新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

空を見上げる② 入道雲、雨雲、筋雲・・・。雲たちは世界の空で自由に作品を創り上げる

2021-07-13 | 雲を見上げる

 イタリア南部の都市ナポリ。紀元79年の大噴火でポンペイの町を死の町にしてしまった活火山ヴェスヴィオ火山が、その雄姿を見せる都市だ。

 ある日、そのヴェスヴィオをすっぽりと覆って入道雲が立ち上っていた。雄大さにかけては入道雲に勝る雲はないと思わせる。

 こちらも入道雲。地中海に浮かぶ島、マジョルカ島からの帰り、港から離れて行く船の甲板で海を眺めていると、遠ざかり小さくなってゆく街とは対照的に入道雲はいつまでも巨大であり続けた。

 ニースの近現代美術館は、屋上が展望スペースとして開放されている。ここで空を見上げると、まるで大きな鳥が翼を広げたような形の雲が伸びていた。ちょうど、展示されていた赤と緑の円のある造形作品とコラボでもしたかのように・・・。

 斜塔で有名なピサ。午前中は晴天だったが午後になって雲が出始めた。ある時、斜塔が煙を吐き出したような不穏な形を形成し、やがて上空に消えて行った。なんか不吉な想いに囚われた瞬間だった。(実はこの日の夕食で、しつこくチップを要求するレストランのウエイトレスと喧嘩したが、その前兆だったのかも・・・)

 イタリア最北端の町トリノ。街を流れるポー川のほとりを歩いていると、徐々に湧き出した雲が上空に飛び出るように広がった。これも天候悪化の前触れ!?

 同じような雲には日本でも出会った。奈良・法隆寺に向けて歩いている途中、法起寺の三重塔が見えるあたりで、こんな雲が空を覆い始めた。結局雨にはならなかったが、ちょっと胸騒ぎのする空模様だった。

 パリのランドマーク・エッフェル塔。塔に昇ろうと出かけたが、行列が出来ていてあまりに時間がかかりそうなので、昇るのは断念して周辺を見ているうちに雲行きが怪しくなった。向かいのシャイヨー宮の上あたりにもくもくと雨雲が湧いてきて、ほどなく土砂降りの雨。避難場所もなくずぶぬれになった思い出の日の写真だ。

 雲といっても、出現する雲が1種類だけとは限らない。同じ空にいろんな雲が混じりあう時もしばしばだ。浅草近くの吾妻橋を渡っていて空を見上げると、こんな風にいろんな雲が仲良く共生していた。

 

 

 

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雲を見上げる① 朝焼けに染まるオレンジの雲から、空を埋め尽くす鱗雲まで。

2021-07-09 | 雲を見上げる

階段紀行はまだ続きますが、少し気分を変えたテーマを間に挟みましょう。テーマは「雲」。

 旅の途中は日常生活と違って外にいる時間が多くなり、空を見上げる機会も格段に増えます。そこで、旅の中で出会った様々な雲の形を特集しましょう。 まずは朝の雲たち。

 海外旅行は必ず飛行機から始まる。何度も飛行機にはお世話になったが、とても印象的だったのがシベリア上空で見た夜明けの雲海。厚く空を覆っていたが、太陽は上空に上っていたので雲を鮮やかにオレンジカラーに染め尽くした。

 フランス コート・ダジュールの夜明け時。暗い空が次第に明るくなり始め、厚い雲、薄い雲、それぞれに異なった色(朱、黄、オレンジ)に染め分けられて幻想的なシーンが出現した。

 その翌日、同じ海岸を歩いていたら、夜明けの空から海に向けて一直線の赤い帯が落下してきた。

 これは一体何? 

 間もなくこの筋は消えてしまった。飛行機雲なら飛行機が墜落してしまったことになるのだが・・・。

 フランス・シャンパーニュ地方の都市ランス。ここの大聖堂は歴代フランス国王の就任式が行われた由緒ある聖堂。ジャンヌ・ダルクがオルレアン解放後シャルル7世を連れて戴冠式を行わせたのもこの場所だ。そんな大聖堂の見える場所にホテルを取り、朝方ホテルの窓から顔を出すと、少し霞の掛かった朝焼けの中で大聖堂の2つの塔がくっきりと浮かび上がるのを見ることが出来た。

 フランスとイタリアの国境の街マントン。目の前には地中海が広がる。その中空の1地点に細長く鮮烈な雲が出現した。あまり見たことのない雲。とても新鮮だった。

 秋のモンサンミッシェル。対岸での朝、島に行こうと外に出たら、一面に空を埋め尽くして鱗雲が広がっていた。空を覆う雲なのに、なぜかこの雲は空の広さを感じさせる。

 同様に、イタリア中部の街マントヴァでも鱗雲に出会った。近くの教会の鋭い尖塔と柔らかく無数にあふれる丸い雲との対比が面白かった。

 鱗雲はもちろん日本でもよく見られる。「隅田川の全部の橋を歩く」というテーマの一環で千住方面を歩いていると、千住汐入大橋付近でこの雲が広がっていた。「マンション群と鱗雲」。でも、比較するとヨーロッパの空の色の方が相当に青くて印象的だなあ。

 

 

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階段紀行・西日本 長崎編  急階段の先にマリアが出迎える大浦天主堂、花で飾られた平和公園への階段

2021-07-06 | 階段紀行・西日本 

 長崎市の大浦天主堂は、幕末の開国に伴って造成された長崎居留地に、外国人居留者の礼拝のために建設された。ゴシック様式の教会堂だ。

 1864年に竣工。その翌年に潜在キリシタンの訪問によって「二百数十年ぶりの信徒発見」の舞台となった場所だ。

 正面には2段階の階段が設置されている。この斜度は結構急に出来ている。それだけに階段下から眺める聖堂は、高々と天に向かって伸びていように感じられる。

 建設を主導したのはイエズス会から派遣されていたプチジャン神父。彼はフランス人で、パリのノートルダム大聖堂を始めフランス各地に建てられていたゴシック様式の教会を見ており、その高々とした尖塔を持つ教会が脳裏にあったことは間違いないだろう。

 ただし、わが国ではその当時それほどの高さの建築は不可能。そのため、真下に急な階段を設けることによって教会の崇高さを一段アップさせようとしたのかもしれない。

 階段の途中左側の小公園には、信徒発見の模様を描いたレリーフが掲げられている。

 そして、階段を上り切ると、正面入口で純白のマリア像が出迎えてくれる。

 

 長崎は坂の街。至る所に坂がある。その中でも味わい深いのが天主堂裏の細い坂道だ。天主堂の屋根越しに長崎港と海が臨め、しかも街中と違って観光客などはほとんど足を伸ばさない閑静な場所。

 カトリック信者である遠藤周作も、長崎を訪れた時はこの辺を散歩することが好きだったという。

 別の場所へ移動しよう。平和公園へはこんな花で飾られた階段を昇って行く。

 平和祈念像は北村西望作の青銅像。天を指した右手は原爆の脅威、水平に伸ばした左手は平和を象徴しているという。

 この旅の時にはあまり階段探索はしなかったのであまり写真はないのだが、オランダ坂(ここは階段の無い坂)の脇道に見えた階段。

 また、原爆資料館近くの山王神社は、階段を昇った2番目の鳥居が全体の3分の1だけ残った状態で立っている。これは、1945年の原爆投下による被害。残された部分は今も大事に守られている。

 この街には全国的に有名な橋がある。眼鏡橋。橋の入口は小さな階段になっていた。

 その眼鏡橋の1つ手前を楽しそうに走って渡る中学生たちが、妙にまぶしく見えた。

 最後に、全国的にこれも有名になった稲佐山からの夜景をどうぞ!

 

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階段紀行・西日本 尾道編下 修験道のような階段道を乗り越えて、千光寺山から見下ろしたしまなみ海道

2021-07-02 | 階段紀行・西日本 

 千光寺山の中腹にある天寧寺にたどり着いた。ここから眺める街並みの風景はまさに一服の絵になる。

 さらに上を目指す。と、今度は江戸時代以前からの古道のような階段道にぶつかった。修験道みたいな心持ち。そんな時に友人から電話が入った。「旅行中なんだよ」などと話しながら、ゼイゼイという息遣いが伝わり、相手に余計な心配をさせてしまった。

 少し行くと、今度は坂道が緩やかになってほっと一息。

 ようやく頂上に着いた。展望台に上り、眼下に広がるしまなみ海道を眺める。春の風が吹き過ぎて汗も収まるのを感じる。

 この展望台の階段は、螺旋階段。きれいな円形をしている。

 上り切って下を見ると、あら、ソフトクリームの看板がチョコンと置いてあった。

 帰りにはロープウエイを利用した。多々羅大橋だろうか、白い斜張橋の姿が美しい。

 下まで降りて、ロープウエイ発着所の近くにあった艮(うしとら)神社に寄った。ここは大林宣彦監督の「時をかける少女」のロケに使われた場所だ。

 帰りがけ、通りの家並みの切れ目から、もう1度山に向かう一直線の階段が見えた。

 

 

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