【Q】織田信雄(のぶかつ)は信長の次男。
11歳に婿養子となる。
どこの当主となった?
イ)伊勢北畠家
ロ)伊予河野家
ハ)伊賀藤堂家
答えは一番下↓
≪小幡城下町へgo≫
2日目。快晴
2015年4月30日(木)
楽山園を出て南下する。
11時30分、
【織田家七代の墓】
初代信雄から七代信富までの墓。
信雄といえば、困った人で
小牧・長久手の戦いでは徳川家康の支援を受けて秀吉と戦うが、勝手に単独講和してしまった。
弱腰すぎる……
家康が関東に移った後、その旧領を与えると秀吉から言われたのに拒否して改易されてしまった。
大大名になれたのに……
最悪なのは
安土城を焼いた!
いやこれはたぶん、眉唾物と思うけどね。
あまり賢人にみえないが唯一織田家を大名として現在まで存続させた人です。
この時、うしろに下がったら石段の段差に気付かずつまづいた。
もし倒れてたら回りに誰もいないし……
石段の道を本堂へ
花しょうぶ?が咲いてる
『崇福寺』本堂
織田家の位牌はこの寺が管理してます。
4つの石仏がある。
真ん中の石仏は「聖観音坐像」、中世のもので町の文化財。
後ろに隠れてみえない石仏は
何かよくわからないが、古そうな感じ。
この後、さらに南下して「吹上の石桶」を見に行ったが、
同じところをぐるぐる回ったがどうしても見つけられない
頭にきて帰ることにした
帰りは雄川沿いを下る
雄川堰一番取水口
↓
突き当たりの道を右へ
↓
龍門寺
↓
12時10分、
『赤城神社』
由緒とかそういうものを書いたものがないので村の鎮守様かな?
群馬県なら赤城山ですな
↓
12時16分、
雄川堰三番取水口
二番口はどこにあったのだろうか?
民家の裏庭を勝手に通って本道に戻り、急ぎ駅へ向かいました
電車の時間が迫ってきたのでかなり飛ばしました
そして、
12時47分『上州福島駅』とうちゃく!
なんとか間に合った
記念に駅を撮影しようと自転車を停めた
ら、
身体が横転!
地面が側溝に向かって少し斜め下がりになっていて
もともとサドルが高くて足がつかなかったから
自転車ごと左側へ倒れた
あ、いたた、
痛~い!
名誉の負傷
いや不甲斐ない負傷
最後に油断した
とりあえず自転車を返して
駅のベンチで手当する
負傷は左腕だけだったのが不幸中の幸い?
服脱ぐと
3ヶ所から血がでてる。
手首付近は軽いので傷テープはった。
肘の間接付近に数ヶ所が大きなアザとなっていて
傷テープでは無理。
実は歯医者でもらったガーゼを持ってきてた
構内のホームにいたオジ様と駅員のオバ様に手伝ってもらって
ガーゼをセロテープで固定してもらった。
でも、ヒリヒリして痛い
近くに医院があったが、木曜の午後は休診になってる。
ここで死んでも、もう歳だし群馬県だし、悔いはない
あきらめて
12時56分発の電車に乗りました
赤城神社でお賽銭けちったためか、
最後の最後に武運つきた……
旅先で負傷したのは生まれて初めてだっただけに
かなり精神的ダメージが大きかった
続く
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
本日の答え、
『伊勢北畠家』
信長は伊勢攻めの際、北畠家に信雄を入れて力攻めをやめた。
北畠家当主となった信雄は次第に実権を得てたくみに周辺の武将を敗北させ、伊勢・伊賀を統一。
その後、北畠から織田の姓に戻し、名実ともに伊勢伊賀を織田家の支配下においた。
毛利元就が子供を婚姻によって吉川家や小早川家に送り込み、領土を乗っ取ったのと似たような手口ですな。
戦国武将、領土拡大策は軍隊による力攻めだけではなかったのです。
ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON
Φ(*^馬^*)φ
今年も我が家のイチジクが最盛期を迎えた
母が毎日、一生懸命食べてます
枝が隣の若夫婦宅に伸びていて、迷惑かけてる
申し訳ないのでイチジク少しでも分けてあげたいが、
我が家との境界争いで隣に反目する母、
一個たりとも渡す気はないようである。
うーん…
馬ひでにゃん
(*⌒Q⌒*)ヒヒーン
11歳に婿養子となる。
どこの当主となった?
イ)伊勢北畠家
ロ)伊予河野家
ハ)伊賀藤堂家
答えは一番下↓
≪小幡城下町へgo≫
2日目。快晴
2015年4月30日(木)
楽山園を出て南下する。
11時30分、
【織田家七代の墓】
初代信雄から七代信富までの墓。
信雄といえば、困った人で
小牧・長久手の戦いでは徳川家康の支援を受けて秀吉と戦うが、勝手に単独講和してしまった。
弱腰すぎる……
家康が関東に移った後、その旧領を与えると秀吉から言われたのに拒否して改易されてしまった。
大大名になれたのに……
最悪なのは
安土城を焼いた!
いやこれはたぶん、眉唾物と思うけどね。
あまり賢人にみえないが唯一織田家を大名として現在まで存続させた人です。
この時、うしろに下がったら石段の段差に気付かずつまづいた。
もし倒れてたら回りに誰もいないし……
石段の道を本堂へ
花しょうぶ?が咲いてる
『崇福寺』本堂
織田家の位牌はこの寺が管理してます。
4つの石仏がある。
真ん中の石仏は「聖観音坐像」、中世のもので町の文化財。
後ろに隠れてみえない石仏は
何かよくわからないが、古そうな感じ。
この後、さらに南下して「吹上の石桶」を見に行ったが、
同じところをぐるぐる回ったがどうしても見つけられない
頭にきて帰ることにした
帰りは雄川沿いを下る
雄川堰一番取水口
↓
突き当たりの道を右へ
↓
龍門寺
↓
12時10分、
『赤城神社』
由緒とかそういうものを書いたものがないので村の鎮守様かな?
群馬県なら赤城山ですな
↓
12時16分、
雄川堰三番取水口
二番口はどこにあったのだろうか?
民家の裏庭を勝手に通って本道に戻り、急ぎ駅へ向かいました
電車の時間が迫ってきたのでかなり飛ばしました
そして、
12時47分『上州福島駅』とうちゃく!
なんとか間に合った
記念に駅を撮影しようと自転車を停めた
ら、
身体が横転!
地面が側溝に向かって少し斜め下がりになっていて
もともとサドルが高くて足がつかなかったから
自転車ごと左側へ倒れた
あ、いたた、
痛~い!
名誉の負傷
いや不甲斐ない負傷
最後に油断した
とりあえず自転車を返して
駅のベンチで手当する
負傷は左腕だけだったのが不幸中の幸い?
服脱ぐと
3ヶ所から血がでてる。
手首付近は軽いので傷テープはった。
肘の間接付近に数ヶ所が大きなアザとなっていて
傷テープでは無理。
実は歯医者でもらったガーゼを持ってきてた
構内のホームにいたオジ様と駅員のオバ様に手伝ってもらって
ガーゼをセロテープで固定してもらった。
でも、ヒリヒリして痛い
近くに医院があったが、木曜の午後は休診になってる。
ここで死んでも、もう歳だし群馬県だし、悔いはない
あきらめて
12時56分発の電車に乗りました
赤城神社でお賽銭けちったためか、
最後の最後に武運つきた……
旅先で負傷したのは生まれて初めてだっただけに
かなり精神的ダメージが大きかった
続く
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
本日の答え、
『伊勢北畠家』
信長は伊勢攻めの際、北畠家に信雄を入れて力攻めをやめた。
北畠家当主となった信雄は次第に実権を得てたくみに周辺の武将を敗北させ、伊勢・伊賀を統一。
その後、北畠から織田の姓に戻し、名実ともに伊勢伊賀を織田家の支配下においた。
毛利元就が子供を婚姻によって吉川家や小早川家に送り込み、領土を乗っ取ったのと似たような手口ですな。
戦国武将、領土拡大策は軍隊による力攻めだけではなかったのです。
ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON
Φ(*^馬^*)φ
今年も我が家のイチジクが最盛期を迎えた
母が毎日、一生懸命食べてます
枝が隣の若夫婦宅に伸びていて、迷惑かけてる
申し訳ないのでイチジク少しでも分けてあげたいが、
我が家との境界争いで隣に反目する母、
一個たりとも渡す気はないようである。
うーん…
馬ひでにゃん
(*⌒Q⌒*)ヒヒーン