妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・29
四には
「應以宰官身得度者。即現宰官身而爲説法。」
「宰官」とは、宰は主の義。官は功能の義なり。三公(大師、大傳、大保なり。即是日本の太政左右の三大臣に當る。)は功能を以て主君の政を輔くるが故に、宰官と云。総じては百官皆宰官と云べし。日本の小野篁、幷に菅丞相等の類是なり。
五には、婆羅門身
「應以婆羅門身得度者。即現婆羅門身而爲説法。」
「婆羅門」とは具足の梵語には、没羅瘡摩寧(ぼらかんまねい)と云。略して婆羅賀摩(ばらかま)と云。又略して婆羅門と云。又略して婆論と云。極略して梵の一字と成る。此には浄行と云。外道の書に説らく、梵王、成劫の初めに出て四姓を出生するに、婆羅門は口より生ずと云へり。文殊は梵徳婆羅門が子なり。華厳経の入法界品に勝熱婆羅門が刀山より火坑に身を投し(大方廣佛華嚴經卷第八 入不思議解脱境界普賢行願品「見勝熱婆羅門。修諸苦行。於赫日中。四面火聚。猶如大山。中有刀山。高陵無極。爲欲勤求一切智智。登彼刀山。投身入火。」)、涅槃経の迦葉童子、今の經の阿私仙人等なるべし。十輪經には、地蔵菩薩化して婆羅門と成るといへり。準知すべし。
若し秘密の釈ならば、「ばらもん」(梵字)の初めの「ば」(梵字)字は大日の種子「ばん」字の本体なり。又仙の梵名をば「りし」(梵字)と云。此の初めの「り」字は金剛頂釈字母品に神通の義なりと云へり。是則ち大日如来の神變加持の義なり。故に大日経には韋陀梵志の事火の法を作すも、皆大日の等流身なりといへり。火天の眷属たる瞿曇等の五仙是なり(大毘盧遮那成佛經疏卷第五入漫荼羅具縁品之餘「東南隅布列諸火天衆、住火焔中額及両臂各有三灰画、即婆羅門用三指取灰自塗身象也、一切深赤色、当心有三角印、在焔火円中左手持数珠右手持澡瓶此是普門之一身、為引接火祠韋陀梵志、方便開示仏囲陀法故示此大慧火壇、浄修梵行之幖識也」)。
四には四衆身。
「應以比丘比丘尼優婆塞優婆夷身得度者。即現比丘比丘尼優婆塞優婆夷身而爲説法。」
「比丘」或は苾蒭(びっしゅ)と云。此には除饉(じょごん)と云。一切衆生、法に飢たるを比丘説法し聞こしめて現に法味を與て其の饉乏を除く。此に因りて彼等の衆生、當来に法食を得て得道證果す。一切衆生の因果の饉乏を除くが故に除饉と云。又三義あり。一に破悪とは、出家の人、初めて具足戒を受けて僧の數に入る時、大願を起こして将来に一切の煩悩を破すべしと誓ふが故に、初発心に既に一切の悪を破する理あり。此の故に破悪と云。二に怖魔とは、謂く、天魔かくの如くの心を発すを見て、此の人と決定して三界を出離し、復無量の人を教化して三界を越さしめて我が眷属を減少せしむべしと思て、大きに怖るるが故に怖魔と云。三に乞士とは謂く、已に在家の華飾を捨て、俗士の夸慢(おごり)を離れて出家るが故に、忽ちに荘厳せる服を脱いで壊色の袈裟を著、頭には緑の髪の美しきを剃落として、華鬘等の飾好を捨、手には鉢を持して人の角に立て食を乞ひ、最下劣の為を作して活命して慢を離る。故に乞士と名くるなり。又上は佛に法味を乞て慧命を養ひ、下は在家に食を乞て肉身を助るが故に。叉乞食して活命すれば貯蓄の欲を離れ、俗士に諂ひ求ることなく、其の心清浄して道に入り易きが故に乞士と云。此の三の徳を具足するが故に比丘と云なり。又名義集の第一に曰、苾蒭とは、古師の云く、五義を含す。一には體性柔軟なり。出家の人の能く身語の麁獷を折伏するによるが故に。二には蔓をひいて旁布(あまねくしく)。出家の人の法を傳へ人を度し連延として絶ざるによるが故に。三には聲香遠く聞ゆ。出家の人の戒徳芬馥として衆の為に聞(かが)るるに由るが故に。四には能く疼痛を療ず。出家の人の能く煩悩の毒害を断ずるによるが故に。五には日光に背かず。出家の人の常に佛日に向ふによるが故に。已上。此に就いて苾蒭は艸の名にはあらずと云ひて五義の準例を破ることあれども、今私に撿(かんがふ)るに、妙吉祥平等秘密最上観門大教經の第一に曰、苾蒭矩舎(矩舎、此には艸と云)悉當矩舎(しっとうくしゃ)。世尊因地に修行し玉ふに常に此の艸に枕し玉ふ也といへり。亦此の比丘とは一切出家の総名にして大小乗に通ず。釈迦如来の在世には文殊弥勒も皆菩薩の比丘なり。聲聞の比丘は二百五十の律儀(一切の悪を断ずるなり)を護り、大沙門の性を成じて一生に羅漢果を證ぜんと志ざす。菩薩の比丘には通受・別受の二類あり。別受の比丘は其の戒法、聲聞と同じ。通受とは二百五十戒を摂律儀(一切の悪を悉く断じる戒)とし、瑜伽論・梵網經等の諸戒を摂善法戒(一切の善を修するなり)饒益有情戒とし、三聚浄戒(摂律儀戒・摂善法戒・饒益有情戒)を具して未来際を期して受持するなり。乃至三千の威儀、八万の細行、一一に守護して微塵ばかりも失することなきを菩薩の比丘と名く。其の形相に於いては如来所制の三衣(下衣( 安陀会 あんだえ )・上衣( 鬱多羅僧 うったらそう )・大衣( 僧伽梨))を著し、、瓦鐵両種の鉢を護持し、其の頭を圓ること小乗の比丘と全く同じ。是則ち佛、制して通途の法とし玉ふが故に、一切の大小乗の出家は皆釈迦如来の遺法の弟子なれば、師の制を背くべき理なきが故なり。但し大乗別圓の菩薩の微細の威儀は佛成道の最初に梵網経の八万威儀品に委細に説き玉へども、其の本、未だ震旦に来たらず。略説たる二百五十戒は聲聞の諸部の律蔵に委しく説けり。弥勒菩薩、瑜伽論の七十五に説く。菩薩の毘奈耶聚に略して三聚あり。初めに律儀戒。毘奈耶聚は、薄伽梵の諸聲聞の所化の有情の為に毘奈耶の相を説き玉ひしが如き、當に知るべし。即ち是毘奈耶聚なり(瑜伽師地論卷第七十五攝決擇分中菩薩地之四「復次當知菩薩毘奈耶略有三聚。初律儀戒毘奈耶聚。如薄伽梵爲諸聲聞所化有情略説毘奈耶相。當知即此毘奈耶聚。云何攝善法戒毘奈耶聚。謂諸菩薩於攝善法戒勤修習時。略於六心應善觀察。何等爲六。一輕蔑心。二懈怠倶行心。三有覆蔽心。四勤勞倦心。五病隨行心。六障隨行心。若諸菩薩於善法中。所有輕心無勝解心及陵蔑心名輕蔑心。若有懶墮憍醉放逸所纒繞心。名懈怠倶行心。若貪欲等隨有一蓋。或諸煩惱及隨煩惱所纒繞心。名有覆蔽心。若住勇猛増上精進。身疲心倦映蔽其心。名勤勞倦心。若有諸病損惱其心。無有力能不堪修行。名病隨行心。若有喜樂談論等障。隨逐其心。名障隨行心。菩薩於此六種心中。應正觀察。」)。此の律儀戒とは比丘の二百五十戒、比丘尼の三百四十八戒、沙弥沙弥尼の十戒、式叉摩那の學六法、優婆塞優婆夷の五戒なり。故に大小乗の出家の外相威儀全く同じ。但し内心には無餘涅槃を至極とする(小乗)と無上菩提を期する(大乗)との異あるが故に、大小を分つ者なり。然るを末法今時の僧徒、己が不學無知なるままに佛戒を持て、六物(三衣・鉢・坐具・漉水嚢)を護るは小乗の比丘にして取るに足らず、大乗出家の菩薩は威儀にも拘らず如法の袈裟をば著せず、綾羅錦繍の袈裟を被る法式なり。鉢・坐具をも持つべからず、乞食をもすべからずと謂へり。是大に愚痴なることなり。天台の釈の意、小乗の比丘は自利を本とするが故に性戒(在家・出家を問わず、行為それ自身が本質的に罪悪であるとして禁じた戒律。殺生戒・偸盗戒・邪淫戒・妄語戒など。)をば禁護すれども、化他を存ぜざるが故に遮戒(本来は悪ではないが、悪を行いやすくなるとして禁じた戒律。飲酒戒など)をば少し緩がせにすることあり。大乗の出家は自利を勤むるが故に、能重禁(畏三蔵禅要によれば、不退菩提心・不謗三宝・不捨三宝三乗経・不疑大乗教十重禁。梵網経に説く、不殺・不盗・不淫・不妄語・不酤酒・不説四衆過・不自讃毀他・不慳惜加毀・不瞋心不受悔・不謗三宝の十戒。密教では、無・不発菩提心者令退・不未発菩提心者起二乗心・不対小乗人説深大乗・不起邪見・不説於外道妙戒・不損害無利益衆生の十戒。)を護り、化他を専らとするが故に微細に外の威儀を慎むといへり。是則ち出家の威儀堂々として疎慢ならざれば在家是を見て佛法に信を起こすが故なり。復次に小乗の比丘は自利を急にして利他を緩くするが故に衆生を愍む心少なし、故に聲聞戒には肉を食することを許し、憍奢耶衣(絹衣)を許し玉ふことあり。大乗の菩薩は自他平等の大悲を本とするが故に成道の最初には、梵網経。中間には鴦掘・楞伽等の経。終には涅槃経に堅く肉を制し玉ふ。(「入楞伽経・遮食肉品第一六」「我、食肉の人は大慈種を断つと説く」「大般涅槃經卷第四如來性品第四之一「一切の現肉は悉くまさに食すべからず。食する者は罪を得ん。我今この断肉の制を唱う。」「梵網經盧舍那佛説菩薩心地戒品第十卷下」「故食肉一切肉不得食。斷大慈悲性種子。一切衆生見而捨去。是故一切菩薩不得食一切衆生肉。食肉得無量罪。若故食者。犯輕垢罪」)又絹綿を制し玉ふこと鴦掘・楞伽等の大乗経に分明に説けり。(央掘魔羅經卷第四「是故諸佛悉不食肉。文殊師利白佛言。世尊。珂貝蝋蜜皮革繒綿。非自界肉耶。佛告文殊師利。勿作是語。如來遠離一切世間。如來不食。若言習近世間物者。無有是處。若習近者是方便法。若物展轉來者則可習近。若物所出處不可習近。若展轉來離殺者手則可習近」。)
南山の感通傳に、五天竺の中に蠶衣(かいこころも)を著る僧人一人も無しと言へり。(律相感通傳「五天竺國。無著蠶衣。由此興念。著斯章服儀。通瞻古今成教。融會臥具三衣。且凡情瑣細。保固尤重。身服所接。莫匪損生焉。肯捐捨著茲法服。又法服所擬。本顯慈仁之心。」)
此れ佛の最後の所説の涅槃経の意、明らかなる故なるべし。佛は一代、麁布の僧伽梨(十三条なり)(そうぎゃり。僧の正装衣で、9条から25条の布片を縫い合わせた1枚の布からなる袈裟 。大衣 。)を著し、南嶽、天台は一生布納の袈裟(納衣とも書く。世人の捨てた布を拾い、洗いすすいで修補縫綴してつくった袈裟)を護り玉へり。章安(章安大師灌頂(561―632))・妙楽(妙楽大師湛然(711―782))等、賢首(法蔵の名)清涼・玄奘・慈恩等皆以て此の如し。先哲の曰く、若し絹衣あらば細に切って壁塗る土に和合せよといへり。然るを今時の僧徒、絹衣を以て大乗の出家の法服なりと謂へるは何事ぞや。又宗宗の袈裟の模様各別なりと思ひて、各々其の衣體を局執す。此れ皆悉く後世末學の私の所為にして、全く有徳の高僧の為態に非ず。或は又、國王の帰依の心甚深なるが故に在俗は法衣の是非を知ること無ければ、美麗の絹衣を供養ぜられたるを、其の志を破るべからざる暫時の謀に一旦用ゆることあるを、愚人或は華美を好む人これに倣って万代不易の法服なりと誤解して用そめめたるより起こって次第に習とするなり。此皆佛教をば尋ねずして唯己が心に任せて行ずるが故なり。彼の盡理に非ざる儒教にすら、先王の法服にあらざれば、敢えて服せず、といへり。
況や佛弟子たらん者、豈如来法王の服に非ざるものを服すべけんや。大集經等には今時著用する小袈裟をば、袈裟の片と云へり(大集經月藏分第十二忍辱品第十六之一「乃至供養一人爲我出家及有依我剃除鬚髮著袈裟片不受戒者。供養是人亦得乃至入無畏城」)。
又法滅盡經には、末世には魔變じて沙門と成りて袈裟に五色を為し、酒を飲み、肉を食ふべしと説き、又沙門の袈裟變じて白色となる時、佛法滅すべしと云へり。
況や非法を法と説き、法を非法と説くは、謗法の罪にして無間の業なり。然るを佛、一切の出家に通じて制し玉へる青・黒・木蘭の三種の如法色の衣をば、大乗の衣に非ずと謗り錦繍の不如法の袈裟をば是大乗の衣なりと思へり。是謗法に非ずして何ぞ。我恐らくは無間の火、彼の人の脚下に起らんことを。復次に愚痴甚だしき僧侶の謂はく、衲の袈裟と云は赤色の金襴にして餘色を雑へざるなりと。彼豈字書に衲は本と納に作る補綴なりと云を知らざるや。天竺の糞掃衣は牛の齧み鼠の齧ひ火に焼けたる、及び月水の衣、産婦の衣等の人皆棄置て著すること無き衣を拾集めて不浄の處を截捨て自餘の分を浄水に能く洗ひ浄めて百千段綴集たるなり。故に是衲衣と名く。請ふ釈氏要覧上の四十四の納衣の下に糞掃衣を出せるを見よ、其の疑頓に息なん(釋氏要覽卷上「五糞掃衣。此自有五種。一道路棄衣脱厄衣也。二糞掃處衣。三河邊棄衣。四蟻穿破衣。五破碎衣。又有五種。一火燒衣。二水漬衣。三鼠咬衣。四午嚼衣。五嬭母棄衣。已上衣。天竺人諱忌故。棄之以不任用義同糞掃故。共納成衣。名糞掃衣也。」)。さやようの衣は百千段をつつ゛り集めたれば、文あるもあり、文なきもあり。然るを其の中の文あるを見て、錦繍の服なりと謂へるは本乱れたるが故に、末治まらざる謂なりと知るべし。真言の八祖の中の龍猛・龍智・善無畏の影像の袈裟に細かなる白點あるは納(つつ゛り)たる絲をあらはすなり。若し赤色の金襴の衣を納の袈裟と名くといはば、其の字義何ぞ。希ひねがはくは仔細に聞んことを。復次に袈裟を造る時、厚密の布を用ひよと云は、若し漉水嚢を忘れて持せざらん時、袈裟の角を以て水を漉すべき為なり。金襴を以て水を漉時は忽ちに衣の光を損ず。彼此言に足らずといへども、今時の僧徒百人に九十人は皆此の謬解を執し、邪網に嬰(かか)るが故に今其の弊を救はんが為に強いて贅するのみ。夫れ法界は一味なり。何ぞ他宗の僧形の隔を存ぜんや。末法濁悪と云ひながら、誠に浅猿(あさましき)ありさまなり。
「比丘尼」とは、比丘の二字は上の如し。「尼」とは梵語には女と云。三百四十八戒を受持するなり。若し又菩薩の比丘尼あらば、三百四十八戒を摂律義とし、瑜伽・梵網の諸戒を摂善法戒、饒益有情戒として受持するなり。右此の比丘に沙弥を摂し、比丘尼に沙弥尼・式叉摩那を摂するなり。
「優婆塞」とは、新には鄔波索迦(うばさか)、唐には近事男と云。
「優婆夷」とは、新には鄔波斯迦(うばしか)、唐には近事女と云。盡形の三帰五戒を受けて、比丘・比丘尼に近事(ちかずきつかふ)に堪たる故に尒云なり。義翻じては清信士清信女と云。佛法に於いて清浄の信心を起こすが故なり。
「而為説法」とは、比丘比丘尼は出家なれば、衆生の師範として法を弘むべし。優婆塞優婆夷も時々は知識となること有るべし。瓔珞本業經に、在家の夫婦互相に師と成て戒を授くる事あるべし、と説くが故なり(菩薩瓔珞本業經因果品第六「夫婦六親得互爲師授。其受戒者。入諸佛界菩薩數中。超過三劫生死之苦。是故應受。」)。佛在世には、富楼那尊者等の大羅漢、内秘外現して比丘の形として説法利生す。されば盂蘭盆經には権現比丘といへり。唐の梁の世の傅(ふ)大士(傅大士は支那梁朝の人、名は翕、字は玄風、善慧大師、或は東陽大師といひ、姓を傅といふので傅大士と呼ばれてゐる。十六歳にして劉氏の女妙光を娶り、普成、普建の二子を挙げた、普通元年沂水に自身の水に映ずる影を見て廓然大悟する所があり、それから昼は妻子を携へて農事に従ひ、夜は庵に籠つて仏法を談じた、後、(梁の武帝に)召されて帝と問答し勅により双林寺を建てゝこれに住した、大士常に財法二施を以て衆の救済をなし、且つ『法華』、『涅槃』の二経を転読し天下の禳災を祈つた、大士は又、一切経の目録雑然として見るに労多きを慨き、経函を一柱に支へ回転して観覧せしむる方法を案出した、これを輪蔵といふ)日本の聖徳太子等は是権現の優婆塞なり。唐の馬郎婦(法華経顕応録巻下に、陜右の地は唯騎射を習ひて三宝を聞かず。唐憲宗元和4年(一説12年)一美女あり。来りて魚を鬻ぐに、人競うて之を娶らんとす。女曰はく、一夕にして普門品を誦する者あらば之に帰せんと。即ち能く誦する者二十余輩あり。復た授くるに金剛般若経を以てす、猶ほ十人之を善くす。更に法華経全巻を授け、約するに三日を以てするに独り馬氏のみ之を能くす。仍て女は馬氏に帰せしも、病と称して別房に止り、須臾 にして死す。後数日老僧来り、葬所に至りて衆に謂はて曰はく、此の婦は之れ観音なり、汝等を化せんが為に方便示現せしのみと云へる是れ其の伝説なり。)等、日本の光明皇后等は此れ権現の優婆夷なり。其の所説の法は普く諸乗に通ずべし。偏に取るべからず。