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ぽかぽか春庭「三の丸尚蔵館の正倉院裂れ復元展示」

2012-03-30 00:00:01 | アート
2012/03/30
ぽかぽか春庭十二単日記>布をみる(3)三の丸尚蔵館の正倉院裂れ復元展示

 3月18日、雨のなか、三の丸尚蔵館と近代美術館工芸館をまわりました。
 東京駅から大手門へ。三の丸尚蔵館、無料公開が何と言ってもうれしい。皇族の財産相続にあたって相続税対策として美術品が国へ寄付され、一般公開されているものです。
 18日は、日曜日だったので、三の丸尚蔵館の狭い展示室はかなり混み合っていました。いつもは人もまばらな尚蔵館ですけれど、今回の展覧会については皇室ニュースとしてテレビでも新聞でも報じられたので、見学者も多かった。
http://www.kunaicho.go.jp/culture/sannomaru/zuroku-45.html

 皇室の養蚕は、奈良時代からの伝統と言われていますが、千年も途絶えていたのを、絹製品輸出振興国策の一環として昭憲皇太后らが明治時代に復興させたもの。
 この、御所での養蚕が、美智子皇后にも引き継がれてきました。紅葉山ご養蚕所では、小石丸という種類の蚕に桑を与えて育て、また、櫟(くぬぎ)の葉で育つ野生の蚕である天蚕の発絹糸をとっています。海外からの国賓などへのおみやげとしてこの絹糸から織られた布が贈呈され、皇后のドレス、内親王方の着物などもこの絹布から作られました。

 正倉院古代染織裂の復元が試みられ、調査の結果、小石丸の絹糸が最適とわかりました。しかし、小石丸は他の蚕にくらべ、繭が小さく生産性が悪いという理由で国内での生産は途絶えていました。わずかに紅葉山御養蚕所だけ、美智子さまの「古い伝統をたやさないで引き継ぐ」という方針のもと、小石丸の養蚕が継続されてきました。正倉院の小石丸繭の下賜要請を受けて増産が決定し、毎年繭の下賜が実現した結果、正倉院裂れの復元が可能となりました。
正倉院裂復元

 復元作業には多くの人々が関わりました。織りは京都の川島織物が担当したというのは、そうだろうと思っていたのですが、繭から糸を繰る作業は、群馬県の碓氷製糸農業協同組合が担当したことを知り、群馬の養蚕技術が関わっていることをうれしく思いました。富岡製糸の伝統を受け継ぐ技術。富岡製糸工場建物の世界遺産暫定リスト登録以上に、技術の伝承は誇るべきことと思います。

 今回の尚蔵館展示は、正倉院古代裂れの復元品の展示のほか、紅葉山養蚕所の作業のようすの写真や、黄繭種,白繭種,天蚕,小石丸から取られた絹糸、皇后さまがお作りになった藁蔟(わらまぶし:蚕が繭を作るときのベッドにあたるもの)などが展示されていました。
http://www.kunaicho.go.jp/event/sannomaru/tokubetuten.html

 また、皇后から秋篠宮眞子内親王への手紙が公開展示され、全文が掲示されていました。この中に「蚕が桑を食む小さな音が好き」と書かれていたことに共感しました。
 私は、母親の実家が養蚕をしていた時代を覚えており、蚕がサワサワと桑を食べる音が好きでした。同じものが好きなことを知り、親しみを感じました。ここのところには「恐れ多いことながら親しみを~」と書かなくてはいけないのでしょうけれど。

 手紙を見て感じたのは、御一家の問題。学習院小学校の「お年寄りの人たちが継続してきた仕事について調べてくる」という宿題は、東宮家の姫様にも同じような宿題が出されたであろうに、愛子内親王は「ばあば」に対して質問の手紙なんぞ出してはおられぬご様子だったから。次男家の嫁様、宿題が出れば、すかさず姑に手紙を書かせるのは、さすが。「あちら様よりわたくしどもの娘達の方が、ばあば様にお親しくかわいがっていただいておりますのよ」というアピールが国民にも伝わりましたです。

 養蚕の仕事を手伝うのも、次男家の嫁様と娘二人で、長男家は嫁も娘も養蚕に関わっていないようすがうかがえました。まあ、長男家でも次男家でもいいから、養蚕は続けた方がいいんじゃないかと。

 紅葉山御養蚕所の伝統が続いてきたように。市場経済の荒波にもまれない場所で続けられてきた文化を大切にしていきたい。生産性低くても小石丸養蚕が続けられたのは、繭を売って食っていかねばならない市場経済のフィールド外の場所として御所があったから。(今では日本古来の繭である小石丸のよさが認められ、群馬でも小石丸養蚕が復活しています)
 東博法隆寺館に残る伎楽面。ペルシャでも中国でも絶えてしまった雅楽や伎楽が日本では今まで千年も続いてきたのは、それを保持する所があったゆえ。

 復元なった正倉院裂れ、また春日権現絵巻の修復の展示を見て、小石丸養蚕廃止が検討された中、「古いものも残しましょう」と継続を主張した皇后(皇太子妃時代のことですが)の英断は見事だったと思います。蚕が桑を食むサワサワという音を好むというお人柄がなしえた決断だったと感じました。

 こう書くと、「戦後民主主義の支持者であるというのと、古い伝統を残せというのは、矛盾しないか」とかみつきたくなる人がいるのは承知。今の世の中、古い伝統文化云々と言い出すとたちまち民族主義者っぽっく見えるからです。
 ナショナリズムと戦後民主主義の問題について興味がある方に、以下の本をおすすめ。
 ナショナリストと自称する福田和也と戦後民主主義者と自己規定している大塚英志のふたりによる対談集『最後の対話―ナショナリズムと戦後民主主義』や、小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』
 また、「天皇と文化」に関しては、三島由紀夫の「文化装置としての天皇」論ではなく、品田悦一『万葉集の発明―国民国家と文化装置としての古典』なぞをご参照ねがいたく存知候。
コメント (2)
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