エゴン・シーレの、あの極度の緊張と衝撃を与える絵画の源は、彼の描く目(顔)と指(手)からもたらされるものと思える。
まずは目。ほとんどすべての目は怒りまたは悲しみに満ちている。それは同じウイーンの代表的画家クリムトの描く目との対比でもはっきりと表れる。
クリムトの作品「死と生」。ほとんど恍惚とさえ言える柔らかな表情で、いや目を開けてさえいない絵も多いのとは対照的だ。
また、同時代にパリで活躍したモディリアニも人を多く描いたが、これとも対極的な違いを見せる。
妻ジャンヌの肖像画。モディリアニは目そのものさえ描かずに人物を表現した。
そうした比較を行うまでもなく、シーレの描く目(顔)の特別なもだえのうねりには圧倒的な魂の表出を感じてしまう。
参考までに、モディリアニもまた36歳という若さで病死した。シーレの死のほぼ1年後、1920年1月のことだ。それも、モディリアニの死の翌日妻のジャンヌ・エピュテルヌは妊娠8か月の身で投身自殺。シーレ一家の最期とほぼ同じ運命をたどった。
そして指。どの手、指もやせ細り、とんがっている。
世界で最も有名な人物画「モナリザ」を見てみよう。
スフマート手法で描かれたモナ・リザの指は、柔らかく肉感的な温かさも感じさせる。いわば‟微笑み“の手なのに対して、シーレは叫びそのものだ。一片の妥協も許さないという主張が、その指先からほとばしっている。
もう1つ、ロダンの作品「大聖堂」を見てみよう。柔らかく光を包み込むイメージ。希望を感じさせる手、指だ。
だが、シーレの手はまるで光を拒絶しているかのように見える。
このように、シーレはわずか28年の生涯を孤高のままで駆け抜け、全く独自の世界を築いて去って行った。
最後に、ウイーンの心休まる風景を掲載してエゴン・シーレの特集を終えることにする。