馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

地名バンザイ『広島城下町』

2010-11-01 23:30:45 | 旅行
5月の連休に広島城に行った。

ここで配られてたパンフに地名のこぼれ話があったので紹介します

毛利輝元は広島城とともに城下町づくりもすすめた。

当時、道路を挟んで両側を一つの町とした。
道路は「小路」と呼ばれ、そこに住んでた家にちなんだ名前がつけられた

例えば、

『餌差小路』は鷹の餌となる小鳥を捕まえる人の屋敷があったから。
当然、近くには「鷹匠町」という侍町がありました。


『三原屋小路』は中区大手町付近にあったようで、三原屋は大商人で三原から移住して酒造業を営んだ。ここに藩の賓客を宿泊させたとか。

『幽林小路』は中区榎町付近にあり、幽林さんという針治療師が住んでたそうな。
後に幽林が変化して「幽霊小路」と呼ばれたとか?

『藪小路』は幟町にあるが、城下の人々から「出そうで出んのが藪のユウレン」と謡われたそうで幽霊の噂が絶えなかったようです。

現在の小網町は『網打小路』と呼ばれ、網打ちをする漁民が多かったから。


『夫婦小路』は東角に本庄屋半兵衛、西角には天満屋かつという夫婦が東西に別れて住んでたそうです。
これはなかなか興味津々ですな!
さぞや下世話な噂が飛び交ったに違いない(笑)


天神町には『蛤小路』があった。
蛤を売る店があったから、と早合点しがちですが、実際には享保年間(1716~1736)の火災で新しく開かれた道なので、焼けて開いたという意味のシャレで蛤と名付けたそうな。
昔の人のシャレは本当に素晴らしいです。

『杉の木小路』は由来が不明だが、ここに頼春水(頼山陽の父)の屋敷があった。
現在頼山陽資料館に収蔵されてる頼家の資料が「杉の木文庫」と呼ばれていて、この小路にちなんでるのは言うまでもない

※今回は広島城の本田さんという方の論考を要約して紹介しました


Φ(*^ひ^*)φ
いやぁ、地名てホントに面白いですな!

でも、


これらの由緒ある小路や小路名が、現在ほとんど消滅してるそうです。
残念です(泣)。

♪(*^ひ^*)で
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする