十善戒ご詠歌
不殺生 なぐさみにものの命をとる人は、末々までも栄えざりけり
不偸盗 ひまぬすむ心は、人のもの盗む 盗みのわざとかわらざりけり
不邪淫 色欲はわが身のくさり心して、浮気起こさずしられもすな(してはいけない)
不妄語 夢だにもいつわり云うなもろ人よ 仏は常にしろしめすなり
不綺語 かざりごと云うてその場を通すとも 末は通れぬ極楽の道
不悪口 人々をそしりからかうひまあらば . . . 本文を読む
修験宗旨書等・・・17
螺緒大事第十七(螺緒(かいのお、ザイルのこと二本1セットで、腰の両側に房が垂れ下がるよう結ぶ)とは梵字の阿字出入の命息である)
夫れ修験法螺とは梵字のばん字言説の智体法身説法内証なり。螺緒(かいのお)とは梵字の阿字出入の命息なり。二色和合の線源なり。故に両の緒は各の梵字のばん字の形に之を結ぶ、すなわち二水和合の姿也。経に曰く、「二水和合して一円塔を成す。ばん字転成して三業に . . . 本文を読む
今日は数日前の天気予報では曇りのち雨ということでしたが、午後はポカポカした小春日和になりました。
今年最後のお参りなので江戸までは護国寺境内にあったという江戸川橋の今宮神社へお参りし般若心経を上げました。本殿には東京神社庁作成の「12月のいのちの言葉」として井上正鉄(禊教教祖)の「天地のご恩、日夜に忘れぬは、神道のはじめと存じ奉り候」という言葉が置いてありました。
この言葉を味わいつつ神社の前のゴ . . . 本文を読む
修証義
2017-12-16 | 諸経
修証義
・第一章 総序
生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし。
人身得ること難し、仏法値うこと希れなり、今我等宿善の助くるに依りて、已に受け難き人身を受けたるのみに非ず、遇い難き仏法に値い奉れり、生死の中の善生、最勝 . . . 本文を読む
修験宗旨書・・・16
十界修行第十六(峰中で行われる10種の修行を十界修行という。《華厳経》に説かれている成仏過程である地獄,餓鬼,畜生,修羅,人,天,声聞,縁覚,菩薩,仏の10の段階のそれぞれに,修行者の五体が大日如来の五大と悟る座法である床堅(とこづめ),懺悔,修行者の犯した罪の重さを計る業の秤(はかり),水断,水汲みの作法である閼伽(あか),相撲,扇を以て舞う延年,護摩のための木をあつめる小 . . . 本文を読む
修験宗旨書等・・・15
柴燈第十五 (柴燈護摩は阿閦・阿弥陀・大日・宝性・釈迦の五佛の境地でこれを焚くべし)
夫れ修験の柴燈とは五佛の三摩地に住してこれを修すべきなり。謂く、東方阿閦の木を西方弥陀の金を以て切り、中央大日の大地に南方宝性の火を付け、北方釈迦の水を洒ぎもって之を消す。裏書にいわく、小木とは即護摩壇の木なり、長さ一尺八寸、表六根六境六識の十八界を表す。三囲半の繞索は三身円満の義、半ば成 . . . 本文を読む
修験宗旨書・・・14
三種成仏第十四(修験道では、即身成仏(始覚)即身即佛(本覚)即身即身(始本不二)の三種成仏を説く)尋ねていわく、顕教には性了縁の三因成仏を説き(おもに天台宗で説く。涅槃経でいう正因・了因・縁因の仏性。正因は先天的にそなわったもの,了因は理をあらわす知恵,縁因はすべての善行のもとになるもの。)密には理具・加持・顕得の三種の成仏(理具成仏(理念)、「加持成仏」(実践)、「顕得成仏 . . . 本文を読む
般若心経の功徳とは
お大師様の「般若心経秘鍵」には「誦持講供すれば則ち苦を抜き楽を与え、修習思惟すれば則ち道を得、通を起こす。」とあります。(即ち現世利益も覚りもともにいただけるということです。)
訳経者の玄奘三蔵自身が印度への求法の旅の途中で悪鬼に襲われたとき般若心経を唱えて救われたとあります(大慈恩寺三蔵法師傳)
他のお経にも功徳が書いてあります。
「良家の男子にせよ女子にせよ、 . . . 本文を読む
修験宗旨書・・・13
閼伽水第十三(新入りの行者は毎日三荷の閼伽水を汲む、閼伽水は五智の徳を持つ故に)
夫れ閼伽水とは,閼伽とは梵語なり、ここには無垢と訳す。水とは漢名なり。凡そ水とは本性清浄なり。故に諸仏は水を以て性となす。衆生は水を以て体となす。然れば則ち初入の新客本来清浄の水を汲み、五塵煩悩を洗う。秘伝に曰く「水に五智の徳あり。所謂水性澄寂にして一切の色相を顕現す、大円境智なり、一切万像水中 . . . 本文を読む
修験宗旨書等・・・12
無相六度第十二(修験道は究極の六波羅蜜を備える)
夫れ修験所談の無相六度とは一心に本来より万法を具足して差別の相を見ず、十界の依正生佛不二(外界と自己、衆生と佛は一つ)の体性なるゆえに、自他の形相を亡じ、能所の二用を絶し、万法悉く法体の當体にして別の心行なし。故に無相という。一に布施とは自性の霊光万機を照らし、自他平等にして応用遍ずこれなり。二に、持戒とは仏性本より清浄なり . . . 本文を読む
修験宗旨書・・・11
無作三身第十一(修験では森羅万象すべてはそのままで真理を顕しているとする)
夫れ修験所談の無作三身とは本来即佛の故に無作三身(法・方・応の三身はそのままで真理)という。凡そ道理は一切衆生色心の万法己心の法体にして本来法界に周遍して僻あることなし。常住不変なり。之を法身となす。次に彼の法身の當体己己として本覚顕照の徳あり。了了として分明なり。之を報身となす。次に彼の報身の当体、 . . . 本文を読む
富岡八幡宮の事件はアナトールフランスの小説の題を思い起こさせます。そしてそれは明治政府の神仏分離まで遡って考えるきっかけを日本人に再度与えていると思われます。
結論を先に書きます。明治の神仏分離以来日本は三度の戦争・原爆被害・関東大地震・東日本大地震・原発事故等の凄惨な歴史をたどってきました。是は偏に明治の神仏分離という日本の国体を破壊した大愚行に依ります。千数百年続いてきた神仏一体の日本を早急に . . . 本文を読む
来年は慈雲尊者ご生誕三百年です。大阪法楽寺で12月16日記念講演会等が開催されます。
ここにあります。「慈雲尊者生誕三百年 第3回記念講演会
平成29年12月16日(土)13時-16時
★演題「慈雲尊者と仏遺教経」
講師:Bhikkhu Ñāṇajoti〈石川覺應〉
(法楽寺維那・法楽寺HP 主編集者)
★演題「尊者の法語と遺墨の意義」
講師:小金丸泰仙氏
(如是室・不伝塾 . . . 本文を読む
修験宗旨書等・・・10
宝冠論第十(未修行の山伏も五智の宝冠をあらわす頭襟を著すのは、修験者はすべて凡身即佛迷悟不二を顕す姿であるから)
尋ねて云う、先達度衆は入峰己満の故、即大日金剛薩埵の位なり。五智の宝冠を着すること置きて論ぜず、しかるに今、未修行の輩人入峰以前手ずから宝冠を著す、もっともこれ信用しがたし、なんぞ其の理あるや?
答えて云、修験の行者は凡身即佛の極理、迷悟不二の内証なり。何ぞ煩わ . . . 本文を読む