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ぽかぽか春庭「ひなまつりのダンス」

2012-03-03 00:01:30 | エッセイ、コラム
2012/03/03
ぽかぽか春庭十二単日記>もうすぐはるですね(3)ひなまつりのダンス

 gooブログ開設にあたって、自己紹介をどう書いたらいいのかと思いましたが、OCNカフェに2003年から書いてきたなかで、3月3日にUPした過去ログの中から再録して、自己紹介のかわりにしたいと思います。
☆    ☆    ☆    ☆    ☆
2008/03/03(2008年3月3日~6日OCNカフェ日記に掲載したものを
再録)
ぽかぽか春庭やちまた日記>ひなまつりのダンス

 古い上着を脱ぎ捨てて、颯爽と歩きだしたい春、3月。
 なんだか新しい気分と、「♪古い上着よさようなら~」の気分が重なり合う。
 ここで♪のあとの部分、メロディをつけて歌えた人、年がわかりますね、ご同輩。
 っても、私はナツメロ番組でおぼえたんですからね!
 「青い山脈」第一作公開時、生まれてないっ!!あれ?生まれていたかな?4度目のリメーク1988年版の公開あたりで息子が生まれたのは確かなんだが。

 1月 2月、暖房費節約のために、着ぶくれしていましたが、3月が来たなら、もちっと身軽になりたい。
 実際にはまだまだ寒くて、古い上着とて脱ぎ捨てられませんけれど。
 けれど、、、、
 戦後の物のない時代に育ち、「もったいない」が身に染みている私の世代、政治は捨てられるけれど、モノを捨てるのはむずかしい。
 長年使い込めば使い込むほど、新しい物に取り替えることが残念でならない。
 以下、4人の姪に読んでもらうためのmixy日記に書いた文の再編集版です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 姪の家の車、エスティマが壊れた。
 5年の間、どこへ行くにも家族いっしょに運んでくれた車には、愛着が強いだろうと思う。
 私が35年間使い続けたトースターも、昨年の年末に壊れた。

 我が家でもっとも長命を保っていた家電製品、35年間愛用しつづけたオーブントースターであった。
 毎日のように、朝食のパンを焼き、おやつのクッキーを焼き、夕食のグラタンを焼いた。
 35年間壊れずにいたのは、よほど「アタリ」の製品だったと思う。

 商品検査で厳しいチェックを受けて発売される家電であるが、「ハズレ」のときは、「1年間は無料で修理します」の、補償期間がすぎた1ヶ月後に壊れたりする。我が家の「大当たり」のトースター、お金で買った商品ではない。スタンプ交換商品。
 1972年に母が55歳で急死した後、「グリーンスタンプ」というスタンプシールを貼ったノートが十数冊残されていた。
 私はこのスタンプ帳を形見にもらい、トースターに換えてもらった。
 そのとき、特別にトースターが必要だったわけではないが、ちょうどスタンプ帖の冊数と交換可能な品がトースターだったのだ。

 現在、買い物をしても、飛行機に乗っても、ポイントがもらえる。最近はカード式でポイントはデジタル記録になっているが、昔は、店のおばさんがくれる小さなシールをスタンプ帳に張り込む作業をするのが、買い物から帰ったあとの、ささやかな楽しみだった。

 『ビッグコミックスピリッツ』に、1994年4月から1997年3月まで連載されていた一条祐子の作品、漫画『わさび』。毎回楽しみに愛読していた。
 ある回に、「パン屋のスタンプ帖」が出てくる。
 登場人物のひとり、帯刀家住み込みの手伝い、小原ふみは、パン屋のスタンプシールをためていた。食パンを買って1枚、メロンパンとカレーパンを買って2枚、というように集めて、スタンプ帳に貼っていく。
 スタンプを貯めて、マグカップとかケーキ皿とか、パン屋の景品と換えてもらうのが楽しみ。
 ある日、大事なスタンプ帖がダメになってしまう事件が起こった。

 ダメになったスタンプ帖のかわりに、「そのスタンプで取り替えようとしていた商品を補償する」という申し出に対し、ふみは思う。

 「そうじゃない、その商品がどうしても必要だからというわけでスタンプをためていたんじゃないんだ。何か必要な品物があるなら、スタンプをためるなんて悠長なことをせずに、お金を出して買えばいいじゃないの、と思う人は、”「スタンプをためる楽しみ”を知らない人なんだよ』

 私は『わさび』の、ふみのことばで、なぜ、私が母の形見の品の一つにスタンプ帳を選んだのか、わかった。
 スタンプシールを1枚1枚貼り付けていく行為とは、自分のささやかな日常生活をいとおしむこと。
 取り替えられる商品をあれこれ選ぶ楽しみとともに、自分の「平凡だがいとおしい日常」を、張り込んでいくのがスタンプ帖なのだ。
 私が形見にしたかったのは、買い物のあと、母が1枚1枚台紙にシールを貼り付けていた姿であった。

 「グリーンスタンプ帖、20冊たまったら、取り替えたい品があるんだ」と呟いてスタンプ交換のカタログを見ていた母の顔。
 何と交換しようかあれこれ考えていた母は、とても楽しそうだった。家族のために節約しながらも買い物をしてきた母の日常。その日常のひとつひとつの思いが、スタンプ帖に貼り込められていたのだろう。

 春の足音がきこえてくると、「さあて、昨日の買い物の分、スタンプ帖張り終えたら、おひな様、出そうね」と、母が号令をかける。
 戦後の物不足のころに生まれた私や姉の雛人形は、今のような豪勢な段飾りから見たら、寄せ集めの粗末なものだった。妹が祖父母からもらった御殿付きの内裏様と三人官女はそろいのものだったが、あとは、ばらばら。
 私と姉の人形は、胡蝶、高砂、汐汲や藤娘などの舞踊人形だったが、それでも自分の雛はお気に入りで、大事に思っていた。

 娘たちといっしょにひな壇を飾るのは、母の楽しみのひとつだったろう。
 私たちが成長してしまうと、おひな様を並べてはしゃぐこともなくなり、母がひとりで御殿の内裏びなだけ出すことも多くなってきた。
 ひなの顔を見て「おひな様って、さびしそうな顔をしているね」とつぶやいた、母の顔。このときの母の沈んだ顔は、もうすぐ長女を嫁に出す寂しさゆえだったろうか、それとも孫をひとりも見ることなく「女孫のおひな様を選ぶのが楽しみ」と言っていた夢を実現することなく早死にする宿命を、そうとは思わず予感してのことだったのか。

 母は、私が二十歳のときに「雛納むいき遅れし娘の細き面」という俳句をつくった。「次女は嫁にいかない」と決め込んでいた。
 ささやかな日常生活に楽しみを見いだしながら、ちびた鉛筆で、広告チラシの裏に俳句を書き付けていた母の姿。娘3人の成長と、新聞に自作の句が掲載されることが、なによりの母の幸せだった。 

 ひな祭りのもとは、紙のヒナを川に流して、人の世の災いや汚れを流す行事だった。
 何かを捨てたり流したりすることに特別な気持ちがよぎるのも、捨てること祓うことが日常の連続を改めるための行為だから。

 風呂に入って、ついさっきまで自分の体の一部だった垢を流す。古くなった自分は流れていき、新しい皮膚に生まれ変わった自分になる。
 「禊ぎ」とは、この「新しい自分」を儀礼化したものなのだろう。
 古くなり汚れや日常の手あかがついた自分を水に流して、新しい自分として再生する。それが「ひな祭り」の流し雛。
 現代は、紙雛を流すのではなく、華麗なひな人形を飾ることがひな祭りになっているけれど、深層にある願いは同じだ。

 1年間の女の暮らしのあれこれを思い出しながら、雛を飾る。1年間のよどみは白酒の酔いに流し、桃の花の生命力の中に新生する命を思う。
 それが、雛のまつり。

 娘3人のために箱から出して飾る雛のひとつひとつに、母も、1日1日を積み重ねる自分自身の「女の日常」を見ていたのだろう。細々とした日々のくらしを、ひたむきに生きていた母の一生、たったの55年。
 その母の思い出のひとつがグリーンスタンプだった。

 55歳で死んでしまった母の形見のひとつ。スタンプのまま取って置いたのではない。オーブントースターと交換した。トースターは、いわば「母が毎日楽しみにスタンプを貼っていた姿」の記念品だったのだ。
 私にとって、今年の「流し雛」は、トースターを川に流す、、、、って、川にじゃなくて、「不要品回収」のシールを買ってきてトースターに貼り付けて、燃えないゴミの日にだすこと。

いきし娘の部屋の広さや雛納む(春庭)
 長女をヨメに出したあと、母は姉の部屋を見てこんなふうに感じたのかなと思って春庭の詠む
 春庭の長女はどうやら「いきおくれし娘」になりそうだけど、まん丸い顔で、どう脚色しても「細き面」には詠めない。
と、思ったら、若い頃の私の写真もどうみてもまんまる顔でした。

 1972年当時の物価で17000円したナショナル製。トースターとしては、高級品のほうだったと思う。
 35年間、一人暮らしの朝のトーストも、子どもたちのおやつのマドレーヌケーキも、夕食の豚チャーシューも焼いた。

 娘と息子が「母が作る料理のうち、毎回失敗無く食べられるうまいものベストテン」のひとつに選んだのは「オーブントースターで焼く豚のチャーシュー」だった。
 生姜と大蒜を漬け込んだ醤油と酒に豚肉のかたまりを一晩浸してから、オーブントースターで30分焼く。最初10分、あとは5分ずつ、刷毛で漬け汁を塗りながら、少しずつ四面を回して焼く。
 他の料理はうまいときと失敗したときの差があるのに、トースターチャーシューは、いつでもちょうどうまく、中側しっとりに焼き上がった。
 働きつづけた愛着のあるトースター。

 年末に壊れても、捨てられずにいたけれど、1月13日の日曜日、新しいトースターを買ってきて、置くところがないからベランダに出した。
 いずれ、燃えないゴミの日、家電回収日にださなければ。

 作家、川上弘美のエッセイ集に、『ほかに踊りをしらない』という本がある。
 タイトルになっている「ほかに踊りを知らない」というエッセイはこんなお話

 「 長年使っていた電話機がこわれた。愛着のある電話を捨てるとき、電話機のまえで、お別れの踊りを踊って送り出してやった。
 東京音頭。
 ほかに踊りを知らないので。 」

 私はトースターのために何を踊って送り出そうか。
 私は東京音頭も八木節もよさこいソーランも踊れるけれど。
 「瀕死の白鳥」にしようかな。 
 マイヤ・プリセツカヤの、気品ある「瀕死の白鳥」には似てもにつかないが、サンサーンスの曲を流して、腕をゆらゆらと羽ばたかせて踊ろう。
 みずからの命の終わりを輝かせ、静かに息絶える白鳥のプライドを、トースターのために踊って送り出そう。

 え~、コメント書いてくださる方々、本日に限り、ツッコミご無用!
 「オバハンが踊るんじゃ、瀕死の白鳥じゃなくて瀕死のペキンダックでしょう」とか、「瀕死の豚の丸焼きでしょう」とかって感想、無用ですねん。
 せっかく品よくしんみりしてんのに。

 昨日、お天道様が太陽黄経345度を通り過ぎた。
 今年の啓蟄は、2008年3月05日。時刻:13:59 太陽黄経:345度。
 冬の間土にもぐっていた蛇も蛙も虫たちも、啓蟄をすぎれば、だんだんと土の上に顔をだすようになる。
 虫たちも踊り出す?
 はいはい、わかった。壊れたトースターを送り出すとき踊るダンス、「瀕死の白鳥」より、にぎやかに「天道虫のサンバ」がよさそうね。
 それともやっぱり、缶ビール片手に『ビヤ樽ポルカ』がいいかしら。

 え?「子豚のチャールストン」が似合うって?
 ええ、チャールストンも得意ですとも。
 モダンバレエもジャズダンスも、サンバもチャールストンも何でも踊れる、女版パパイヤ鈴木であるよ、私は。

 じゃ、「豚チャーシューのチャールストン」ってとこで。
 「五匹の子豚のチャールストン」のメロディで一曲、踊ります。
 親豚の私と子豚の娘が仲良く料理していると想像してね。
http://www.youtube.com/watch?v=IMDZkZmVfwM&feature=related
♪親豚子豚がいっしょに焼いてるブタチャーシュー 
♪とってもおいしい~んだ、チャールストン 
♪親豚子豚がトースタで焼いてる豚チャーシュー
♪いつもおいしい~んだ、ちゃーるすとん 
♪だって親豚子豚は仲良しで
♪いつもダンスをするのはチャールストン 
♪親豚子豚がトースタで焼いてる豚チャーシュー 
♪とってもおいしいんだチャールストン

 はい、これで方々にご満足いただける「トースターとのお別れダンス」になりましたっ!
 あれ?これじゃ豚の共喰いか?ま、いいや。

 山にも川にも、そよ吹く風にもそよぐ葉にも、人の心をつなぎ止めるものを感じてきた八百神の国。モノに対してだって、人のこころに通い合うものを感じてきた。
 99年使われた道具は「九十九神・付喪神(つくもがみ)」として敬われるようになるのだ、という言い伝えをきいた。
 長年愛用したモノと人とのふれあいを「神」の名にしたのが「つくも神」。

 トースターは35年の寿命だった。99年にはまだまだ足りず、つくも神にはなれない。でも、きっと「千の風」にはなっているだろう。

 もしも、春先の光る風のなかに、かすかにトーストの香ばしいかおりがしてきたら、、、、、、それはきっと、風になったトースターが送ってきたものにちがいない。
~~~~~~~~~~~~~
mixy日記:姪からのコメント(エスティマとのお別れ)
踊ってあげられなかったけどレッカーに積載されながら歌を歌った(´・ω・`)
長年使った物とのお別れは寂しいね。(2008年01月16日 23:49 )
☆    ☆    ☆    ☆    ☆
 以上、3月3日に掲載した過去ログの中で、一番のお気に入りエッセイを自己紹介がわりとさせていただきます。

<もうすぐはるですね-おわり>
コメント (25)
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