2013/05/21
ぽかぽか春庭@アート散歩>ボロの美と贅沢貧乏(1)苦役列車貧乏
イケメン好きです。「知的なクール・ガイ」も、「あっけらか~んとして、バカそーだけど、かわいい」のもいい。一番のお好みは、ちょっと暗い影も併せ持っていたり、ニヒルな感じを漂わせているいい男。とにかく、イケメンはみんな好き。オダギリジョー、浅野忠信、井浦新なんぞの、ちょっと暗さをほの見せるのも好きだし、佐藤健などの「ちょいオバカ」系もかわいい。若手では、染谷将太の目がいいわ。
松田龍平高良健吾綾野剛なんぞと並んで、今わたしのお気に入りは、森山未來。『苦役列車』で日本アカデミー賞ほか演技賞受賞などが続くだろうけれど、その屈折したところを捨てないで、私の好みに折れ曲がっていてほしい。
昨年末のこと、『苦役列車』を息子といっしょに飯田橋ギンレイで見ました。
森山未來が演技力でせいいっぱいかっこわるくふるまっているのに、それでもなお、「これぞイケメン顔」の高良健吾の大学新入生ぼっちゃまより、けっこうカッコいいのはどうしたもんか。
未来君くんがカッコいいと、いくら貧乏ぶっても「そうやってダメ男やってるの、好きでやっているだけだろ」という気がしちゃって。「小説のネタとしてはわかるけれど、ほんとの貧乏はそんなもんじゃないからなあ」と思ってしまう。ラストシーンでタップダンスでも踊り出したらドーしようかと思ったくらいだ。
北町寛太の経験している貧乏は、這い出そうと思えばいくらでもいくらでも出て行けるレベルの貧しさです。抜け出そうとすれば抜け出せる貧乏でありながら、家賃払わずにフーゾクで抜いてもらうほうに日雇取りの金をつぎ込んでしまう。抜け出るより抜いてもらうほうに五千円、っていうダメぶりが「売り」なんだからまあ、フロ無し共同便所くらいは当然である。
実際、NHKハートネットTVに出演したとき、西村自身も言っている。
「もうね、貧困のレベルというか、世界が違うと思いますよ。僕の体験した貧困は、自分の努力次第でいくらでも抜け出せる貧困でしたし、周りの状況も今とは違っていましたから。たとえば、僕の頃は家賃を滞納しても結構許してもらえてたんです。今は1ヶ月の滞納も許されない場合が多いですし、現に番組の中でアパートを追い出されている人もいましたよね』
そう、西村賢太の貧乏は、いわば贅沢な貧乏なのだ。
苦役列車の貧乏ぶりを見て、一番に感じることは、「貧乏ってのは、こんなもんじゃないけど、この貧乏生活さえなくなってしまったら、もうあとは私小説家として書くことなくて困るんじゃないか。なんせ小説映画化権だけでもウン千万」とか心配してしまう。あとは、性犯罪者であったというオヤジをネタにするしかないじゃないか。小説売れ出して以来、どんどん太っていく西村賢太、そろそろメタボ対策を。
昨冬のドラマ『プライスレス』。キムタクがホームレスになったところから這い上がるのは、キムタク大好きな努力成功物語に貴種流離譚が加わったファンタジーで、これも本当の貧乏じゃないけど、キムタクだからOK。
私が今、貧乏生活にあえいでいるのだって、寝るところ食うもんありついての貧乏語りだから、路上に寝て食うもんが何もないインドのストリートチルドレンなんかとはいっしょにならない。趣味の貧乏とは言わぬが、抜け出る努力をしなかったじゃないかと言われれば、その通り。がむしゃらに業績作って、がむしゃらにコネ探して仕事を得るという努力をしてこなかった。会議会議の大学教師生活や業績作りに奔走するより、映画館美術館でのんびり時間をすごすほうがいいと思ってそちらを選んだのだから、私の貧乏は自業自得。
貧乏を美学として語ってしまうと、嘘くさくなるのは、仕方なかろう。真の貧乏は語るに語れないものなのだから。
だが、貧しさを美と捉えることができるのも、「美の世界」が持つ美しさの本質なのだから、これまた文句を言っても始まらない。本当に、貧しさの極地にあって、美を見いだす。これもひとつの才能。以下、そんな才能のひとつ田中忠三郎と大里洋吉の紹介です。
2013年3月5日の新聞に、田中忠三郎さんのお悔やみ記事が出ていました。
田中忠三郎さん(たなか・ちゅうざぶろう=歴史民俗研究家)が5日、喉頭(こうとう)がんで死去、79歳。通夜は10日午後6時、葬儀は11日午前11時から青森市堤町2の4の1の平安閣アネックスで。喪主は妻智子(さとこ)さん。
縄文土器や石器、古民家に残る民具などを収集、保存。芸能事務所アミューズが運営母体の「アミューズミュージアム」(東京・浅草)で、「ボロ」と呼ばれる古い衣類など約300点を展示し、名誉館長も務めた。黒沢明監督の映画「夢」では衣装提供などで協力した。
貧乏を貫いて青森の文化、民俗に心を寄せたひとりの男の死。お話を聞いてみたい人のひとりでした、
<つづく>
ぽかぽか春庭@アート散歩>ボロの美と贅沢貧乏(1)苦役列車貧乏
イケメン好きです。「知的なクール・ガイ」も、「あっけらか~んとして、バカそーだけど、かわいい」のもいい。一番のお好みは、ちょっと暗い影も併せ持っていたり、ニヒルな感じを漂わせているいい男。とにかく、イケメンはみんな好き。オダギリジョー、浅野忠信、井浦新なんぞの、ちょっと暗さをほの見せるのも好きだし、佐藤健などの「ちょいオバカ」系もかわいい。若手では、染谷将太の目がいいわ。
松田龍平高良健吾綾野剛なんぞと並んで、今わたしのお気に入りは、森山未來。『苦役列車』で日本アカデミー賞ほか演技賞受賞などが続くだろうけれど、その屈折したところを捨てないで、私の好みに折れ曲がっていてほしい。
昨年末のこと、『苦役列車』を息子といっしょに飯田橋ギンレイで見ました。
森山未來が演技力でせいいっぱいかっこわるくふるまっているのに、それでもなお、「これぞイケメン顔」の高良健吾の大学新入生ぼっちゃまより、けっこうカッコいいのはどうしたもんか。
未来君くんがカッコいいと、いくら貧乏ぶっても「そうやってダメ男やってるの、好きでやっているだけだろ」という気がしちゃって。「小説のネタとしてはわかるけれど、ほんとの貧乏はそんなもんじゃないからなあ」と思ってしまう。ラストシーンでタップダンスでも踊り出したらドーしようかと思ったくらいだ。
北町寛太の経験している貧乏は、這い出そうと思えばいくらでもいくらでも出て行けるレベルの貧しさです。抜け出そうとすれば抜け出せる貧乏でありながら、家賃払わずにフーゾクで抜いてもらうほうに日雇取りの金をつぎ込んでしまう。抜け出るより抜いてもらうほうに五千円、っていうダメぶりが「売り」なんだからまあ、フロ無し共同便所くらいは当然である。
実際、NHKハートネットTVに出演したとき、西村自身も言っている。
「もうね、貧困のレベルというか、世界が違うと思いますよ。僕の体験した貧困は、自分の努力次第でいくらでも抜け出せる貧困でしたし、周りの状況も今とは違っていましたから。たとえば、僕の頃は家賃を滞納しても結構許してもらえてたんです。今は1ヶ月の滞納も許されない場合が多いですし、現に番組の中でアパートを追い出されている人もいましたよね』
そう、西村賢太の貧乏は、いわば贅沢な貧乏なのだ。
苦役列車の貧乏ぶりを見て、一番に感じることは、「貧乏ってのは、こんなもんじゃないけど、この貧乏生活さえなくなってしまったら、もうあとは私小説家として書くことなくて困るんじゃないか。なんせ小説映画化権だけでもウン千万」とか心配してしまう。あとは、性犯罪者であったというオヤジをネタにするしかないじゃないか。小説売れ出して以来、どんどん太っていく西村賢太、そろそろメタボ対策を。
昨冬のドラマ『プライスレス』。キムタクがホームレスになったところから這い上がるのは、キムタク大好きな努力成功物語に貴種流離譚が加わったファンタジーで、これも本当の貧乏じゃないけど、キムタクだからOK。
私が今、貧乏生活にあえいでいるのだって、寝るところ食うもんありついての貧乏語りだから、路上に寝て食うもんが何もないインドのストリートチルドレンなんかとはいっしょにならない。趣味の貧乏とは言わぬが、抜け出る努力をしなかったじゃないかと言われれば、その通り。がむしゃらに業績作って、がむしゃらにコネ探して仕事を得るという努力をしてこなかった。会議会議の大学教師生活や業績作りに奔走するより、映画館美術館でのんびり時間をすごすほうがいいと思ってそちらを選んだのだから、私の貧乏は自業自得。
貧乏を美学として語ってしまうと、嘘くさくなるのは、仕方なかろう。真の貧乏は語るに語れないものなのだから。
だが、貧しさを美と捉えることができるのも、「美の世界」が持つ美しさの本質なのだから、これまた文句を言っても始まらない。本当に、貧しさの極地にあって、美を見いだす。これもひとつの才能。以下、そんな才能のひとつ田中忠三郎と大里洋吉の紹介です。
2013年3月5日の新聞に、田中忠三郎さんのお悔やみ記事が出ていました。
田中忠三郎さん(たなか・ちゅうざぶろう=歴史民俗研究家)が5日、喉頭(こうとう)がんで死去、79歳。通夜は10日午後6時、葬儀は11日午前11時から青森市堤町2の4の1の平安閣アネックスで。喪主は妻智子(さとこ)さん。
縄文土器や石器、古民家に残る民具などを収集、保存。芸能事務所アミューズが運営母体の「アミューズミュージアム」(東京・浅草)で、「ボロ」と呼ばれる古い衣類など約300点を展示し、名誉館長も務めた。黒沢明監督の映画「夢」では衣装提供などで協力した。
貧乏を貫いて青森の文化、民俗に心を寄せたひとりの男の死。お話を聞いてみたい人のひとりでした、
<つづく>