8,石槌山御修行・・石槌山(前神寺、四国六十四番)三教指帰には「あるときは石峯に跨って糧を絶って轗軻(かんか・・苦労する)たり」とあります。いまでも四国遍路は石槌山に登るとこが必須の課題です。別当寺の前神寺はもちろん、難所の焼山寺から望む石槌山も有難いものです。このあたり一帯はなんといえぬ霊気が満ちています。私の行を指導していただいているA師は毎年石槌山に登っています。 . . . 本文を読む
焼香について
我々は普段何の気なしに焼香していますがこれには深い意味があります。①仏様に来ていただくという意味②魔を払うという意味③中陰にいる故人に香を食してもらうという意味です。
① 賢愚経には、放鉢国の長者の息子、富那奇尊者は弟の羨那と共にお釈迦様の為に香木でお堂を作りました。そしてお釈迦様をお迎えしたいと思い、二人で各々香炉をもってお堂に上り、お釈迦様のいらっしゃる祇園精舎に向かって仏様のご . . . 本文を読む
観音経の功徳
観音経は法華経二十八品のうち第二十五番目にかかれています。法華経は十四品までを迹門といいお釈迦様が説かれたもの、十五品以降を本門といい法身佛が説かれたものということですからこれは法身佛が説かれたものになります。
観音経そのものが正式には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」というように「観世音菩薩」が「普門」(あらゆるところ)示現されて衆生済度をされるというお経ですからお経そのものが観 . . . 本文を読む
第二十一 雜の部
二九〇 微劣なる樂を棄てたるがため廣大なる樂を得るものとせば、賢人は廣大の樂を見て微劣の樂を棄つるべし。
二九一 他人を苦しめて己の樂を求むる人は怨憎の混亂中に沒在して怨憎を脱することなし。
二九二 若し所應作を忽にし、又不應作を爲し、貢慢放逸なるときは其の人には心の穢れは増長す。
二九三 人若し常に善く勤めて身を念ずれば不應作を作さず、斷えず所應作を作し、正しく、正知にして . . . 本文を読む
A,
1、本体となる尊像の意味。一般的には寺院等で信仰の中心とされる仏・菩薩・曼荼羅・名号などをさします。宗派により違います。
以下に各宗派の本尊を示します。
天台宗の本尊・・・各寺所縁の仏様でまちまち。
真言宗の本尊・・・中心は大日如来ですが各寺院の本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、観音菩薩、不動明王などまちまち。
浄土宗・・・阿弥陀如来
浄土真宗・・・阿弥陀如来、もしくは . . . 本文を読む
7、 金剛定寺結界・・今の金剛頂寺(室戸市元乙、四国二十六番)の下にある不動岩も御大師様が求聞持修行をされたところと言われています。いまでも練達の行者が修行されることがあります。指導いただいているA師もここで百日の求聞持行をされました。岩場のの上を四つん這いで毎日行道され、荒海で流されそうになりながら禊をしたそうです。わたしもいずれここでできればと秘かに思っている岩場です。
大師御行状集記によれば . . . 本文を読む
Q、仏前にともす灯明はどういう意味があるのですか
A,灯明は絶大な功徳を生じます。
灯明供養について
1、密教辞典には「6種供養の一つ、灯明を仏に献ずることの功徳は広大であり、世を照らし、闇を除き、知恵を得て世間に流転せず、福徳を得、命終して涅槃を證す等と経典に説く。密教では灯明は外四供養の中の金剛燈菩薩であり、また六種供養では智波羅蜜とする。法脈を譬えて法灯、昼夜不断にともすのを常夜灯といい、高 . . . 本文を読む
6、虚空書写・・伊豆修善寺(伊豆市修善寺地区)。大師御伝記には「伊豆の国桂谷というところに古寺ありける。山深き寺なれば狗品多くすみていかなる貴き行者も彼の寺に一日一夜も住するものなければ、をのずから人の往来たえはてて、甍やぶれては霧不断の香を焚き、扉おちては月常住の灯をかかぐとはかかるところをや・・。大師虚空に向かって大般若の魔事品を書付させ給へば虚空に文字すわりて六書八体の点画少しもみだるること . . . 本文を読む
Q,佛の十大弟子とは
A,十大弟子 とは、釈尊の主要な十人の弟子のこと。
・根拠としてよく引用される維摩経では出家順に①舎利弗、②大目犍連、③大迦葉、④須菩提、⑤富楼那弥多羅尼子、⑥摩訶迦旃延、⑦阿那律⑧優波離、⑨羅睺羅、⑩阿難陀が維摩居士の所に行くようにお釈迦様から指名されます。
・金剛經纂要刊定記には「謂く十大弟子には各の一の能くすること有り。皆な稱す、第
一は . . . 本文を読む
第二十 道の部
二七三 諸道の中にて八支を勝とし、諸諦の中に於て四句を(勝とし)、諸徳の中に於て離欲を勝とし、二足の中に於て具眼を(勝とす)。(八支―正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八は解脱涅槃に到る要道なれば之を八支聖道と名づく。
四句―苦、集、滅、道の四は本來自然の定則なれば之を四聖諦と名づく。
具眼―佛陀を指す。)
二七四 是れ即ち正しき思想の道なり、他に(正しき思 . . . 本文を読む