新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ストラスブール街歩き③ ゲーテの恋。だが彼女を捨てた悔恨の情が作品に反映される

2019-02-02 | フランス・ストラスブール

 グーテンベルグ広場から少し戻って旧魚市場通りを歩く。ここで探したのはゲーテの家だ。
 1770年4月、20歳のゲーテは急行列車に揺られてフランクフルトからストラスブールに到着した。ストラスブール大学に入学するためだ。

 その時住んだのがここ旧魚市場通り36番地の家だった。「美しい長い通りで、人馬の往来が絶えず、徒然なる心を慰めてくれた」と書き残している。

 その家は今もあった。しかも2階部分にはゲーテの横顔のメダイヨンが掛かっていて、見つけるのに苦労はしなかった。

 ゲーテはこの年の10月、ストラスブールから30キロ離れた村、ゼーゼンハイムを訪れ、村娘フリーデリーケを見初めることになる。
 ゲーテは、18歳の村娘と恋に落ちた。「この時、田舎の空にこの上ない愛しい星が輝きだした」。
 だが、ゲーテは大学卒業と同時に純真な娘を置いたまま、フランクフルトに帰ってしまう。

 彼の心の中にはその悔恨の念が常に付きまとっていた。作品「ファウスト」の中に登場する悲劇的な運命の娘グレートヒェン(ファウストの野心の犠牲になる娘)はまさにフリーデリーケの投影だとされる。
 
 そんなゲーテについて、ゼーゼンハイムの村人たちは「ゲーテ?ああ、司祭さんの娘を誘惑したままでドイツに行ってしまった若者のことかい?」と、皮肉たっぷりに語るという。

 この通りには「ストラスブール クリスマスの都市」というネオンサイン入りのイルミネーションが設置されていた。

 次にプティットフランス地区に進もう。

 ここには木骨組み造りの家々が立ち並ぶ特徴的な街並みで知られる。

 石造りの土台から家屋部分がせり出す持ち出し構造になっている。

 また、屋根の勾配が急で、白川郷の家屋を連想させる趣だ。

 屋根に大きな開口部を持つのは、屋根裏部屋で皮を乾燥させるために大きな通風孔が必要だったことからきている。

 こうした建物はドイツ的な特徴で、「典型的なドイツの街を見たいのであれば、ストラスブールに戻らなければならない」と評する建築史家がいるくらいだ。


コメント (2)
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