2013/05/23
ぽかぽか春庭@アート散歩>ボロの美と贅沢貧乏(3)BOROを集める
アミューズミュージアムの「ボロ布」
ボロに美を見いだしたコレクター田中忠三郎は、すごいと思います。青森では、出稼ぎなどで豊かな暮らしができるようになったあと、このようなボロ布を「貧乏時代の恥」として隠したり捨てたりしていたそうです。田中が集めておかなかったら、この「ボロ布の美」も気づかれないまま捨て去られていたところでした。
機会があったら、また見たいけれど、入館料1000円というのは高い。観光地だから千円払う人も多いだろうけれど、私は、またぐるっとパスを夏に買ったときもう一度行きます。「館内撮影自由」なのに、正月に入館したとき、デジカメもケータイも忘れていって、写真を撮れなかった。
これは、きれいな「こぎん刺し」の着物

読売新聞の記事より(2013年3月6日)
江戸から昭和期にかけての古い衣類や民具の収集・保存に尽力した青森市の民俗研究家田中忠三郎さんが5日午後、喉頭がんのため同市内の病院で死去した。79歳だった。
青森県むつ市出身。布が貴重だった時代に農家がつぎはぎを繰り返して大切に使った古着「ぼろ」など、県内に残る民俗資料に早くから着目。各地の集落や古民家を回るなどして収集を進めた。学術的価値が高く評価された786点は、1983年に国の重要有形民俗文化財に指定された。収集品の一部が黒沢明監督の映画に衣装として提供されたことでも知られる。
青森市の和菓子店「おきな屋」の元社長で、生前親交の深かった斉藤葵和子(きわこ)さん(69)は、山奥の旧家に足しげく通い、顔なじみになって古着を譲ってもらうなど、収集に労を惜しまなかった姿が印象に残っている。古美術商が自宅に買い取りに来ることも珍しくなかったが、そのたび「これはただでねえもんなんだ」ときっぱり断っていたという。「青森の田舎の風土がたまらなく好きな人だった。大学で学ぶような知識ではなく、感性に突き動かされた人だった」
講演や展示会では、何世代にもわたって県内の農山村に受け継がれてきた生活用具の大切さを訴え続けた。平川市在住のコラムニスト山田スイッチさん(36)は、よく「ものには心がある」と聞かされたといい、「黙っていれば捨てられてしまうものが、実は大切な文化なのだと早くからわかっていた。何とか残したいと思っていたのでしょう」としのんだ。(2013年3月6日 読売新聞)
葬儀は青森市内で行われ、筒井八ツ橋203の2のご自宅にもたくさんの弔問の意が届けられました。 青森市の歴史民俗展示館「稽古館」館長として公的な給与を得るまで、貧乏生活に耐えて夫を支えた妻の智子(さとこ)さんも、えらい奥さんだった、と思います。
<つづく>
ぽかぽか春庭@アート散歩>ボロの美と贅沢貧乏(3)BOROを集める
アミューズミュージアムの「ボロ布」
ボロに美を見いだしたコレクター田中忠三郎は、すごいと思います。青森では、出稼ぎなどで豊かな暮らしができるようになったあと、このようなボロ布を「貧乏時代の恥」として隠したり捨てたりしていたそうです。田中が集めておかなかったら、この「ボロ布の美」も気づかれないまま捨て去られていたところでした。
機会があったら、また見たいけれど、入館料1000円というのは高い。観光地だから千円払う人も多いだろうけれど、私は、またぐるっとパスを夏に買ったときもう一度行きます。「館内撮影自由」なのに、正月に入館したとき、デジカメもケータイも忘れていって、写真を撮れなかった。
これは、きれいな「こぎん刺し」の着物

読売新聞の記事より(2013年3月6日)
江戸から昭和期にかけての古い衣類や民具の収集・保存に尽力した青森市の民俗研究家田中忠三郎さんが5日午後、喉頭がんのため同市内の病院で死去した。79歳だった。
青森県むつ市出身。布が貴重だった時代に農家がつぎはぎを繰り返して大切に使った古着「ぼろ」など、県内に残る民俗資料に早くから着目。各地の集落や古民家を回るなどして収集を進めた。学術的価値が高く評価された786点は、1983年に国の重要有形民俗文化財に指定された。収集品の一部が黒沢明監督の映画に衣装として提供されたことでも知られる。
青森市の和菓子店「おきな屋」の元社長で、生前親交の深かった斉藤葵和子(きわこ)さん(69)は、山奥の旧家に足しげく通い、顔なじみになって古着を譲ってもらうなど、収集に労を惜しまなかった姿が印象に残っている。古美術商が自宅に買い取りに来ることも珍しくなかったが、そのたび「これはただでねえもんなんだ」ときっぱり断っていたという。「青森の田舎の風土がたまらなく好きな人だった。大学で学ぶような知識ではなく、感性に突き動かされた人だった」
講演や展示会では、何世代にもわたって県内の農山村に受け継がれてきた生活用具の大切さを訴え続けた。平川市在住のコラムニスト山田スイッチさん(36)は、よく「ものには心がある」と聞かされたといい、「黙っていれば捨てられてしまうものが、実は大切な文化なのだと早くからわかっていた。何とか残したいと思っていたのでしょう」としのんだ。(2013年3月6日 読売新聞)
葬儀は青森市内で行われ、筒井八ツ橋203の2のご自宅にもたくさんの弔問の意が届けられました。 青森市の歴史民俗展示館「稽古館」館長として公的な給与を得るまで、貧乏生活に耐えて夫を支えた妻の智子(さとこ)さんも、えらい奥さんだった、と思います。
<つづく>