
ナチュラルウーマン ダニエラ・ヴェガ
20180920
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>愛を描く(4)ナチュラルウーマン
『ナチュラルウーマン』は、2017年チリのセバスティアン・レリオ監督作品。90回アカデミー賞外国語映画賞を受賞。チリ映画の受賞は初めてのことです。
原題「Una Mujer Fantástica」の英語訳は「Fantastic Woman」。日本語タイトルは「すばらしい女性」でもよかったのでは。
ダニエラ・ベガ(Daniela Vega)は、1988年生まれの歌手・女優。この映画出演まで、国際的にはほとんど無名でした。第4回イベロアメリカ・フェニックス賞2017で主演女優賞を受賞し、米アカデミー賞外国語映画賞受賞により、一気に知名度があがりました。
以下、ネタバレを含む紹介です。
映画冒頭にイグアスの滝の風景が出てきます。イグアスの滝はアルゼンチンとブラジルにまたがって流れ落ちています。ごく自然に男でも女でもなく、トランスジェンダーとして生きて生きていこうとする自然な人生をイグアスの滝は象徴しています。
マリーナは、男性として生まれたけれど、現在は女性として暮らしています。昼はウエートレス、夜はクラブ歌手。
最初は男性として生まれても、マリーナはごく普通の女性として生きようとしています。
同棲する年の離れた恋人オルランド(フランシスコ・レジェス)に誕生日を祝ってもらい、イグアスの滝への旅行をプレゼントする、ときかされます。
マリーナとオルランド

しかし、オルランドはマリーナと共にすごしたベッドで苦しみだし、階段を転げ落ちてなくなってしまいます。
オルランドの元妻と息子は、マリーナに「車をかえせ、部屋を出ていけ」と、言います。息子ブルーノ(ニコラ・サアベドラ)は、自分たちを捨ててマリーナを選んだ父親は「狂ってしまった」としか思えません。
マリーナは、元妻ソニアから葬儀への参列も拒否されます。
「性犯罪捜査官」という女性警官コルテスは、「私は修士号も持っている」と、自分の能力を誇示しつつ、マリーナとオルランドの関係を執拗にさぐります。オルランドの怪我について「オルランドからサディスティックな行為を要求されたために、マリーナが抵抗しあげく殺してしまった」と解釈しているのです。
米西海岸などで受容が進んでいるLGBTも、カトリック国で保守的なチリでは、まだまだ「狂っている」とみなされています。トランスジェンダーがナチュラルな存在としてうけいれられるにはいたっていません。
マリーナは、オルランドが残した鍵がどこのものなのか、探し始めました。この鍵を開ければ、イグアスの滝へ行く旅行券があるのではないかと推測。カフェの客が持っていた同型の鍵から、サウナのロッカーの鍵であることを知ります。マリーナは、女風呂側から入り、通路から男性側のロッカールームに入り込みます。
マリーナの上半身は、男女どちらでもなく、どちらにも見えます。
探し当てたロッカーのなかは、(おそらく)からっぽだったのでしょう。マリーナがイグアスに行く航空券を手にできなかったのをみると。
マリーナは、オルランドの家族からさまざまないやがらせ、迫害を受けます。
葬儀への参列を拒まれましたが、家族がいなくなったあと、焼き場に入ることに成功します。チリの火葬場には家族が残る習慣がなく、焼き場にいるのは事務的に事を運ぶ職員だけ。日本の習慣では、焼き上がった骨を、親族が受け渡ししながら骨壺に収めていくのですが、日本とは異なり、遺体に対してはそっけない。故人のお骨をどうしても探しに行かずにはいられない日本と、お骨に対する思いが違うなあと感じます。
マリーナは、オルランドとふたりだけのお別れをし、迫害にめげず、強く生きていくことを誓います。(直接のことばではその決意は表現されていませんけれど、私はそう感じました)。焼き場シーン、オルフェウスとユリディスを思わせます。死者の国に入り込むのはユリディスのマリーナですけれど。
ラストシーン、マリーナは、リサイタルで「オンブラマイフ」を歌います。マリーナはオルランドというやすらげる木陰を失いましたが、木のようにすっくと立ち、自分のいるべき場所にいると思います。
「ナチュラルウーマン」ラストで歌う「オンブラマイフ」
https://www.youtube.com/watch?v=LRZlsFHHnKA
ヘンデルが、カステラート(少年の声を保つために去勢された歌手)のために作曲した歌曲です。
木が木陰を愛する歌。
(堀内敬三訳)
木陰よ、緑はゆる
うるわしき木陰よ
木陰よ、風も薫る
うるわしき木陰よ
われを招く木陰よ
やさし楽し
わが心の永遠なる安らぎ
(別訳)
木陰よ
緑の木陰よ
輝く陽にきらめく木の葉よ
風よ雨よこの平安乱すな
楡の樹の平安を
この木陰で憩う
喜び安らぎよ
Ombra mai fù
di vegetabile,
cara ed amabile,
soave più
Frondi tenere e belle
del mio platano amato
per voi risplende il fato
tuoni lampi e procelle
nonv`oltraggino mai la cara pace
ne giunga a profanarvi austro rapace!
Ombra mai fu
di vegetabile,
cara ed amabile,
soave piu.
マリーナが、強風に向かっているシーン、バスター・キートンへのオマージュ画面ということらしいですが、そんなことは知らず、マリーナが人生の逆風に立ち向かう姿と思って見ました。

<おわり>