福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

金山穆韶師の「仏教における個体の観念」・・・7

2017-05-18 | 霊魂論
またかの信心銘(禅宗三祖僧璨禅師作)に曰く、

能()は境(対象)にしたがって滅し、境は能を逐うて沈む。境は能に由りて境たり、能は境に由て能たり。両段を知らんと欲せば、元これ一空。

義解者商量して道く、「両段といふは前の心法を指す、いふところの一空、大虚の頑然たるの空に非ず。小乗断滅の空に非ず、乃ち霊覚無相の真空ならくのみ、この空是諸仏の源、萬霊の母なり、聲も無く臭いも無し、群象の前に昭昭たり、有にあらず、無にあらず諸塵の表に朗々たる者これなり」

禅門は打座三昧、非思量底たる真空を証せんとするものなるも、そはただ空心静座、百所思なく一切の念を生ぜざるのもあらず、また恍惚として無分別の無記の空に住するにもあらず、所謂、過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得(金剛般若波羅蜜經等にある文句、過去の心もつかまえることが出来ない、現在の心もつかまえることが出来ない、未来の心もつかまえることが出来ない)前念後念中念、念々相待たず(正法眼蔵にあることば)、念々寂滅に住し、能消し所消し能所(主観・客観)双泯するに至らば至道の体冲然として得ることを待たずして得るに至ることを説くものである。
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