20180927
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記秋の空(2)足が痛い
貧乏どんぞこでも、笑って暮らしてきたのは、大病したことがなかったという幸運に恵まれ、助けてくれる家族や友達に恵まれてきたからだと感謝してきました。
肩が痛くて腕が上に上がらないとか、不調はそこそこにあったのですが、9月9日にジャズダンス発表会がおわったとたんに膝が痛み出したのにはまいりました。
整形外科クリニックの先生は、膝をちょいと押してみて、「ああ、これは関節炎。水たまっているから抜きましょう」と、先生にとっては珍しくともなんともない、年よりはだれでもこうなる、という具合に、ひざに注射針を刺し、膝の処置をしました。
医師からは「階段の上り下りはできるだけ避け、和式トイレも避ける」と助言がありましたが、それは普段から実践済み。
変形性膝関節炎。高齢女性に多く、太っていることも原因のひとつ。大腿四頭筋の鍛え方が足りず、自分の体重を支える力が弱ったために、膝に負担がきた。
日ごろは毎日の通勤で5000歩ほど歩きます。健康維持のために毎日1万歩は歩くこと、と健康指南ではよく言われるのですが、69歳の身に片道90分の通勤は、それだけで疲れてしまうので、1万歩なんてとても無理、と思っていました。
通勤途中の乗り換えで、どうしてもエレベーターもエスカレーターもない駅があります。それで、乗り換え回数が増えるけれど、エレベーターのある駅経由に変えてみました。エレベーター出口から外に出て、JR乗り換え口まで、300mほど大通りを歩きます。
この通勤路を試した日がたまたま雨だったために、背にリュック、肩掛け鞄さげて傘さして、そろりそろりと右ひざをいたわりつつ歩く。
これまでの経路だと階段上り下りはたいへんですが、乗り換え1回ですんでいたのですが、お試し経路では乗り換えが2回になります。一日であきらめました。階段の上下はきついですが、乗り換え口のようすがわかっていたほうが疲れない。
ずっと働き続けているので、「働くのが好きなんでしょう」と思われたり「働いているほうが気持ちに張りがでますね」と慰められたりしますが、私は、若いころから晴読雨読が理想。気が向けば、ときたま晴耕雨読。
好きな本を、ぐうたらと読んで過ごせればそれ以上の望みなし。本は100円文庫でも図書館本でも十分ですから、あとは、寝て食べる分だけなんとか確保する。服もいらなきゃ化粧品もいらない。でも、それすらができない貧乏家族。働かざるを得ないのです。じっと手を見る。
駅のホームやバス車内などで、足がご不自由なお年寄りを見ると「どうしても外出が必要なんだろうなあ、病院へ行くのかな」とお気の毒に思ってきましたが、今は私が「足がご不自由な気の毒な方」
「障害は、不便ではあるが不幸ではない」という考え方もあることはわかりますが、痛む膝をできるだけ曲げ伸ばしがないように片道90分の通勤をしていると、「とってもとっても不便だし、こんなふうにしてまで働かなければ、食べていけない私は不幸だ」という気分になってきます。
18歳から50年間働いてきたのに、老後の身を養うことができなかった、私の働き方。「寄らば大樹」に所属せず、フリーランスを貫いた、というと自由の身のような気がしたのですが、それは気だがしただけで、実際に年を取ってみると、今の私は不幸のかたまり、愚痴の大嵐。
でも、娘は「母は、どこかに所属したとしても、上司と大喧嘩してやめてしまったろうから、どのみち貧乏な老後になったのさ」と、言います。言えてる。最初の大学卒業後、中学校教師を3年で辞めたのも、校長のパワハラを受けてのことだった、と思い出します。上下関係のある職場で、上司に気遣いが必要な人間関係では、働けない人間でした。大学非常勤講師を20年間続けられたのは、時間の切り売り商売で、自分の授業さえきちんとしていれば、上下関係なかったから。
歩くのより自転車に乗るほうが楽だ、ということがわかりました。膝を、曲げたり伸ばしたりするから痛む。自転車のペダルを踏んでいるとき、膝は曲げっぱなしです。乗るときと降りるときに痛むけれど、歩くよりはずっと楽だということを発見しました。まあ、こんな発見したところで痛みが治まるわけじゃないけれど。
その点、肩の関節炎のときは、腕は上に上がらなくなったけれど、上にあげないでいれば見た目にはわからないし、背中のブラジャーホックは娘息子に頼んでとめてもらっていたので、手が後ろにまわらない不自由はなんとかなりました。
しかし、どうしても移動しなければならないので、足を動かさずにはいられない。駅のホームをそろりそろりと歩いていると、どどっと走るようにホームを歩くラッシュ時の客は恐怖に感じます。9時ごろに乗換駅のホームを歩くので、ラッシュ真っただ中よりはましですが、体のご不自由な方々は、こういう恐怖を感じながら移動してきているんだろうなあと、今更ですが身にしみます。
すこしずつ痛みも治まってきて、膝は曲げたり伸ばしたりするから関節が痛むのであって、ずっと曲げっぱなしで歩くと楽だ、という発見もありました。ロボットのアシモがひざをまっすぐにのばさずに歩いていた姿に似ています。人間の歩き方としては不自然ですが、歩かざるを得ないので。
夫も、退院してきたものの、骨折完全治癒ではないので、移動に不自由だと。仕事のためには、タクシーで移動しているというのですが、私は地下鉄と電車通勤片道90分。
9月9日重陽節に発症した膝の痛み、2週間たって、だいぶよくなってきました。一歩移動するごとに「痛い!」と心の中で叫ばなくても済むようになってきています。
年をとれば、何かしら不自由なことは増えていくのですが、貧乏家族を背負って、なんとかがんばります。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記秋の空(2)足が痛い
貧乏どんぞこでも、笑って暮らしてきたのは、大病したことがなかったという幸運に恵まれ、助けてくれる家族や友達に恵まれてきたからだと感謝してきました。
肩が痛くて腕が上に上がらないとか、不調はそこそこにあったのですが、9月9日にジャズダンス発表会がおわったとたんに膝が痛み出したのにはまいりました。
整形外科クリニックの先生は、膝をちょいと押してみて、「ああ、これは関節炎。水たまっているから抜きましょう」と、先生にとっては珍しくともなんともない、年よりはだれでもこうなる、という具合に、ひざに注射針を刺し、膝の処置をしました。
医師からは「階段の上り下りはできるだけ避け、和式トイレも避ける」と助言がありましたが、それは普段から実践済み。
変形性膝関節炎。高齢女性に多く、太っていることも原因のひとつ。大腿四頭筋の鍛え方が足りず、自分の体重を支える力が弱ったために、膝に負担がきた。
日ごろは毎日の通勤で5000歩ほど歩きます。健康維持のために毎日1万歩は歩くこと、と健康指南ではよく言われるのですが、69歳の身に片道90分の通勤は、それだけで疲れてしまうので、1万歩なんてとても無理、と思っていました。
通勤途中の乗り換えで、どうしてもエレベーターもエスカレーターもない駅があります。それで、乗り換え回数が増えるけれど、エレベーターのある駅経由に変えてみました。エレベーター出口から外に出て、JR乗り換え口まで、300mほど大通りを歩きます。
この通勤路を試した日がたまたま雨だったために、背にリュック、肩掛け鞄さげて傘さして、そろりそろりと右ひざをいたわりつつ歩く。
これまでの経路だと階段上り下りはたいへんですが、乗り換え1回ですんでいたのですが、お試し経路では乗り換えが2回になります。一日であきらめました。階段の上下はきついですが、乗り換え口のようすがわかっていたほうが疲れない。
ずっと働き続けているので、「働くのが好きなんでしょう」と思われたり「働いているほうが気持ちに張りがでますね」と慰められたりしますが、私は、若いころから晴読雨読が理想。気が向けば、ときたま晴耕雨読。
好きな本を、ぐうたらと読んで過ごせればそれ以上の望みなし。本は100円文庫でも図書館本でも十分ですから、あとは、寝て食べる分だけなんとか確保する。服もいらなきゃ化粧品もいらない。でも、それすらができない貧乏家族。働かざるを得ないのです。じっと手を見る。
駅のホームやバス車内などで、足がご不自由なお年寄りを見ると「どうしても外出が必要なんだろうなあ、病院へ行くのかな」とお気の毒に思ってきましたが、今は私が「足がご不自由な気の毒な方」
「障害は、不便ではあるが不幸ではない」という考え方もあることはわかりますが、痛む膝をできるだけ曲げ伸ばしがないように片道90分の通勤をしていると、「とってもとっても不便だし、こんなふうにしてまで働かなければ、食べていけない私は不幸だ」という気分になってきます。
18歳から50年間働いてきたのに、老後の身を養うことができなかった、私の働き方。「寄らば大樹」に所属せず、フリーランスを貫いた、というと自由の身のような気がしたのですが、それは気だがしただけで、実際に年を取ってみると、今の私は不幸のかたまり、愚痴の大嵐。
でも、娘は「母は、どこかに所属したとしても、上司と大喧嘩してやめてしまったろうから、どのみち貧乏な老後になったのさ」と、言います。言えてる。最初の大学卒業後、中学校教師を3年で辞めたのも、校長のパワハラを受けてのことだった、と思い出します。上下関係のある職場で、上司に気遣いが必要な人間関係では、働けない人間でした。大学非常勤講師を20年間続けられたのは、時間の切り売り商売で、自分の授業さえきちんとしていれば、上下関係なかったから。
歩くのより自転車に乗るほうが楽だ、ということがわかりました。膝を、曲げたり伸ばしたりするから痛む。自転車のペダルを踏んでいるとき、膝は曲げっぱなしです。乗るときと降りるときに痛むけれど、歩くよりはずっと楽だということを発見しました。まあ、こんな発見したところで痛みが治まるわけじゃないけれど。
その点、肩の関節炎のときは、腕は上に上がらなくなったけれど、上にあげないでいれば見た目にはわからないし、背中のブラジャーホックは娘息子に頼んでとめてもらっていたので、手が後ろにまわらない不自由はなんとかなりました。
しかし、どうしても移動しなければならないので、足を動かさずにはいられない。駅のホームをそろりそろりと歩いていると、どどっと走るようにホームを歩くラッシュ時の客は恐怖に感じます。9時ごろに乗換駅のホームを歩くので、ラッシュ真っただ中よりはましですが、体のご不自由な方々は、こういう恐怖を感じながら移動してきているんだろうなあと、今更ですが身にしみます。
すこしずつ痛みも治まってきて、膝は曲げたり伸ばしたりするから関節が痛むのであって、ずっと曲げっぱなしで歩くと楽だ、という発見もありました。ロボットのアシモがひざをまっすぐにのばさずに歩いていた姿に似ています。人間の歩き方としては不自然ですが、歩かざるを得ないので。
夫も、退院してきたものの、骨折完全治癒ではないので、移動に不自由だと。仕事のためには、タクシーで移動しているというのですが、私は地下鉄と電車通勤片道90分。
9月9日重陽節に発症した膝の痛み、2週間たって、だいぶよくなってきました。一歩移動するごとに「痛い!」と心の中で叫ばなくても済むようになってきています。
年をとれば、何かしら不自由なことは増えていくのですが、貧乏家族を背負って、なんとかがんばります。
<つづく>