史料綜覧 巻六 / 正平十六年(1361)/康安元年八月十三日条
「十三 北朝 青蓮院入道尊道親王ヲシテ 熾盛光法ヲ御門殿ニ修シテ 震災(地震)ヲ祈禳セシム」
・南朝は後村上天皇。北朝は後光厳天皇。室町幕府は足利義詮。
・正平一六年六月二十四日には正平地震(『太平記』にあり。)南海トラフの巨大地震と推定されている。
・青蓮院入道尊道は後伏見天皇第十一皇子。初名は尊省、号は後青龍院。青蓮院門跡。一身阿闍梨・天台座主・粟田宮崇徳院御影堂検校職等を経て四天王寺別当。
・熾盛光法は天変地異その他災厄の時に熾盛光仏頂如来を本尊として、一切の災害・厄難を除き、国家安泰を祈る最勝の修法。熾盛光。愚管抄三「慈覚大師、智証大師、又々わたりて熾盛光法、尊星王法などを行なひて・・・」
・この時の様子は「太平記・天王寺造営事付京都御祈祷事」に以下のようにあります。
「・・都には東寺の金堂こんだう一尺二寸南へ退きて、高祖かうそ弘法こうぼふ大師南天へ飛び去らせ給ひぬと、寺僧の夢に見えければ、洛中の御慎しみたるべしとて、青蓮院しやうれんゐんの尊道そんだう法親王ほふしんわうに仰せられ、伴僧二十口八月十三日より内裏に伺候して、大熾盛光の法を行はる。聖護院覚誉親王は、二間に御参りあつて、九月八日より一七日、尊星王の法をぞ修せられける。これのみならず、近年絶えてなかりつる最勝講を行はる。初日は問者叡山の尋源・東大寺の深慧、講師には、興福寺の盛深・同じき寺の範忠、第二日の問者は、東大寺の経弁・同じく良懐、講師は興福寺の実遍・山門の慈俊、第三日の問者は、興福寺の円守・山門の円俊、講師は、三井寺の経深・興福寺の覚成、第四日の問者は、興福寺の孝憲・同じき寺の覚家、講師は、叡山の良憲・三井寺の房深、結日の問者は、東大寺の義実・興福寺の教快、講師は、山門の良寿・興福寺の実縁、証義は、大乗院の前の大僧正孝学・尊勝院の慈能僧正にてぞおはしける。講問朝夕に坐を替へて、学海に玉を拾へる論談を決択して詞の林に花咲く。富楼那の弁舌、文殊の智恵も、かくやと思ゆるばかりなり。・・」
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