地蔵菩薩三国霊験記 8/14巻の5/13
五、愛着より菩提に入る事
山城國美須と云所に栖ける小館の伊賀の前司と申しける子の
に伊賀の次郎紀の伊直(これなほ)は諸藝人にすぐれてありけるが生年十七に成りける時九条の院に参りけるに宰相の中将平の善平と申す若上臈の北面を通りさまに一目見奉り愛念肝を消しわすれがたく、せんかたなさに清水寺に詣で其の人をさずけさせたまへ、とても叶はぬことならば命をめして来世の縁となし玉へと断食して一七日瀧参詣してぞ祈りける。されば露の命もきへぎへにあやうくこそ見へけり。かたはらみれば参籠の老婆あり。このよしを見てあまりいたはしさに彼の人に申すは何なる願にてか侍ると問へば事の由を具に語る。老婆の云く、さあらば日吉権現を御たのみあれとぞ教ける。彼の日吉の御本地は地蔵菩薩にて座すなり(「諸神本懐集」「日吉は三如来の垂迹、四菩薩の応作なり。 いはゆる大宮は釈迦如来、地主権現は薬師如来、聖真子権現は阿弥陀如来、八王子は千手観音、客人は十一面観音、十禅師は地蔵菩薩、三ノ宮は普賢菩薩なり」)。伊直實(げ)にもと感じて急ぎ日吉に参りける。所詮の限りと思い切り二七日の食をたちて祈求切にぞ見へけるが次第に力弱くなり眼の動きばかりなり。神官是の由を見付け外に出してすてよと申せば老僧来たり其の仁あらくあたることなかれ志賀の山越にすててをくべしとの玉ひてかきけすごとく失せ玉ふ。伊豆志に捨てられて小篠原の草むらにつゆの命もきへかねてなみだにかきくれ居たりしを、件の老婆忽然と来たりあやしのわらやに入れまひらせ憂きをはらさせ奉る。夜も明けてあれば優婆申しけるは野原の住居のいたましくかかるいぶせき所に入奉りたれ。亦もたよりあらんときは御尋ねあるべし、命あらば見(まみ)へ奉らんと云ければ伊直餘波(なごり)ををしみ笛を吹く。老婆申しけるは今日はとどまり玉へかし。姥がわらやに姫を一人持ちたり。琴を弾じさせききたまへかしとて、内に入りさもやんごとなき姫をつれてぞ出にける。其の貌妙にして見し人よりも優れば権現の御利生「これなりと日吉の方を伏拝み笛と琴とをたがひに秘曲をつくしてあそびしが、老婆涙をながして申しけるは此の姫こそ地蔵の申し子なり。君にまひらせ侍るべしと云へば伊直うれしさかぎりなく人のかずにはあらねども子になし玉へとたのみける。彼の妃に向て申しけるは何なる縁かありけん、是の如き中になりぬ。此の世のちの世かけて同穴の契りを忘れ玉ふなと互いに念比に申し合ひけるが姫、伊直に申すには我ひたすらたのむこと侍りぬ。又睡り申す折角は必ずをどろかしてたび玉へと堅く約束して夫婦のちかひを深くして共に地蔵を念じけるが昨今と思ひしに早くも三年になりにけり。或夜女房まどろみ入りけるを、そのままねさせけるほどに枕のほとりに女房の頸ぬけてをちねけり。夫あさましく思ひて仰天しけるほどにあわてて動かしをこしければ本の如くなりにけり。女房はずかしく思ひて涙を流し打ち怨みいとまを乞ひければ、何なる鬼にてもあれながらへてそひたらんこそうれしかるべしと申せば、女房心安くて泣く泣く申しけるは、我は新大納言師平の卿の女(むすめ)なり。あまりにみめあしきによりて此の志賀の浦にかくれ居り給ふ母方の祖母君に付けて捨ておかれけるをかなしみ玉ひ日吉権現に祈り玉へば色界の天女の滅盡し玉ふ其の御頸にとりかへて我が頸となし玉へり。権現睡眠と夫を持つ事を戒め玉ふ。さてこそかかるありさまとさめざめとなげきけり。こしかたゆくすえを語りつつ諸共にいねむりけるが夫さきに目を覚めて見ければ女房の頸行方しらずうせてければいかにいかにとをどろかせば頸の内より細き糸の一筋ゆらめき出て天上はるかにあがりけるを、皈けるを待ちかねて絲をあらく引ほどにあやなくきれてそののちは頸はふたたびみへざりける。伊直なげくにかひもなく野邊の煙となしまいらせ其の身はやがて出家して黒谷に引き籠り一向専念の行人となりて其の人のあとをぞとふらひける。是併しながら愛着にひかれて菩提に入る。彼と云ひ是と云ひ地蔵薩埵の應化なり。
引証。本願經に云、娑婆世界閻浮提の中に於いて百千萬億方便をもって而も教化を為す。乃至、若し邪婬者に遇ふては雀鴿鴛鴦の報ひを説く(地藏菩薩本願經閻浮衆生業感品第四「如是菩薩於娑婆世界閻浮提中。百千萬億方便而爲教化。四天王。地藏菩薩若遇殺生者説宿殃短命報。若遇竊盜者説貧窮苦楚報。若遇邪婬者説雀鴿鴛鴦報。若遇惡口者説眷屬鬪諍報。若遇毀謗者説無舌瘡口報。若遇瞋恚者説醜陋癃殘報。若遇慳悋者説所求違願報。若遇飮食無度者説飢渇咽病報。若遇畋獵恣情者説驚狂喪命報。若遇悖逆父母者説天地災殺報。若遇燒山林木者説狂迷取死報。若遇前後父母惡毒者説返生鞭撻現受報。若遇網捕生雛者説骨肉分離報。若遇毀謗三寶者説盲聾瘖瘂報。若遇輕法慢教者説永處惡道報。若遇破用常住者説億劫輪迴地獄報・・」)
又如来讃嘆品に云く、若し女人有りて是の醜陋疾病多きを厭はんに但だ地藏像前に於いて志心に瞻禮せんこと食頃之間もせよ是人千萬劫中に受る所の生身相貌圓滿せん( 地藏菩薩本願經如來讃歎品第六「若有女人厭是醜陋多疾病者。但於地藏像前志心瞻禮。食頃之間。是人千萬劫中所受生身相貌圓滿。是醜陋女人如不厭女身。即百千萬億生中。常爲王女乃及王妃宰輔大姓大長者女。端正受生諸相圓滿」)。