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ぽかぽか春庭「テルマエ展 in 汐留パナソニック美術館」

2024-06-09 00:00:01 | エッセイ、コラム


20240609
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩6月(1)テルマエ展  in 汐留パナソニック美術館

 会期終了まぎわは混むと思ったのですが、娘とかけこみで汐留パナソニック美術館でテルマエ展を観覧しました。

 パナソニック美術館の口上
 本展は、日本における古代ローマ研究の第一人者である青柳正規氏、芳賀京子氏の監修と、マンガ『テルマエ・ロマエ』で知られるヤマザキマリ氏のご協力 で、古代ローマの人々の生活を“お風呂文化” を中心に紹介するものです。絵画・彫刻・考古遺物といった100件以上の作品と映像や再現展示を通して、古代ローマをより身近に感じていただくことができるでしょう。
本展の開催館には、国内有数の温泉地のある地域が含まれています。それぞれの地域に残される地方色豊かな歴史と文化にも触れながら、 『テルマエ・ロマエ』の主人公・ルシウスが浴場を通して日本とローマを往復したように、それぞれの浴場文化を体感いただけましたら幸いです。


序章 テルマエ/古代都市ローマと公共浴場
 ローマ市で最初のテルマエは、初代皇帝アウグストゥスの右腕・アグリッパによって紀元前25年に建設されました。今も地上に遺構がよく残っているのは、カラカラ浴場(217年)と、ローマ市で最大のディオクレティアヌス浴場(302年頃)です。大規模なテルマエの運営には、水道の管理・維持に加え、大量の燃料と奴隷を必要としました。そのため古代ローマの風呂文化は、中世には消え去ってしまいました。 

 娘は漫画のテルマエロマエを完読しましたが、私は映画のⅠとⅡを見ただけで、漫画はⅠの一番最初の部分をみただけです。漫画は見ていないけれど、ヤマザキマリがインタビューで話しているのをラジオで聞き、漫画を描いた契機とか、映画化の過程などの裏話はだいたい知っています。映画化権として、百万円しかもらっていない、と今になってみれば、ⅠとⅡで興行収入が100億円もはいったのに、百万はいかにも不当に安いけれど、最初は無名の悲しさ、泳げたいやきくんの子門真人は、買取価格4万円だったそうですから。ヤマザキマリの名前が売れてからは、いろいろなタイアップや広告収入、美術展の監修、著作売り放題、テレビやラジオの出演など、大活躍なので、元はとれたんじゃないかと思います。どうだろ。
 
ヤマザキマリが描くルシウス    
       



第1章 古代ローマ都市のくらし
 公共浴場のルーツには、自然の温泉のほかに、古代ギリシャの運動施設の水風呂や、医神の神域の入浴施設がありました。ですがそれを大衆の娯楽のために、驚くほどの規模へと発展させたのは古代ローマ人でした。ギリシャでは若者たちは肌に油を塗り、全裸で運動したため、運動後にはストリギリス(肌かき器)で汚れを落とし、水で身体を洗う必要がありました。ギリシャでは女性の入浴の場は自宅に限られていましたが、ローマでは女性もテルマエに通うことができました。水や湯をふんだんに使用するテルマエは、水道をはじめとする高い建築・土木技術に支えられていました。 

ギリシャ時代は女性の入浴は家の中だけで、公共の浴場に侍るのは遊女のみだった、ということです。
「ヘタイラ(遊女)のいる饗宴」ナポリ国立考古学博物館 1世紀


第2章 古代ローマの浴場
 公共浴場のルーツには、自然の温泉のほかに、古代ギリシャの運動施設の水風呂や、医神の神域の入浴施設がありました。ですがそれを大衆の娯楽のために、驚くほどの規模へと発展させたのは古代ローマ人でした。ギリシャでは若者たちは肌に油を塗り、全裸で運動したため、運動後にはストリギリス(肌かき器)で汚れを落とし、水で身体を洗う必要がありました。ギリシャでは女性の入浴の場は自宅に限られていましたが、ローマでは女性もテルマエに通うことができました。水や湯をふんだんに使用するテルマエは、水道をはじめとする高い建築・土木技術に支えられていました。
 娘は漫画を読んでいたので、垢かき棒を見たとき、すぐにこれは垢を描きとる道具だとわかったそうですが、私は解説版を読まなければ、何の道具だか、わからなかったと思います。
 
入浴道具 1世紀 青銅 ナポリ国立考古学博物館蔵
 垢かきぼう、香油瓶などの「入浴セット」、
 
 娘はテルマエロマエを読んでいたので、垢かき棒「ストリギリス」を見てすぐに、あ、これは漫画に出てきた垢かき棒とわかったそうですが、私は漫画は最初の部分を見ただけなので、解説文を読むまでわかりませんでした。映画に出てきたとしても見逃していたと思います。奴隷がゆあみ客の背中なんかをかいていたのかもしれません。

「アポロとニンフへの奉納浮彫」ナポリ国立考古学博物館 2世紀

 左はしは、病をいやすアポロ。ニンフたちがもっているのは薬を混ぜ合わせる皿や香油瓶。

第3章 テルマエと美術
 テルマエは、大衆が美術品を間近に見ることができる場でもありました。床には水に強いモザイクが敷かれ、1〜2世紀には白黒モザイク、それ以降は多彩モザイクが好まれました。 ローマの大規模なテルマエには数多くの大理石彫刻も飾られました。皇帝や浴場の建設者の肖像のほかに、神々の像や古代ギリシャの有名作品のコピーが、壁面のニッチや円柱の間の台座の上に並びました。浴場のルーツのひとつであるギュムナシウム(運動施設)にちなんだアスリート像や、それを守護するヘラクレスの彫像など、浴場にふさわしい主題が選択されました。

「牧神頭部」アーティゾン美術館 1世紀

恥じらいのヴィーナス(ウェヌス・プディカ)



第4章 日本の入浴文化
 本展の最後の章では、国内に残される地方色豊かな温泉文化にも触れながら、日本のお風呂の歴史を概観します。日本において入浴の習慣が定着したのは江戸時代、家庭内の風呂が当たり前になった現在でも、東京だけで約700軒もの公衆浴場が存在しています。温泉地へ旅することや近年のサウナブームも、日本人がお風呂好きな民族であることに起因するのでしょう。『テルマエ・ロマエ』の主人公・ルシウスが、浴場を通して日本とローマを往復したように、古代ローマと日本のそれぞれの入浴文化を体感ください。
 
式亭三馬「浮世風呂」京都府立京都学・歴彩館 文政3年(1820)


 日本の入浴文化の歴史は古く、古代の天皇も戦国の武将も温泉を治療に利用してきました。特に江戸時代は庶民の間にも銭湯文化が花開き、さまざまな江戸文学や浮世絵に風呂風俗が描かれました。

 2024年4月、前作から11年の月日を経て『続テルマエ・ロマエ』第1巻が発売されました。ローマでも⒛年の月日が経っていて、浴場の技師ルシウスと息子の物語。
 映画化されるとして、キャスティング、阿部寛の息子役、だれがいいかな。ローマ顔でお風呂が似合う若手イケメン。ヤマザキマリさん、今度は映画化権、たっぷりもらってくださいな。
  
 

 会期終了まぎわの夜間会館日なので、えらく混みこみでした。
 娘と和食定食を食べて帰宅。

<つづく>
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