馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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〓おまQ〓923号『比叡山登頂記』その3

2016-03-31 21:45:00 | 旅行
【Q】西塔地区の本堂ともいうべき転法輪堂の奥の方に『瑠璃堂』がある。
このお堂の特徴は?

イ)延暦寺で一番に建てられたお堂
ロ)信長の焼き討ちをまぬがれたお堂
ハ)国宝の神像が残ってる

答えは一番下↓


2015年03月28日

【西塔】
昼食後、まず最初に訪れたのは

13時25分、
『にない堂』

2つのお堂が繋がってる
総称して、にない堂という。
左が「常行堂」
阿弥陀如来が本尊

右が「法華堂」
普賢菩薩が本尊

両方とも叡山焼き討ち後の1595年に再建された。
弁慶が中央の渡り廊下を天秤棒にして両堂を担いだ、という伝説がある。
かつぐ→になう

三井寺と延暦寺両方に弁慶の伝説が登場しますな


通り抜けて石段を下る


途中、左手に
『恵亮堂』えりょう堂

京都の妙法院を創建した和尚(大楽大師)が本尊。

さらに下った所にあるのが
『釈迦堂』国重文

正式には転法輪堂だが、本尊が釈迦如来なので一般に釈迦堂と呼ばれる。
1347年に建てられた三井寺(園城寺)の金堂を移設した。
ゆえに、比叡山のなかでは最古の建物となってる。

【西塔】地区の本堂でもある。
釈迦伝の絵物語があります
1、2500年前にヒマラヤのカビラ国で太子が誕生した


2、太子は宮殿で平和な生活をおくるが、疑問を抱く


3、世の無常を知り、修行に出ます


4、太子は修行を邪魔する魔女を撃退します


5、太子は菩提樹のもとで悟りを得、釈尊となられました


以上でおしまい。


西塔地区から東塔へ戻ります



13時45分、
再び『浄土院』

先に来た時は、昼御飯のため外から眺めただけだったが、
今度は中に入りました

「拝殿」

先にも説明したが、お坊さんが掃除されてます

裏庭はあのお坊さんが綺麗に整備されてるのでしょう。

雪がまだ残ってます

そして、

「伝教大師御廟」


合掌!



14時02分、
再び【東塔】地区に戻りました

『東塔』

正式には法華総持院東塔、
伝教大師は日本全国6カ所の聖地に宝塔を建立した。
それを統括する宝塔です

隣にあるのが
『阿弥陀堂』

昭和に建立された道場。
堂前に水琴窟があります

周りがうるさかったが、耳をすませばちゃんと音が聞こえました

我が輩の耳もまだなんとか使える…


石段を下って再び登る




『戒壇院』国重文

江戸時代に再建された。
戒壇は、僧に戒律を授けるための壇。
妖怪が出るとか、壇蜜が登場するとか、そのような場所
ではありません。
修行中のお坊さんが正式な僧侶になるためのお堂です。
伝教大師最澄が生存中には許可を得られず、
亡くなった後、嵯峨天皇の勅許がおりて創建された。

二重屋根が変わってますね。

『大講堂』国重文

僧侶の学問修行場。
法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など後に大宗派の開祖となった僧もここで学びました。

中にそれぞれの尊像が安置されてました。
撮影不可なので画像はアップできません

本尊は大日如来。
江戸時代1634年、根本中堂よりも先に建築された


14時40分、
石段の坂を下る

比叡山延暦寺のメイン本堂に向かいます

それにしても登ったり下ったりの繰り返し、

高野山のほうが歩くのは楽やな…


その4に続く👍


‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡

本日の答え、
『信長の焼き討ちをまぬがれた唯一の建物』
国重文。
薬師瑠璃光如来が本尊。
現存建物の中では転法輪堂の次に古い建物。
奥の方にあるので信長の兵は気付かなかったのかも?

ま、たくさんお堂がありすぎて全部見つけるのは難しいね。



残念ながら、この探訪では立ち寄れなかった
またいつか…


ブログ(画像あり)
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON


Φ(*^ひ^*)Φ
弥生3月もおわり!
3月は去る
ラジオから毎日流れた卒業ソングも今日まで。
明日から新年度でございます。

29日に彦根城の桜、開花しました
3月中に開花するのは珍しい
桜も年々早くなるなぁ


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
母がプレゼントで買ってくれたシャツ、
実は婦人物でした。
ずっとタンスの中にしまっておいたが、
もったいないので着た。
身体にピッタリで快適!

が、ボタンの位置が逆なので
戸惑ってしまう

なんでもないことだが、習慣とはおそろしいものである

ニャー

馬󾆾ひでにゃん󾆸
(*⌒Q⌒*)ヒヒーン
コメント
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