新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ボローニャ⑩ 時代を超えて7つの教会が共存するサントステファノ教会群

2018-09-11 | イタリア・ボローニャ

 この日はサントステファノ教会群に。教会前のサントステファノ広場は、市民がこぞって「私たちの街で最も美しい広場」と推奨する開放的な広場だ。

 この教会は時代を超えて7つの教会が建つ特別な場所だ。中に入ってみよう。

 死せるキリストを抱える聖母マリアの像「ピエタ」が目に入る。アンジェロ・ガブリエッレ・ピオの作。何と、これは紙でできているのだとのこと。

 次の教会へ。地下に入ると冷気を感じるような空間。ここが聖墳墓聖堂。もともとはエジプトの女神イシスの神殿だった。しかし400年代に聖ペトロニオがキリスト教の洗礼堂に変えたとのことだ。

 中央に、天井まで届きそうな説教台。

 11世紀、エルサレム巡礼が盛んになった時代にこの聖堂をキリストの墓に見立てて、イタリアのエルサレムとして再現しようとしたことから、聖墳墓聖堂と呼ばれるようになったという。
 長い間ここに聖ペトロニオの聖遺物が収められていたが、2000年に聖ペトロニオ聖堂に移された。

 次に入ったのは隣の聖ヴィターレと聖アグリコ-ラ教会。ローマ時代のものを活用した祭壇だ。

 最後の晩餐のレリーフが見つかった。

 小さめな群像が残っている。

 こちらはトリニティ教会。礼拝堂にはヤシの葉を持つ聖人の絵が。

 中庭に出た。心地よい風が吹いてきた。

 ここにも古いフレスコ画。


 この絵は「14世紀に造られたゴルゴダの礼拝堂のイメージ」と書かれたラテン語のタイトルがあった。

 一回りして外に出てきた。ここには満開のピンクの花。私には何の花かわからないが、とにかくさわやか!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボローニャ⑨ 市内一望の穴場スポットーーボスコ教会に行ってみた。

2018-09-08 | イタリア・ボローニャ

 あまり知られていないものの、意外に近くにボローニャ市内を一望できる穴場スポットがある。サン・ミケーレ・ボスコ教会のある高台だ。そこに行ってみた。

 中心部の聖ペトロニオ聖堂から少し南に行くと、ファリーニ通りという高級店が並ぶショッピング通りがある。そこから市内バス30番のボスコ教会行きに乗って約10分。終点で降りればそこが展望スポットだ。


 旧市街を南側から北に向かって見下ろす角度になる。こうして見るとボローニャには有名な2本の斜塔以外にいくつもの塔が立ち並んでいるのが実感できる。

 雄大な眺めだ。

 中心部の聖ペトロニオ聖堂をアップしてみた。ホテルの屋上から見た聖堂とは全く逆の側からの姿だ。

 その右側の教会クーポラが目立つ。

 奥の新市街には新しい白いビル群が見える。

 さて、ボスコ教会に入ってみよう。外観はわりに地味な造りになっている。

 だが、中に入ると見事な装飾が目に入る。

 主祭壇は金ピカだ。

 クーポラに描かれた絵は聖母被昇天?

 もう1つのクーポラにも華麗な絵が。

 この絵では天使が空を飛んでいる。

 聖書を掲げる聖人の姿も。

 ちょうどミサの始まる時間。あまり邪魔になってはいけないので教会を出て、またバスに乗り旧市街に戻った。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボローニャ⑧ ミケランジェロ、モーツアルト、天才たちはここから才能を花開かせていった。・・・聖ドメニコ教会

2018-09-04 | イタリア・ボローニャ

 サン・ドメニコ教会は1221年ドメニコ修道会を創設したドメニコ・ディ・グスマンに捧げられた教会だ。

 教会に入る前に高い塔が見えた。「ロザリオの聖母」。グイド・レーニがペストの終焉を記念して製作したもの。

 正面ファザードには聖ドメニコの絵が描かれている。

 中に入ると、まず目に飛び込むのが聖ドメニコの墓のある礼拝堂。その後陣ドームには「聖ドメニコの栄光」の絵。これもグイド・レーニの作品だ。

 聖ドメニコは1218年に初めてボローニャを訪れ、この街が伝道を行うのにふさわしいと感じてここに住み着いた。それから3年後、彼は亡くなったが、ドメニコ会は彼の遺志を継いで勢力を伸ばし、多くの教皇までもが排出するキリスト教の一大勢力になっている。

 この教会の最大の注目点は、ミケランジェロの制作した3点の彫像を所有しているところだ。

 ミケランジェロがボローニャを訪れたのは1494年。当時彼が住んでいたフィレンツェにはシャルル8世率いるフランス軍が接近しつつあった。まもなく 。まもなくフィレンツェは同軍に占領されたが、ミケランジェロはその直前にボローニャに脱出、約1年間のボローニャ生活を送ることになる。

 その間に依頼されたのがドメニコ教会の墓碑修復だった。依頼内容は,当時欠けていた3体の彫像制作。すでに完成していた墓碑の補修という、多くの制約を伴う作業だったが、若干19歳の若者は見事にやり遂げた。

 その、聖ドメニコの墓碑の全体像がこれだ。

 その中で、ミケランジェロの作品はまず上段左側にある聖ペトロニウス像(この写真では中央)。左足に重心を掛けた自然な立ち姿で制作した。隣の像たちが硬い立ち姿であるのとは対照的だ。

 2つ目は墓碑下段右側の「燭台の天使」。筋肉もりもりのたくましい天使だ。

 反対側にある別の燭台の天使(ニッコラ・デ・ラ・ルカ作)がほっそりとしているのとはかなりの違いだ。

 3つ目は墓碑裏側にある「聖プロクルス」。緊張をみなぎらせた立像は、後の彼の代表作となる「ダビデ」像の先駆けとなる要素が盛り込まれている。

 墓碑下段には、聖ドメニコの行った奇蹟の数々が示されている。

 また、墓碑の裏側にある聖遺物箱には、聖ドメニコの頭がい骨が入っているという。

 この礼拝堂の向かい側にあるのがロザリオ礼拝堂。

 アンジェロ・ミケーレ・コロンナらの天井画が飾られている。

 18世紀、この礼拝堂にはオルガンが置かれていたが、そのオルガンで当時14歳の少年が見事な演奏を披露したことがある。

 モーツアルトだ。1770年夏にボローニャに滞在し、マルティーニ音楽協会に入会して音楽理論を学んだことが記録に残されている。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボローニャ⑦ 「雲がその上を通るごとに、手前に倒れてくるような印象・・・」とダンテも記した2本の斜塔

2018-09-01 | イタリア・ボローニャ

 ボローニャの視覚的な特徴と言えば、市の中心部に建つ2本の斜塔だろう。
 
 高いほうの塔がアシネッリの塔で97・2m。12世紀初頭に建設され、現在までの約900年もの間倒壊せずに立っている。ただ、西側に2・23mの傾斜がついている。

 一方、低いほうの塔はガリセンダの塔。アシネッリの塔と同様に12世紀の建設で、60mの高さだったが、1360年に地盤陥没が起きたため危険となり、上部をすこしカットして現在は46・16mになっている。こちらは北東側に3・22mの傾斜になっている。

 低いほうのガリセンダ塔でも、真下からだと相当に高く感じる。

 13世紀ころにかけては、ボローニャには100本を超える塔が立ち、まさに百塔の街だったが、次第に地震や人災などで大半は倒壊してしまった。

 それでもこの2本を含めて20本程度は残っているという。

 ガリセンダの塔はダンテの「神曲 地獄篇」にも登場する。

 「ガリセンダの塔は傾斜している方から見上げると、雲がその上を通るごとに手前に倒れてくるような印象を受ける・・・」。
 ダンテはボローニャ大学で学んでおり、斜塔にも当時日常的に接していたことから、こんな描写が作品に登場することになったのだろう。
 つまり、ダンテの時代からすでにこの塔は傾いていたということになる。

 私が宿泊していたホテルは2本の塔のすぐ近くだったので、毎日街に出かけるときは斜塔の前を通る形になった。

 直下で見るとアシネッリの塔の根元はこのくらい傾いている。

 塔のヘリに腰掛けて読書する女性など、この周辺では毎日日常的な風景が展開される。

 そんなわけで、ホテルの屋上からは斜塔が間近に眺められる。2本の塔がまるで肩を寄せ合って語らっているかのように見えるときも。

 そして、夜明けのシルエットはちょっと神々しい感じも。

 2本の塔の真ん中には街の守護聖人聖ペトロニオが街を見渡している。

 夜、フィレンツェ散策から帰った時には、塔に挟まってライトアップされた聖人が、こちらに向かって「お帰り」と、手を振ってくれているように見えた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする