄に病の床に臥したりけるが、同廿四日寅の一天に置きて手を洗ひ口をすすぎて袈裟をかけ合掌して西に西に向て端座して申しけるは小僧一人来て我が手を引き玉へば浄土へ参るなり。蓮蔵房は何に南無地蔵菩薩と高声に唱けるが氣の弱くなるにしたがひて次第にひくく唱つつ眠るごとくに滅を取る。蓮蔵房日来の祈に成就して母の命日廿四日にあたりて臨終正念に往生の素懐をぞ遂げにけるこそありがたけれ。真に以て地蔵の化儀諸願成弁の直道を顕し玉ふものなり。されば瓦石の堅き琢けば真珠の光あり。況や凢夫の鈍心も起きなば正しく佛となるべし。されば鏡は物を嫌はず向へば影を顕す。高きも卑も一念の信つよきならばたやすく地蔵を見奉るべし。遥かに六十万億の佛土をすぎて西方浄土にまします阿弥陀如来も行者の信心あれば一念の中に来迎して真佛身を現ぜんと誓玉へり(佛説阿彌陀經「阿彌陀佛。執持名號。若一日。若二日。若三日。若四日。若五日。若六日。若七日。一心不亂。其人臨命終時。阿彌陀佛與諸聖衆。現在其前。是人終時心不顛倒。即得往生阿彌陀佛極樂國土」)。況や此の菩薩は毎日万民の門に来たりて一切衆生にはなし玉はねども凡夫は眼にくもりありて見奉ることなし。信心清浄にあらば、毎(つね)にも拝みたしかに御声をも聞きたてまつるべしとなれども愚昧不信の心にさへられて耳すでにむなしくす。されば幻にも信じ覚りのほどを祈り、かりそめにも供養の心をはげまし、信の心あらば心仏及衆生是三無差別(華 厳 経・夜摩天宮菩薩説偈品)。道心を発すとて心よりもをこさず、或は衣食のため亦名聞の心よりならばさらに奇特はあるべからず。此の盛信の行跡を本として願玉ふべし。
引証。地蔵經に云、若は十斎日、若しは六斎日、若しは十八日、若しは二十四日、但だ自心正しくして此の経を轉読し、我名を稱へん者は、我法眼の威神力をもっての故に業報を即轉し現果を得せしめ、無間罪を除き、當に菩提を得しむ(仏説延命地蔵菩薩経「若は十斎日、若しは六斎日、若しは十八日、若しは二十四日、但だ自心正しくして此の経を轉読し、我名を稱へん者は、我法眼威神力をもっての故に業報を即轉し現果を得せしめ、無間罪を除き、當に菩提を得しむ」)。