新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

上野歴史散歩⑩ 不忍池の裏側にはしゃれた洋館・三菱財閥岩崎家の本宅が今も残る。災害時には住民に避難所として開放されたことも。

2022-09-17 | 上野歴史散歩

 不忍池の淵を回って行くと、旧岩崎邸庭園にたどり着く。この建物は三菱財閥岩崎家本邸として1896年に完成した。設計者は日本の西欧建築の父とも称されるイギリス人建築家ジョサイア・コンドル。完成当時は1万5千坪という広大な敷地に20棟以上の建築が並んでいたが、現在は3棟だけが残っている。

 中心となる洋館は、本格的なヨーロッパ式邸宅。17世紀のイギリスで流行した、重厚なジャコビアン様式の装飾が施されている。

 裏側に回ると、開放的なベランダに行き着く。列柱の間から見晴らす庭園が心地よい。

 ふんだんにスペースを取ったベランダで、ここで日光浴でもしながら日がな一日時間をつぶしてみたい、といった気持ちが沸き上がった。

 どこか懐かしい感じがしたが、それは数年前に訪れた長崎のグラバー邸のベランダとも似ていることを思い出した。手すりにはイスラム風のデザインがあしらわれている。

 内部の階段もいい感じ。装飾が各所にあしらわれている。

 庭に降りて建物を眺める。見上げれば一層しゃれた感じが強調される。

この建物は、1923年の関東大震災時には、付近の住民の避難所として開放されたというエピソードも残っている。。

 明治期の洋館の中でも異色なのは、別棟として建てられた撞球室。つまりビリヤード場で、本館とは全く様相を変えて、まるでスイスの山腹で見かける山小屋のような風情。

 ちゃんとしたビリヤード台も残っていた。

 帰りがけに、玄関右側にある石塀に紋章が刻まれているのを見つけた。遠くから撮ったのでちょっとわかりにくいが、中央の丸い出っ張りの中に三菱の社章の基となった岩崎家の家紋「重ね三階菱」の意匠が刻まれていた。

 

 

コメント (4)
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