福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その67

2019-11-07 | 十善戒
不邪淫戒を古より禮に配する。此も的當ではない。古に。禮は庶人に下らず。刑は大夫に上さずと云(『礼記』「曲礼」)。上下推通ずる道ではなきじゃ。此不邪淫戒は國君も乱されぬ。公卿大夫も乱されぬ。士庶人も乱されぬ。君子小人の隔はない。上下推通ずるの道はここにあるじゃ。又禮は學者ならねば盡されぬことじゃ。孔子も周に適(ゆき)て禮を老耼に問ふとある(史記世家)。小人野人まで悉く學び知らしむべからずじゃ。智愚推通ずるの道ではなきじゃ。此不邪淫戒は。萬巻の書を諳んずる者も。持ねば身に災ある。甚に至ては家を亡す。學者も愚者も。一等に謹み守らねばならぬじゃ。誠に智愚推通ずるの道はここにあるじゃ。又論語に。麻免(まべん)は禮なり。今糸は倹なりとある。此類似て。時に随て進退用捨すべし。古と今と進退用捨すべし。殷は夏の禮を襲ふて損益する。周は殷の禮に仍って損益する。又樂記に。五帝殊時,不相沿樂(五帝時を異にして樂を相沿(あいよら)ず)。三王異世,不相襲禮(三王世を異にして禮を相襲わず)とある。此進退損益みな禮に妨なきじゃ。不邪淫戒は。昔も持たぬ者は國を亡し家を亡す。少も進退損益はならぬ。誠古今に推通ずるの道とすべき道は。此にあって彼には無じゃ。又古書に禮は豐儉に随ふ。豐饒なる時と困窮なる時と。禮の用い様違ふことじゃ。不邪淫戒は。豐饒なる時も用ひく様の違ひなく。寸毫の用捨はならぬ。困窮なる時も用ひ様の違ひなく。寸毫の用捨はならぬ。一切時推通ずるの道は。此にあって彼には無じゃ。又禮は國俗に随ふて執行ふ。支那國は支那國の禮有て。是を我國には用不用がある。印度は印度の禮式有て。此を余國には通不通がある。中國は中國の禮ある。外夷に在て通不通がある。外夷は各々其禮ある。中國に在ては通不通がある。萬國に推通じて道とすべき道とは云はれぬ。此不邪淫戒は。支那國でも此を乱せば身を残ひ家を破る。我國でも此をもたぬ者は身をあやまり國を破る。假令夷狄の國に往ても。此を持ぬ者は身を残ひ國を亡す。萬國華夷に推通じて道とすべき道は此不邪淫戒にあるじゃ。


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