新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

上野歴史散歩㊻ 見る者の心をつかみ取る、エゴン・シーレの「目」と「指」

2023-03-03 | 上野歴史散歩

 エゴン・シーレの、あの極度の緊張と衝撃を与える絵画の源は、彼の描く目(顔)と指(手)からもたらされるものと思える。

まずは目。ほとんどすべての目は怒りまたは悲しみに満ちている。それは同じウイーンの代表的画家クリムトの描く目との対比でもはっきりと表れる。

 クリムトの作品「死と生」。ほとんど恍惚とさえ言える柔らかな表情で、いや目を開けてさえいない絵も多いのとは対照的だ。

また、同時代にパリで活躍したモディリアニも人を多く描いたが、これとも対極的な違いを見せる。

 妻ジャンヌの肖像画。モディリアニは目そのものさえ描かずに人物を表現した。

 そうした比較を行うまでもなく、シーレの描く目(顔)の特別なもだえのうねりには圧倒的な魂の表出を感じてしまう。

 参考までに、モディリアニもまた36歳という若さで病死した。シーレの死のほぼ1年後、1920年1月のことだ。それも、モディリアニの死の翌日妻のジャンヌ・エピュテルヌは妊娠8か月の身で投身自殺。シーレ一家の最期とほぼ同じ運命をたどった。

 そして指。どの手、指もやせ細り、とんがっている。

世界で最も有名な人物画「モナリザ」を見てみよう。

 スフマート手法で描かれたモナ・リザの指は、柔らかく肉感的な温かさも感じさせる。いわば‟微笑み“の手なのに対して、シーレは叫びそのものだ。一片の妥協も許さないという主張が、その指先からほとばしっている。

 もう1つ、ロダンの作品「大聖堂」を見てみよう。柔らかく光を包み込むイメージ。希望を感じさせる手、指だ。

 だが、シーレの手はまるで光を拒絶しているかのように見える。

 このように、シーレはわずか28年の生涯を孤高のままで駆け抜け、全く独自の世界を築いて去って行った。
 最後に、ウイーンの心休まる風景を掲載してエゴン・シーレの特集を終えることにする。

 

 

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