不忍池に浮かぶ弁天島。この島でだれもが気付くのは、やたら石碑が多いことだ。何気なしにそれらをたどってみた。
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まず目立ったのは琵琶の碑。ここが琵琶湖を模して整備されたという由来からして、もっともな碑だ。
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系統別でみると、特徴的なのは動物類の碑が多いこと。中でも一番目立っているのはふぐ供養碑。
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こちらはスッポン感謝の塔。これらは料理人たちからの、供養の意味が込められているのだろう。
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対してこれは鳥類を一まとめにした鳥塚。日頃料理させてもらっている(食べさせてもらっている)対象を供養するという、塚の本来の姿なのかもしれない。
ただ、動物類以外のものにも広がっているのが、この島の特徴だ。
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メガネの碑。このメガネは徳川家康が愛用していたメガネがデザイン化されているという。
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扇塚は舞扇の塚だ。初代花柳寿美が使っていた舞扇が埋められているそう。佐藤春夫の抒情的な詩が刻まれている。
「ああ 佳き人か おも影もしのばらざめや 不忍の 池のほとりに 香を焚き かたみの阿ふぎ 納めつつ」
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包丁塚は調理師の会が奉納したもの。
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いと塚。三味線や琴などの芸事に欠かせない糸への感謝の塚だ。
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さらには暦塚などというものもあった。
これらは基本的にそれぞれのものへの感謝の気持ちが込められているわけで、一神教のヨーロッパと違って八百万の神を奉る日本人らしさが表されたのかもしれない。
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さらに、こんな碑もあった。弁天島に渡る天龍橋の手前にあったのがカナリヤ碑。
「歌を忘れた カナリヤは・・・」という有名な唱歌は1918年に発表された西条八十の作詞だが、その西条がこの辺りを散策していた時に詩想が浮かんだということでここに碑が建てられている。
このように碑にもいろいろな背景が積もり積もっているんだなあ、と妙に納得させられる時間だった。