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ぽかぽか春庭「スリービルボード」

2018-09-18 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180918
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>愛を描く(4)スリービルボード

 2017年公開の映画「スリービルボード原題: Three Billboards Outside Ebbing, Missouriミシシッピ州エビング郊外の3枚の看板」。
 第90回アカデミー賞の主演女優賞(フランシス・マクドーマンド)と助演男優賞(サム・ロックウェル)を受賞した映画です。

 映画を見た印象では、脚本賞を受賞した『ゲットアウト』よりも脚本賞をとらせたかった映画に感じました。
 「ゲットアウト」のラストシーン。私は、「こうなって終わったほうがより映画としては上質になっただろうに、観客受けを考えたラストになったのが残念」と感想を述べました。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/66173d5dbd18f13a858ea5f265ce672b

 スリービルボードの脚本は、文句なしです。主演女優賞もさすがです。が、次こそサリー・ホーキンスにとってほしい。

 原題にわざわざ「ミズーリ州のエビング郊外」と出ているのは、意図があります。
 2014年、ミズーリ州ファーガソンで起きた「マイケル・ブラウン射殺事件」は記憶に新しい。白人警官が無抵抗の18歳黒人男性に6発もの銃弾を浴びせて射殺し、しかも遺体を路上に6時間放置。あげく、警察官は不起訴。抗議行動は全米に波及した、という事件です。8月19日にセントルイスでも同様の事件が起き、ミズーリ州といえば、粗暴な警察官による人種差別行動が想起されるのです。

 以下、ネタバレを含む紹介です。結末までのストーリーが出ていますので、未見の方ご注意 

 ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)は、町はずれに立つ三つの看板を借り受けました。町の広告社にたのんだ看板の文面は3つ。
 「レイプされて殺された」「未だに犯人が捕まらない」「どうして、ウィロビー署長?」という文言は、町の人々の関心を引きます。



 ウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)は人格者で町の人の尊敬を集めており、彼に向って不満をぶちまけるような看板は非難の的になります。ミルドレッドは町の人からさまざまないやがらせを受けますが、一歩もひきません。
 ウィロビーを慕う部下の警察官ジェイソン・ディクソン(サム・ロックウェル)は、人種差別主義者です。また、同性愛者を憎み、迫害していました。
 ミルドレッドが警察に喧嘩を売り、慕っているウィロビー署長を侮辱ていると考え、彼女の友人を逮捕したり、執拗に追い詰めます。

 末期癌だったウィロビーは、家族と楽しいひとときをすごしたあと、ひそかに遺書を用意し、自殺します。アンジェラの看板がウィロビー自殺の原因と思った町の人とディクソンは、激高し、ついにディクソンはミルドレッドの看板を制作した広告社のレッドを窓から突き落とす、という暴挙にでます。ウィロビー後任の黒人署長は、ディクソンの暴挙を目撃し、彼を首にします。

 ある日看板が燃え上がりました。ミルドレッドはディクソンら、警察側の仕業とみなし、警察署に放火します。炎の中からはい出てきたのは、ディクソン。逃げ遅れたのは、ウィロビーからの手紙を読んでいて火に気づかなかったのです。

 ミルドレッドは、火に焼かれたディクソンが、命がけで「アンジェラレイプ殺害事件」の書類を守ろうとしたことを知ります。
 看板への放火は、世間の反応をおそれた夫チャーリー(ジョン・ホークス)の仕業と判明。夫のことばから、娘アンジェラは父親と暮らしたがっていたことを知ります。

 反抗期で折り合いの悪いアンジェラが「遊びに行くから車をかして。歩いているとレイプされるかもしれない」と頼んだ時、ミルドレッドは「レイプされればいい」と言って車を貸さなかったことが胸のしこりになっています。このしこりは、犯人が検挙されるまで残ると感じています。

 ディクソンは、病院でレッドと同室になります。レッドは、包帯でぐるぐる巻きにされているディクソンにやさしいことばをかけます。ディクソンはレッドを2階から突き落としたことを謝罪します。自分に大怪我をさせたディクソンをとがめることなく、レッドはオレンジジュースを彼に飲ませます。ディクソンがレッドを嫌っていたのは、レッドが「ゲイっぽい」からでした。
 ディクソンは、ウィロビー署長の遺言をかみしめます。

 ウィロビーは、ディクソンの秘密を理解していました。ディクソンが同性愛者を迫害するのは、自分自身が女性に性的興味を持てないマザコンだったからです。ウィロビーは「もしも人からゲイと呼ばれたら、性的マイノリティを差別してはならないという法律への違反者として逮捕しろ」と、書き残していました。

 ディクソンは警察官ではなくなっていましたが、パブで「レイプを自慢する男」の話を耳にし、彼に喧嘩をふっかけます。彼の顔をひっかき、爪に残った皮膚片をDNA鑑定に送りました。アンジェラの体に残されたDNAと照合するためです。

 軍帰りのレイプ自慢男は、アンジェラ事件の時期、外国に派遣されていたことが判明し、DNAも異なりました。
 がっかりしたディクソンは、事の経緯をミルドレッドに報告し、「いっしょに、レイプ男を殺しに行こう」と持ち掛けます。アンジェラ事件の犯人ではないとしても、どこかでレイプ犯罪を犯したに違いないからです。

 ミルドレッドの「レイプ犯を許さない」という気持ちが、レイプ男をやっつけることで晴れるなら、自分も行動をともにする、というディクソンの申し出でした。

 ミルドレッドは承知し、いっしょに車に乗り込みます。しかし、「ほんとうにヤツを殺すのか」というディクソンの確認のことばに対し、ミルドレッドは「道々考えよう」と答えます。

 「許すこと」が映画のテーマのひとつか、と私は感じました。
 ミルドレッドが許せなかったのは、レイプ犯だけじゃなかった。捜査に手間取り、遅々としてすすまないように見える警察。その警察を指揮しているウィロビー署長。自分と娘息子を捨てて去り、いまは若い愛人と同棲している夫。
 なによりも、娘に向かって「レイプされたらいい」と言って車を貸さなかった自分自身をもっとも許せなかったのだろうと思います。そのうしろめたい気持ちから解放されるには、レイプ犯犯人逮捕を望み続けること。

 ウィロビー署長はミルドレッドにも手紙を残しています。警察は懸命に捜査をしたこと、それでも決定的な証拠は出ず、犯人にたどり着くのはむずかしい案件だったこと、放火で焼けた看板の再制作費として、ウィロビーからレッドに代金が支払い済みであること。

 有能でもなく、粗暴だったディクソンは、レッドから飲ませてもらったオレンジジュース、ウィロビー署長からの手紙によって、変化します。ミルドレッドも、ディクソンの変化を受け、ウィロビーからの手紙によって、気持ちが変わっていきます。

 ミルドレッドは、元夫に「彼女を大切にしな」と言ってやれました。この先、ミルドレッドの気持ちが世の中との折り合いをつけられるようになるのかどうかはわかりません。わからないし、ミズーリ州だし。この先もトランプ政権下では、移民差別も人種差別も強まることが懸念されます。だからこそ、ミズーリ州を舞台にこの映画が作られたのだと思います。

 画面をきちんと見ていない私。重要な点を見逃していました。ウィロビー署長の愛読書は、フラナリー・オコーナー(Flannery O'Connor1925-1964)の『A Good Man Is Hard To Find1955』( 日本語訳『善人はなかなかいない』)です。そのタイトルの本が画面に出てきても、私はオコーナーの作品だと気づきませんでした。

 オコーナーは、大江健三郎の『人生の親戚』(小説)で知りました。オコーナーのことば『人生の習慣』をタイトルにした大江の講演集も読んだのに、オコーナーを読んでいなかったために、気づかなかったのです。ウィロビー署長の人柄を示す本だったのに。

 世の中、善人はなかなかみつかりません。しかし、ゼロではない。鬼ばかりの世間を渡るうち、かならず善人に出会います。鬼が善人に変わることもあれば、その逆もある。

 憎しみの連鎖を断ち切って、憎むべき相手を許せるかどうか。
 この世に許せないことばかりあるけれど、路上でだれかに出会ったら、善人でありたいとは思います。

 人間への愛を、変わった角度で描いているけれど、この世に人への愛があることはわかります。スリービルボード、いい映画でした。

<つづく>
コメント (2)
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