福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

コロナの教えるもの、聞法で心のワクチンを

2020-08-26 | 法話
コロナが流行して予防だ治療だワクチンだと大騒ぎしています。予防法治療法がないのですからむべなるかなというところですが、こういう異常事態が出来すると宗教界は何を説くのか、ということが注目されます。関東大震災では天譴論が説かれました、オウム事件や東日本大震災でも宗教界の説明が注目されました。私は縁がなかったからかもしれませんがこれに直接関連して納得する教えは聞いていません。コロナでも同じです。しかし自分はコストも払わず他人に宇宙の最重要機密事項を説いて聞かせてもらおうなどという了見ですからこういう教えに巡り合えないのは当然と言えば当然です。
しかしコロナは宗教者から教えてもらわなくても人生の本質的なことを全人類に教えてくれてました。医療関係者等の献身的な利他行の尊さ、コロナ以前の「日常」の大切さ・・・等々です。コロナにこれだけ貴い人命や健康・経済の犠牲を払わされたのだから、最低でもコロナから少しは元を取らなければならない、と思います。
そこで最近感じているのが「『身体』の疫病はコロナだけでも大騒ぎするが、『心』はあらゆる疫病に罹って瀕死になっていても放置している、最低でもこのことに気つ゛かなければ元は取れない。」ということです。
本来『心』は身体どころか自他・宇宙・時間をすべて含んで超越しているトータルなものなので疫病になど罹りようもないのですが、「社会の体」がコロナに罹ったうえに貪瞋痴に迷って「社会の心」まで疫病に罹り混乱していては目も当てられません。そこで心が疫病に罹らないワクチンを考えなければなりませんが、これが「聞法」だとおもいます。
智慧を修行の順序によって三つに分類した三慧(聞・思・修慧)の冒頭に「聞」があり、それを土台にして修行階梯が進展するとされ、また、さとりを得るための七種類の教え「七聖財」は「信財・戒財・聞財・慚財・愧財・捨財・慧財」といい、「聞財」も重要な財であるとされています。さらに『地蔵菩薩経』では説法者への供養は仏への供養に等しいとさえ説かれます。

金剛界曼荼羅の各会には無量寿如来(阿弥陀)に属して四菩薩(金剛法・金剛利・金剛因・金剛語菩薩)が配置されています。無量寿如来は大日如来が衆生の苦悩を見抜き智慧説法する徳から生じ、金剛法菩薩はそのために世界を本来清浄なものと示しており、金剛利菩薩は衆生の煩悩を断ずる働きを示し、金剛因菩薩は大日如来の転法論の徳を示し、金剛語菩薩は正に衆生の為に説法する徳を示しています。そして「溪嵐拾葉集」に「若し衆生曼荼羅を一見するあらば、 倶胝劫の重罪は一時に摧滅す」とされるように曼荼羅を拝することは大日如来の説法を聞くことでありこれにより罪障消滅すると説かれているのです。
こうして曼荼羅でも説法・聞法の本質的大切さが示されているのです。


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