サン・ドメニコ教会は1221年ドメニコ修道会を創設したドメニコ・ディ・グスマンに捧げられた教会だ。
教会に入る前に高い塔が見えた。「ロザリオの聖母」。グイド・レーニがペストの終焉を記念して製作したもの。
正面ファザードには聖ドメニコの絵が描かれている。
中に入ると、まず目に飛び込むのが聖ドメニコの墓のある礼拝堂。その後陣ドームには「聖ドメニコの栄光」の絵。これもグイド・レーニの作品だ。
聖ドメニコは1218年に初めてボローニャを訪れ、この街が伝道を行うのにふさわしいと感じてここに住み着いた。それから3年後、彼は亡くなったが、ドメニコ会は彼の遺志を継いで勢力を伸ばし、多くの教皇までもが排出するキリスト教の一大勢力になっている。
この教会の最大の注目点は、ミケランジェロの制作した3点の彫像を所有しているところだ。
ミケランジェロがボローニャを訪れたのは1494年。当時彼が住んでいたフィレンツェにはシャルル8世率いるフランス軍が接近しつつあった。まもなく 。まもなくフィレンツェは同軍に占領されたが、ミケランジェロはその直前にボローニャに脱出、約1年間のボローニャ生活を送ることになる。
その間に依頼されたのがドメニコ教会の墓碑修復だった。依頼内容は,当時欠けていた3体の彫像制作。すでに完成していた墓碑の補修という、多くの制約を伴う作業だったが、若干19歳の若者は見事にやり遂げた。
その、聖ドメニコの墓碑の全体像がこれだ。
その中で、ミケランジェロの作品はまず上段左側にある聖ペトロニウス像(この写真では中央)。左足に重心を掛けた自然な立ち姿で制作した。隣の像たちが硬い立ち姿であるのとは対照的だ。
2つ目は墓碑下段右側の「燭台の天使」。筋肉もりもりのたくましい天使だ。
反対側にある別の燭台の天使(ニッコラ・デ・ラ・ルカ作)がほっそりとしているのとはかなりの違いだ。
3つ目は墓碑裏側にある「聖プロクルス」。緊張をみなぎらせた立像は、後の彼の代表作となる「ダビデ」像の先駆けとなる要素が盛り込まれている。
墓碑下段には、聖ドメニコの行った奇蹟の数々が示されている。
また、墓碑の裏側にある聖遺物箱には、聖ドメニコの頭がい骨が入っているという。
この礼拝堂の向かい側にあるのがロザリオ礼拝堂。
アンジェロ・ミケーレ・コロンナらの天井画が飾られている。
18世紀、この礼拝堂にはオルガンが置かれていたが、そのオルガンで当時14歳の少年が見事な演奏を披露したことがある。
モーツアルトだ。1770年夏にボローニャに滞在し、マルティーニ音楽協会に入会して音楽理論を学んだことが記録に残されている。