新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ナンシー日帰り旅① スタニスラス広場。わずかな日差しに黄金の門が一瞬だけ輝いた

2019-02-09 | ナンシー

 ストラスブール滞在中に日帰りでナンシーを訪れた。駆け足旅だったので、見かけた街の表面だけさらりと紹介しよう。

 朝、まだ薄暗い中、到着した電車に乗った。ナンシーまで約1時間30分。

 ナンシー到着後、まずは朝食。駅前にあるエクセルシオールカフェに入った。ここはホテル付属の華やかなカフェレストラン。内装はアール・ヌーボー様式で造られている。

 9時過ぎの時間、もう朝カフェを楽しんでいるグループもあちこちに。

 天井の曲線が美しい。1910年ヴュッサン・ビルジェの設計による。

 シャンデリアも下がっていた。

 窓も緩やかなアールで縁どられている。

 明るく優雅な雰囲気をゆったりと味わえるひと時だった。さて、街の中心部へ。

 まもなくスタニスラス広場の入口が見えてきた。ロレーヌ地方の中心都市であるこの街は、18世紀半ばに大規模な都市計画で3つの広場が建設された。
 その実行者がスタニスラス・レシチニスキー。彼はポーランド王だったが、王位争いに敗れてフランスに亡命。娘婿のフランス王ルイ15世のサポートでロレーヌ国王となり、ナンシーにやってきた。
 そこで彼が着手したのが都市再開発。中世からの旧市街と16世紀末に出来た新市街とが分断状態で、外敵の攻撃に弱い状況にあったため、地理的ハンディを解消するために市街地間の空白を広場建設で埋めようとするものだった。

 広場の中心にはスタニスラスの像。何か地球儀のようなものがかぶせられている。

 124m×106mの長方形の広場。バックには市庁舎や美術館などの建物が四方を囲んでいる。

 角には黄金の装飾門。これは金具工芸師のジャン・ラムールの作品だ。

 中央にネプチューンの噴水が配置されていた。雨模様の天気だったが、一瞬だけ雲が切れて青空になり、太陽が日を差し込んだ時があった。その瞬間の黄金門は見事な光を放っていた。



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ストラスブール街歩き④ イル川沿い散歩 マリーアントワネットがフランスの地に初の一歩を印した地。美しい教会。

2019-02-06 | フランス・ストラスブール

 夕方、ストラスブールを流れるイル川沿いを南に向かって歩いた。川が二股に分かれる地点にとてもスマートな2つの尖塔が立ち上がる。

 サンポール聖堂。1892年完成のすっきりした建築だ。

 冬の日没はあっという間に忍び寄る。あっけないほどに素早く日は落ち、

 名残の灯りが裸の樹木をシルエットにして浮き上がらせた。

 道沿いに白い教会の塔が、黄昏の空に突き刺さるように伸びている。

 枝に取り付けられた星がまたたく。

 家並みに陰影が付き始めた。
 暮色の中のイル川もたっぷりの趣を宿している。

 川沿いのガードレールにも照明が仕込まれており、それが光り出した。

 川に架かる幾つもの橋の欄干に沿って点けられた照明が点灯した。この橋は大聖堂の側面につながる橋だ。

 その先のライトアップされた建物はローアン宮。1742年完成のロマン様式の傑作だ。

 1770年4月、生まれて初めてフランスの地に一歩を印した少女が、この館で一夜を過ごした。彼女の名はマリーアントワネット。

 ハプスブルグ帝国の首都ウイーンからフランス王室に嫁入りするための旅路だった。340頭もの馬車を連ねた盛大な騎馬行列はまさに壮麗の一語。この行列を、ストラスブール大学に在学中だったゲーテも目撃していたという。

 マリーアントワネットは、この館で身に着けるものをすべてフランスのものに換えてパリを目指した。この時、司祭のルネ・ロランは「この見事な素晴らしい結婚から黄金の日々が生まれることでしょう」と祝福の言葉を述べた。だが、彼女には「処刑台の死」という過酷な運命が待ち受けていた。


 ローアン館を過ぎて振り返ると、川の水面にイルミネーションの光がちりばめられて煌いていた。

 プティットフランス地区に通じる通りには、風格のある建築群がずらりと並ぶ。

 いずれもアルザス風の建物だ。

 中でも教会の塔はひときわ目をひく。

 色彩も含めて多彩な趣を醸し出す夜景を、存分に堪能したストラスブール最終日の夜だった。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ストラスブール街歩き③ ゲーテの恋。だが彼女を捨てた悔恨の情が作品に反映される

2019-02-02 | フランス・ストラスブール

 グーテンベルグ広場から少し戻って旧魚市場通りを歩く。ここで探したのはゲーテの家だ。
 1770年4月、20歳のゲーテは急行列車に揺られてフランクフルトからストラスブールに到着した。ストラスブール大学に入学するためだ。

 その時住んだのがここ旧魚市場通り36番地の家だった。「美しい長い通りで、人馬の往来が絶えず、徒然なる心を慰めてくれた」と書き残している。

 その家は今もあった。しかも2階部分にはゲーテの横顔のメダイヨンが掛かっていて、見つけるのに苦労はしなかった。

 ゲーテはこの年の10月、ストラスブールから30キロ離れた村、ゼーゼンハイムを訪れ、村娘フリーデリーケを見初めることになる。
 ゲーテは、18歳の村娘と恋に落ちた。「この時、田舎の空にこの上ない愛しい星が輝きだした」。
 だが、ゲーテは大学卒業と同時に純真な娘を置いたまま、フランクフルトに帰ってしまう。

 彼の心の中にはその悔恨の念が常に付きまとっていた。作品「ファウスト」の中に登場する悲劇的な運命の娘グレートヒェン(ファウストの野心の犠牲になる娘)はまさにフリーデリーケの投影だとされる。
 
 そんなゲーテについて、ゼーゼンハイムの村人たちは「ゲーテ?ああ、司祭さんの娘を誘惑したままでドイツに行ってしまった若者のことかい?」と、皮肉たっぷりに語るという。

 この通りには「ストラスブール クリスマスの都市」というネオンサイン入りのイルミネーションが設置されていた。

 次にプティットフランス地区に進もう。

 ここには木骨組み造りの家々が立ち並ぶ特徴的な街並みで知られる。

 石造りの土台から家屋部分がせり出す持ち出し構造になっている。

 また、屋根の勾配が急で、白川郷の家屋を連想させる趣だ。

 屋根に大きな開口部を持つのは、屋根裏部屋で皮を乾燥させるために大きな通風孔が必要だったことからきている。

 こうした建物はドイツ的な特徴で、「典型的なドイツの街を見たいのであれば、ストラスブールに戻らなければならない」と評する建築史家がいるくらいだ。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする