問。菩提は無相無為なり、此の心は無心無作なり、是を諸法の本源、是を真如実相、是を実際、是を本分の田地などとこそ承りぬ。
然るに今、真言宗の加持門は悉く是れ有相有為の法にして、本分の境とははるかに相劣れりときこゆ。如来方便の説にして真実の説にてあらざるべきか。
答。此の義はおおよそ大善智識ときこゆるひとも甚だ惑へるところなり。況や流俗の人をや。これ其一切見を離れて無分別智に契はずんば、少分も窺い知ること難かるべし。
有相の外に無相あるにあらず。有為の外さらに無為なし。方便即ちこれ実知なり。
此のごとくの境界に達し得んことはるかにしてはるかなり。このごとくの境界に達しえずんば逢ふところ封閉されて竟に解脱の期なけん。
修学功を積まずしては、見縛修縛離脱何れの時ぞや。佛地に到り得んこと遠くして遠し。実にかなしむべきかな。
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