「兼愛(すべてを平等に愛する)は受楽の因、大悲は脱苦の本なり」(『性霊集』巻八「三島大夫為亡息女写経供養法華経講説表白文」)
「四摂とはいわゆる布施愛語利行同事なり。無始の慳貪を調伏し、有情を利益せんと欲ふがゆえにまさに布施を行ずべし」(「秘密佛戒儀」)
御大師様も利他行、布施行が苦を脱する道と教えておられます。自身の経験でも苦しいときは献金をするとか、ボランテアをするとか、憎い相手の幸福を祈るとかすることで局面がガラッと変わることを何度も経験してきました。無財の七施(眼施、和顔施、愛語施、身施、心施、牀座施、房舎施)でもいいでしょう。必ず事態は好転します。
金沢雲龍寺住職、荒崎良徳師の「般若心経に救われた私」と題する一文が大法輪22年8月号にありました。概要を書いておきます。
「昭和58年私(荒崎)は大きな苦しみに出会い、自殺を考えるに至った。毎日暗いうちから本堂の観音様の前で「大般若理趣分」と「般若心経」を唱え続けた。ある日、林屋友次郎師の「般若心経の逐語的解釈」(『般若心経講義』昭和11年、東大佛青会編、三省堂発行内の一文)にあい意味を学んだ。
まず、最初の「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄」のところではっとした。
「度一切苦厄」とは一番欲しかった言葉だった。そしてそのためには「照見五蘊皆空」でなければならないとある。ここですべてが「空」であると覚れば一切苦厄から救われるのである。
ではどうすれば「空」を覚れるのかそれは其の前の「般若波羅蜜多時」を深く行じた時である。ここで般若波羅蜜多とは布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六波羅蜜すべてを指すものなので此の代表として私は布施波羅蜜多を行じようと思い立った。 僧侶として布施できるものは『法』しかないとおもい各宗派の高僧にきてもらい苦しみ真只中の58年に「金沢南無の会」を立ち上げた。この会を続けていくうち、各宗の高僧の法話と聴衆の鋭い質問に自身も広く新しい世界に踏み込めた。
写経するようになり其の中で無限に広がる仏様の世界に身を委ねることができるようになった。自殺を考えていた過去が遠い夢の中のように思える。」
空海「性霊集」抄 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫) | |
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