2013/05/05
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>無料ですごすゴールデンウイーク2013(3)映画「別離」
無料ですごすゴールデンウイーク。
無料の本を図書館で借りることもよい過ごし方だとは思うのですが、私の場合少々問題が、、、、
娘に叱られました。「母に図書館から電話がありました。母は、先週、本を借りて文化センターに置き忘れてきましたね。文化センターの人が中央図書館にその本を持って行ってくれて、母が借りたって分かったので、図書館から連絡がきたんです。母はね、何でもいろんな所でなくす人なんだから、もう図書館で借りちゃだめ。自分の本落とすならしかたないけれど、人様に借りたものをなくすなんて、最悪でしょう。ちゃんと責任持って返せる人でなければ、図書館の本借りちゃだめです」
ショボン。あれま、図書館で借りたはずの本が見当たらないから、どこかに潜っているのだろうと思ったのだけれど、文化センターでジャズダンス練習したとき忘れて来ちゃったんだ。ほんとに、私はいろんなものをいろんな場所に置き忘れるのです。本も鍵もめがねも時計も。だから、もうこれからは、図書館の本を借りない方がいい。ゴールデンウイーク、図書館禁止。
2日の仕事帰り。明日は休みと思うとちょっとのんびりしたいけれど、図書館禁止だし、久しぶりに映画を見ることにしました。夫が役にたつのは、映画館パスポートを貸してくれるときだけですから、たまには利用しないと、存在価値がなくなります。
イラン映画『別離』と中国香港合作『タオさんの幸せ』を見ました。飯田橋ギンレイはひとりの監督の2作品とか、ある女優の2作品などの2本立てなどで組み合わせますが、今回は、ストーリーを運ぶキーワードのひとつが「介護めぐる人間模様」が共通する2作品です。
まず、「別離」を紹介します。『別離』は、2012年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した直後に日本でもロードショウ公開されました。私は、本は文庫が百円古本になってから買うし、映画はロードショウ公開から数年してギンレイにかかってから、あるいはテレビ放映されてから見るので、紹介といっても、もう皆見ているかも知れませんけれど。
『別離』は、第61回ベルリン国際映画祭で、金熊賞(最高賞)と銀熊賞(男優賞・女優賞)を受賞し、第69回ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞受賞、第84回アカデミー賞で外国語映画賞受賞というイラン映画です。
とても見応えのある映画で、ラストシーンまでそれぞれの登場人物の演技もすばらしかった。
女の子を持つ2組の夫婦が登場します。女子中学生テルメーの進学問題に心を砕くのは、銀行で働いているナデルと英語教師シミン。シミンはテルメーのよりよい教育環境を得るために、長い間奔走して外国移住の許可証を手に入れました。イランの上流階級の人々は、高度な教育を受けさせるため、子女を留学させます。その費用が出せない中産階級の場合、一家で移住することが手段のひとつです。
しかし、ナデルは父親がアルツハイマーを患っているので、「一家で移住はできない」と思い、移住には反対です。
親族が老人の介護をすることがイスラムの教えに忠実な方法と考えられているイランでは、介護施設に親を入れるなど、親不孝の最たる者と見なされてしまいます。英語教師の仕事をこなしつつ舅の介護を続けてきたシミンには、もう心身に限界が来ているぎりぎりの選択だったのでしょう。
シミンは家庭裁判所に離婚を申し立てて、実家に帰ってしまいます。シミンから見ると、夫が妻よりも父親を選んだと思われるのです。
妻が出て行ったために、ナデルは知り合いのつてで、家事介護を頼むヘルパーを雇います。4歳の娘ソマイェを連れている貧しいラジエーです。中産階級のナデルにとって、銀行員の給与の中からヘルパー代を出すのはたいへんな出費です。
シミンはスカーフを巻くだけの「軽装」ですが、ラジエーは、黒いチャドルを着て頭から足まですっぽり蔽っています。ラジエーは、粗相をしたナデルの父を着替えさせるにも、夫以外の男性の裸を見ることが罪になるかどうか、聖職者に電話で問い合わせるほどの敬虔な信者です。
ラジエーは、失業中の夫ホッジャトにないしょでヘルパーの仕事を始めました。イスラム法では「夫は妻を養うべし、妻は夫に従うべし」が大切な掟です。失業した夫に代わって働くというのは、ラジエーにとって教えに反する恐ろしい行為です。それでも、娘を飢えさせるわけにはいかず、ヘルパーとして働くことにしたラジエー。ラジエーにはもうひとつ秘密がありました。
ある日、ラジエーは、勝手に外に出ようとするナデルの父親をベッドにしばりつけて、ヘルパーの仕事を中断して外出しました。帰宅したナデルはベッドから落ちている父親を見て激怒し、仕事に戻ったラジエーをドアから押し出します。弱っていたラジエーは階段にうずくまり、近所の人の通報で病院に運ばれます。ラジエーは流産してしまいました。
ラジエーの夫はナデルのしたことに激怒し、裁判が始まります。イスラム法では、受胎後4ヶ月後の胎児は人として扱われるために、ナデルは殺人罪で告訴されたのです。
本当にラジエーを押し出したことが原因で流産に至ったのか、ナデルはラジエーの妊娠を知っていたのか、をめぐって証人が呼ばれます。
信仰する宗教,家族の問題、イラン社会の格差、さまざまな問題がからみあって、真実の追究と家族を思う心が錯綜します。なぜラジエーは、仕事の途中で外出する必要があったのか、なぜその真実を隠そうとしていたのか。
ナデルとシミンの娘テルメーは、よりよい進学先のためにひたすら勉学する中学生でした。父親と母親の対立、ラジエーの幼い娘と交流するうち、今までは関心の外にあった貧しい層の問題やイランが抱える問題について理解していきます。多くのことがらが、家族の間で解決出来ることだけではないことも知っていきます。大人たちには保身のための嘘や偽りもあること、イラン社会に大きな問題があることも知っていきます。
テルメーはとても知的な顔をした中学生です。テルメーを演じたのは、監督アスガル・ファルハーディーの娘のサリナ・ファルハーディーです。テルメーが理解していく事柄を、今までイランの現実を多くは知らなかった私も知りました。イランにおける介護問題とか考えたこともなかった。強い家族の絆があるイスラム社会であっても、親の介護に問題を抱える人もいるということすら想像したこともなかった。現代化した都市社会では、テヘランであろうと東京であろうと香港であろうと同じ問題があるのですね。
貧困や格差や男女の問題、介護の問題、イラン社会の現実、イランだけの問題ではなく、世界中のさまざまな地域で人々を切り裂く刃となっています。これらのことがらに目を背けて「わが家だけの幸福」は成り立たないのだろうと思います。
世の価値観が「お金があれば幸福」「何でも買えることがしあわせ」というものから転換しない限り、この社会の溝はどんどん深くなっていく気がします。
世界中に、贅沢し放題の子どももいるでしょうし、ソマイェのように、失業した親のもとで、貧困にさらされながら育つ子も多いことでしょう。テルメーのように、勉強することが身を立てる最大の手段となる階層の子として、日夜勉強に励む子もいるでしょう。
子どもの日、世界中のこどもを思います。みんなしあわせに育ってほしい。豊かな心の子ども時代をすごし、豊かな心の大人に成長して欲しい。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>無料ですごすゴールデンウイーク2013(3)映画「別離」
無料ですごすゴールデンウイーク。
無料の本を図書館で借りることもよい過ごし方だとは思うのですが、私の場合少々問題が、、、、
娘に叱られました。「母に図書館から電話がありました。母は、先週、本を借りて文化センターに置き忘れてきましたね。文化センターの人が中央図書館にその本を持って行ってくれて、母が借りたって分かったので、図書館から連絡がきたんです。母はね、何でもいろんな所でなくす人なんだから、もう図書館で借りちゃだめ。自分の本落とすならしかたないけれど、人様に借りたものをなくすなんて、最悪でしょう。ちゃんと責任持って返せる人でなければ、図書館の本借りちゃだめです」
ショボン。あれま、図書館で借りたはずの本が見当たらないから、どこかに潜っているのだろうと思ったのだけれど、文化センターでジャズダンス練習したとき忘れて来ちゃったんだ。ほんとに、私はいろんなものをいろんな場所に置き忘れるのです。本も鍵もめがねも時計も。だから、もうこれからは、図書館の本を借りない方がいい。ゴールデンウイーク、図書館禁止。
2日の仕事帰り。明日は休みと思うとちょっとのんびりしたいけれど、図書館禁止だし、久しぶりに映画を見ることにしました。夫が役にたつのは、映画館パスポートを貸してくれるときだけですから、たまには利用しないと、存在価値がなくなります。
イラン映画『別離』と中国香港合作『タオさんの幸せ』を見ました。飯田橋ギンレイはひとりの監督の2作品とか、ある女優の2作品などの2本立てなどで組み合わせますが、今回は、ストーリーを運ぶキーワードのひとつが「介護めぐる人間模様」が共通する2作品です。
まず、「別離」を紹介します。『別離』は、2012年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した直後に日本でもロードショウ公開されました。私は、本は文庫が百円古本になってから買うし、映画はロードショウ公開から数年してギンレイにかかってから、あるいはテレビ放映されてから見るので、紹介といっても、もう皆見ているかも知れませんけれど。
『別離』は、第61回ベルリン国際映画祭で、金熊賞(最高賞)と銀熊賞(男優賞・女優賞)を受賞し、第69回ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞受賞、第84回アカデミー賞で外国語映画賞受賞というイラン映画です。
とても見応えのある映画で、ラストシーンまでそれぞれの登場人物の演技もすばらしかった。
女の子を持つ2組の夫婦が登場します。女子中学生テルメーの進学問題に心を砕くのは、銀行で働いているナデルと英語教師シミン。シミンはテルメーのよりよい教育環境を得るために、長い間奔走して外国移住の許可証を手に入れました。イランの上流階級の人々は、高度な教育を受けさせるため、子女を留学させます。その費用が出せない中産階級の場合、一家で移住することが手段のひとつです。
しかし、ナデルは父親がアルツハイマーを患っているので、「一家で移住はできない」と思い、移住には反対です。
親族が老人の介護をすることがイスラムの教えに忠実な方法と考えられているイランでは、介護施設に親を入れるなど、親不孝の最たる者と見なされてしまいます。英語教師の仕事をこなしつつ舅の介護を続けてきたシミンには、もう心身に限界が来ているぎりぎりの選択だったのでしょう。
シミンは家庭裁判所に離婚を申し立てて、実家に帰ってしまいます。シミンから見ると、夫が妻よりも父親を選んだと思われるのです。
妻が出て行ったために、ナデルは知り合いのつてで、家事介護を頼むヘルパーを雇います。4歳の娘ソマイェを連れている貧しいラジエーです。中産階級のナデルにとって、銀行員の給与の中からヘルパー代を出すのはたいへんな出費です。
シミンはスカーフを巻くだけの「軽装」ですが、ラジエーは、黒いチャドルを着て頭から足まですっぽり蔽っています。ラジエーは、粗相をしたナデルの父を着替えさせるにも、夫以外の男性の裸を見ることが罪になるかどうか、聖職者に電話で問い合わせるほどの敬虔な信者です。
ラジエーは、失業中の夫ホッジャトにないしょでヘルパーの仕事を始めました。イスラム法では「夫は妻を養うべし、妻は夫に従うべし」が大切な掟です。失業した夫に代わって働くというのは、ラジエーにとって教えに反する恐ろしい行為です。それでも、娘を飢えさせるわけにはいかず、ヘルパーとして働くことにしたラジエー。ラジエーにはもうひとつ秘密がありました。
ある日、ラジエーは、勝手に外に出ようとするナデルの父親をベッドにしばりつけて、ヘルパーの仕事を中断して外出しました。帰宅したナデルはベッドから落ちている父親を見て激怒し、仕事に戻ったラジエーをドアから押し出します。弱っていたラジエーは階段にうずくまり、近所の人の通報で病院に運ばれます。ラジエーは流産してしまいました。
ラジエーの夫はナデルのしたことに激怒し、裁判が始まります。イスラム法では、受胎後4ヶ月後の胎児は人として扱われるために、ナデルは殺人罪で告訴されたのです。
本当にラジエーを押し出したことが原因で流産に至ったのか、ナデルはラジエーの妊娠を知っていたのか、をめぐって証人が呼ばれます。
信仰する宗教,家族の問題、イラン社会の格差、さまざまな問題がからみあって、真実の追究と家族を思う心が錯綜します。なぜラジエーは、仕事の途中で外出する必要があったのか、なぜその真実を隠そうとしていたのか。
ナデルとシミンの娘テルメーは、よりよい進学先のためにひたすら勉学する中学生でした。父親と母親の対立、ラジエーの幼い娘と交流するうち、今までは関心の外にあった貧しい層の問題やイランが抱える問題について理解していきます。多くのことがらが、家族の間で解決出来ることだけではないことも知っていきます。大人たちには保身のための嘘や偽りもあること、イラン社会に大きな問題があることも知っていきます。
テルメーはとても知的な顔をした中学生です。テルメーを演じたのは、監督アスガル・ファルハーディーの娘のサリナ・ファルハーディーです。テルメーが理解していく事柄を、今までイランの現実を多くは知らなかった私も知りました。イランにおける介護問題とか考えたこともなかった。強い家族の絆があるイスラム社会であっても、親の介護に問題を抱える人もいるということすら想像したこともなかった。現代化した都市社会では、テヘランであろうと東京であろうと香港であろうと同じ問題があるのですね。
貧困や格差や男女の問題、介護の問題、イラン社会の現実、イランだけの問題ではなく、世界中のさまざまな地域で人々を切り裂く刃となっています。これらのことがらに目を背けて「わが家だけの幸福」は成り立たないのだろうと思います。
世の価値観が「お金があれば幸福」「何でも買えることがしあわせ」というものから転換しない限り、この社会の溝はどんどん深くなっていく気がします。
世界中に、贅沢し放題の子どももいるでしょうし、ソマイェのように、失業した親のもとで、貧困にさらされながら育つ子も多いことでしょう。テルメーのように、勉強することが身を立てる最大の手段となる階層の子として、日夜勉強に励む子もいるでしょう。
子どもの日、世界中のこどもを思います。みんなしあわせに育ってほしい。豊かな心の子ども時代をすごし、豊かな心の大人に成長して欲しい。
<つづく>