昨日の福聚講模様
昨日は五月晴れで湿度も低く絶好のお参り日和でした。私はいつものように江戸川橋で降りて護国寺の鎮守今宮神社をお参りしました。ここにもいつも誰か参拝者がいます。今回は上品な老婦人と老紳士がお参りして出てくるところでした。心経をおとなえしてお参りしながら社殿の中をのぞくと中の祭壇がときどきピカッと光ります。外の光を反射しているのかとおもい後ろを振り返ってみましたが後ろには光を反射するような物体はありません。気のせいとおもって又お参りしているとまたピカッと光ります。あまりにありがたいので一心に般若心経をおとなえして出てきました。
護国寺には2時前につきいつものように一言地蔵様お薬師様などの境内の仏さまを七度拝んで回りました。おまいりしていると茶会の出席者らしき和服の婦人方が立ち止まって私を合掌してくださいました。僧侶の身なりをしているだけで拝まれ有難い事です。御大師様の「身なりが大切」とおっしゃっている意味が分かります。身が引き締まる思いです。
境内には五色の旗がはためいていたのでお寺の方に聞くと「今日は檀参があって御開帳していました」と教えてくださいました。福聚講の日はやはり何か有難いことがあります。ありがたいことといえば最も有難いことに今回は新しく若い方が参加してくださいました。
読経もできるだけゆっくりしました。そうするといつもより声もよくそろいありがたさも一入でした。読経の最後には瞑想をしましたがこれも五月晴れのもとすがすがしい瞑想ができました。
その後、ゴミ拾いをしていつものジョナサンで懇談しました。角田さんの満州時代の数奇な貴重なお話を伺い感動しましたが是非記録にも残していただきたいとお願いしました。
私からは、
・福聚講は「神仏は一体でお陰は厳然としてある」ということを広めるためにこの10年講をやってきた。
・お参りできるというのは御先祖の遺徳によるもの、四国遍路でもほとんどの方は先祖が四国遍路をしていたご縁により四国遍路に来た、と言っていた。
・座禅、念仏、読経、遍路等いろいろ修業はあるが目指すところはすべて「自分と神仏先祖が一体である」という心からの実感を得るためのものではないか、自分は毎朝修法をしているが最近まさに神仏と一緒にいるという実感を感じるときがある・・
という趣旨のお話をしました。