1,「あしあと」という詩には「苦しいときには神が背負って歩てくれていた」とあります。本当に有難いことです。
「あしあと」(マーガレット・F・パワーズ)
ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ね
した。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道にお
いて私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」
2,しかし神仏と我等衆生の間には御先祖様がおられます。
どんな宗教の人であろうとも又は無宗教の人にもご先祖様はおられます。そしてこのご先祖さまこそが危機の時に神仏と一体となって助けてくださいます。
当方の経験でも先祖に数えきれないほど助けられました。
一回目は学生時代下宿でコンロをつけたままで寝てしまい、その上に寝返りを打って布団をかぶせてしまったことがあります。布団から濛々と煙がでて火事になる寸前でしたが亡母が私の名を呼んで揺り動かしてくれて目が覚め寸でのところで火を止めることができたことがあります。亡母が起こしてくれなかったら20歳で下宿とともに燃え尽きていたところでした。
二回目はそれから40年以上後の事です。求聞持行を太龍寺で始めた時のことです。秋に始めたのですがそれまでの行者さんはいずれも霊障などで途中で倒れて成満できていませんでした。当方も其の後に道場に入ったので無事成満できるか不安でした。山上には夜は誰もいません。前の行者さんも孤独と独特の霊障に耐えかねて倒れたようです。しかし行を始めて三日後今度は亡父が夢に出てきて当方をくすぐり笑わせてくれました。夢のなかで亡父と楽しい時間を過ごすことができ、以来スムースに行ができ又元気になり無魔成満できました。
三回目は最近です。一族が一大ピンチに陥ったことがあります。其の時継母が孫の夢に出てきて三途の河を渡ってくる孫たちをしかりつけて止めて元の岸に戻してくれたそうです。其の時から事態は急転直下七回もの奇跡を起こして完全解決し以前より恵まれた境遇となりました。この時は千巻心経をあげ先祖供養と共に仏様にも祈願していたことは確かです。また皆で寺社に必死に祈願もしていたことは当然です。
3,以上の事から危機の時は神仏とご先祖が一体で助けてくださることが体験できました。誰も人生で危機を迎えない人はいません。其の時は神仏への祈願と先祖供養を一体で行うことにより助かることを体験したことを報告しておきます。