福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんに18日の参拝の記録をつくっていただきました。

2012-08-22 | 開催報告/巡礼記録

福聚講の護国寺定例参拝会が、8月18日午後2時、東京・音羽の神齢山 護国寺で行なわれました。この日、18日は、同寺では、ご本尊・如意輪観世音菩薩像の御開帳日にあたり、本堂の中央須弥壇の上の開かれた厨子の帳の奥に、如意輪観世音様の像を遥かに拝観する事ができました。が、如何せん、離れているため、はっきりと御影が見られないのが、心残りでした。
高原講元様が、導師となられて、鉦をつきながら、読経。私たちも、観音経、祈願、ご真言をお唱えしました。御開帳の日であつたので、中年の婦人、若い夫婦を伴った老年の両親、篤い信仰を持ったような中年男性の人たちが、私たちの後ろに、三々五々、夫々、正座して、共に、お経を上げ、順番にお焼香していました。

この日は朝から不安定な天候で、雷が鳴ったり大雨が降ったりして護国寺にお参りする道中が、懸念されましたが、護国寺付近は午後からは、晴れ渡り、雨で洗われた境内の木々は陽光に映えて、清々しい空気に包まれていました。

本堂には、直径1メートル位の太い柱が、数本並んでいて、重い屋根、天井を支えています。長い風雪にさらされ、耐えてきたため、黒光りしています。この柱を両手で抱きかかえると、願が叶えられるという有難い言い伝えがあり、私は、願の数だけ何本かの柱を抱きかかえてきました。昔の人も、切羽詰まった気持ちで、居たたまれず柱にすがり抱きかかえてきたのでしょう。数えきれない人たちが、この柱に縋りついたことでしょう。

抱きかかえているうちに、不思議なことに、気持ちが安らんでくるようです。恐らく、幾多の人たちの霊魂がこの柱に潜みしみ込んでいるのでしょう。そうです。柱は、仏様になり仏様に抱きかかえられていたのではないかと思い至たりました。

この後、すっかり、お馴染になつた、近くの菓子司で、高原講元様と親しく、「祈りのパワーについて」法話をお聞きしたりお話をするひと時を持ちました。この日の話題は、「日本人は、目に見えないものには全く関心を示さない。いまの震災、原発、領土問題等はすべて深いところでつながっているのではないか。鎌倉時代には栄西禅師は座禅により国を救おうとされたし、日蓮上人は法華経により国を救おうとされた。衆生の心が国を救うという考えであった。」「生活環境に便利・快適さがに染みこんで居て、神仏の有難さを知る機会が無い。」「(高原師が、)大学生の時、大学紛争があり、大学生たちはゲバ棒を持って、国家権力と闘うという運動のエネルギーがあり闘争精神が昂揚していた。だが、今の学生にはエネルギーがなくなっているかも。」「大人たちも、政治・経済闘争で、ゼネラルストライキの大掛かりな、大衆運動を展開していた。あの熱気は、何処へ行ってしまったのだろう」「個人、集団、国、地球、死者、生者すべてがすべてにいりこんでいるので個人だけ助かるということはありえない。そういう構造の中ですべてが助かる道がある、これが密教。」など、話は尽きません。

ふと、最近読んだ、岩波新書の「マルチン・ルター、ことばに生きた改革者」、徳善義和著[2012・6月刊)の話をしたところ、高原師から、すかさず、「ルターの話を・・・」と依頼をされ、引くに引けないことになりました。ので、以下、概略、感想をご紹介します。

マルチン・ルターは、西欧ヨーロッパのキリスト教の歴史の中で、16世紀、カトリック教会が、支配していたキリスト教を、大きく転換させる宗教革命を起こし、歴史的な、転機をもたらした男。宗教改革者です。それまでのカトリック支配のキリスト教。この頃のカトリックは、聖書経典はじめ、礼拝諸式は、すべて、ラテン語で書かれ、行われ、一般民衆は、全く理解できなかつたといいます。世俗に生きる民衆たちは、教会が提供する幸いや、救いを求め、縋りついて居ました。これに、応じた教会は、懺悔聴聞と贖罪の免罪符の制度で、民衆を教化して居ました。神の存在を信じ、地獄に落ちることの恐怖に慄く中世の民衆です。

ルターは、これが、この世で生きる人間の生き方なのだろうかと、疑問を持ち、まず第一に、民衆が、聖書を読めるようにして、イエスの生涯と働きを伝える四福音書を知らせるため、民衆のことばである、ドイツ語で聖書を翻訳して、知らせる。次に、神が人間に、救いをもたらし、恵みを与えるのは、イエス・キリストという形で、罪深き人間への贈り物として与えられ、人間は、救われる。と、十字架の愛を説いたのです。

ルターは、カトリック教会が、免罪符を、教会の資金稼ぎに販売する惨状を見て、民衆に信仰の再形成を促すため、95箇条の提議(贖宥の効力を明らかにするための討論提議)を、A4紙一枚の文書にして、当時、盛況を誇っていたグイッテンベルク城教会の扉に掲示したのです。僅か、二週間ほどで、全ヨーロッパを駆け巡り、大反響を巻き起こしたといいます。

これに対して、カトリック教会は、ルターを、異端審判に掛け、有罪判決を出して、処刑は、皇帝や国王の名で、執行しようとしました。しかし、ルターの、信仰思想は、広く、民衆の支持するところになり、異端の判決が下されたのですが、処刑は免れました。これ、は異例の事態といいます。

ルターは、説教運動や文書運動そして、教会習慣の改革運動を行い、特に、礼拝改革をすすめました。礼拝改革では、ルター自身、讃美歌の曲と詩を作り、民衆に解りやすいドイツ語で親しみのある教会習慣を作ったのです。今日、プロテスタントのキリスト教といわれる原型が出来たといいます。

ところで、このルターの本を読み始めたきっかけは、キリスト教の世界を変え、ヨーロッパに中世と近世の歴史的転機をもたらしたルターの生涯に関する興味もさることながら、ルター個人で、暗黒の中世という世界に生きながら、闇夜に光を当てる活動のあり方に関心を持ったからです。

これは、今、私が、難渋している、仏・釈迦の仏教、そして、弘法大使・興教大師の真言密教の信仰の受容のあり方、修行の仕方、受容のための学習の仕方などについて、どうにかして、習得する参考にしたかったからにほかなりません。ルターが、聖書を徹底的に研究して、カトリックが考え及ばなかった倫理思想を把握し、新しい、信仰習慣を創生したことなど、からヒントを得たいという計らいからです。歴史を変えるというような、大それたことは、到底出来っこないですが。でも、一寸の虫にも五分の魂といいます。どうにかして密教修行のヒントを得たいというのが偽らざる心境です。

まだ、読み方が、浅いので、更に再読して行きたいと思います。舌足らずの駄文でしたが、是非、皆さんにも、ご一読戴きたいと思います。駆け足で済みません(角田記) 。






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