
20240615
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩6月(3)歌と物語の絵― 雅やかなやまと絵の世界 in 泉屋博古館
泉屋博古館の「歌と物語の絵」展を6月14日に観覧。ぐるっとパス利用。
館所蔵品の中のやまと絵コレクションから選定された作品が展示されていました。点数は多くなかったですが、「源氏物語」が話題の今年ですから、紫式部が月を見て物語の着想を得たとされる姿を描いた絵とか、紫式部の曽祖父の姿絵とか、興味深く見てきました。
泉屋博古館の口上
古来、語り読み継がれてきた物語は、古くから絵巻物など絵画と深い関係にありました。和歌もまた、三十一文字の世界が絵画化されたり、絵に接した感興から歌が詠まれたりと、絵画との相互の刺激から表現が高められてきました。
物語絵や歌絵の特徴のひとつは、精細な描写と典雅な色彩。宮廷や社寺の一級の絵師が貴人の美意識に寄り添い追求した「やまと絵」の様式を継承することでしょう。そして、ストーリーに流れる時間を表すかのような巻物、特別な場面を抽出してドラマティックに描き出す屏風など、長大な画面にさまざまな表現が生まれました。古典文学は、後世の人々が自分自身に引き寄せて味わうことで、読み継がれ輝き続けてきました。それに基づく絵画もまた同様です。
本展では、近世の人々の気分を映し出す物語絵と歌絵を、館蔵の住友コレクションから選りすぐってご紹介します。雅やかで華麗、時にちょっとユーモラスな世界をお楽しみください。
物語絵や歌絵の特徴のひとつは、精細な描写と典雅な色彩。宮廷や社寺の一級の絵師が貴人の美意識に寄り添い追求した「やまと絵」の様式を継承することでしょう。そして、ストーリーに流れる時間を表すかのような巻物、特別な場面を抽出してドラマティックに描き出す屏風など、長大な画面にさまざまな表現が生まれました。古典文学は、後世の人々が自分自身に引き寄せて味わうことで、読み継がれ輝き続けてきました。それに基づく絵画もまた同様です。
本展では、近世の人々の気分を映し出す物語絵と歌絵を、館蔵の住友コレクションから選りすぐってご紹介します。雅やかで華麗、時にちょっとユーモラスな世界をお楽しみください。
<うたうたう絵>
伝・本阿弥光悦「下絵扇面散屏風」18世紀

宗達派《伊勢物語図屏風》桃山~江戸時代(17世紀)「梓弓」

伊勢物語24段「梓弓」のお話は。ちぎった夫は出かけたまま三年待っても戻ってこない。女はあきらめて別の男と再婚するつもりになったところへ、夫がもどったが、女の事情を知って立ち去る。
梓弓引けど引かねど昔より心は君によりにしものを
と元夫に歌を送り、男を追いかけたが、追いつかない。女は岩に指の血で和歌を書いて息絶える。
あひ思はで離(か)れぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消え果て
立ち去る男の牛車と、岩に文字を書く女の姿が描かれている屏風の絵を見ながら、きっと伊勢物語の読み聞かせをするのが江戸期にはなによりの子女教育でもあり屏風は大切な嫁入り道具にもなったのだろうと思って見ました。
中世から江戸期に描かれた歌とセットの絵は、社交や教育のアイテムでもあり、一人楽しむ道具にもなっていたでしょう。
松花堂昭乗「三十六歌仙書画帖」 伊勢 中納言朝忠 源順 紀友則




伝・藤原信実「上畳本三十六歌仙 藤原兼輔」

紫式部のひいじいさん、という解説付き。三六歌仙のひとりではあるけれど、ひ孫が紫式部だから「ひ孫の七光り」で、もの知らずの私でも「お、カネスケさんね」と目を止める。
<ものかたる絵>
狩野常信《紫式部観月図》江戸時代(18世紀)

テレビドラマでは、若き日の紫式部と藤原道長の「秘める恋」が描かれています。現実にはありえなかった恋物語をドラマはドラマとして楽しんでいきたいと思って見ています。
源氏物語、五島美術館で国宝の絵巻を見る機会がありました。巻物を裁断した絵です。絵巻を巻き取りながら、詞書を読んで聞かせたのです。江戸期には屏風仕立てにして代表的な場面を描き、部屋の調度としました。
竹取物語17世紀「竜神の玉を取りに行く」

竹取物語「求婚者の押し寄せる屋敷の中のかぐや姫」

高精細複写ビデオによる解説で、屏風に描かれた物語の場面をひとつひとつ絵解きしてくれるので、むかし読んだ源氏も竹取も、場面がよみがえります。
平家物語もここはひなの家、この人が後白河上皇、この人が阿波内侍。建礼門院は、山の中の仏花を摘んだ帰り道のここにいる、という説明を受けないで画面を見たら、どこに建礼門院がいるのかわからない、「見巧者」の反対側にいる見物客なのでぼうっと見ていたら気づかない。最初は後白河院といっしょにいる阿波内侍が建礼門院かと思ってみていました。母親も息子も一族郎党壇ノ浦の海に沈んだあと、たった一人生き残ってしまった平徳子。
・ほとどぎす治承寿永のおん国母三十にして経よます寺
と、与謝野晶子が詠んだ京都大原の寂光院を訪れたときは、観光ブームに乗って、落ち着いた中にも静かな繁栄をしているお寺の印象でした。しかし、桃山時代に描かれたやまと絵の中では、近所の田舎家もひなびた趣,。寺も後白河上皇があまりの質素さに驚いた、という描写。仏さまに供える花は女院自らが山の中に分け入って摘んでくる、という生活。源平合戦のフィクサーだった後白河院は、壇ノ浦の実際の合戦話は、源氏側からは聞いていたでしょうが、歯医者の側の話を聞きたいと思ったのでしょう。悟りすまして一族の菩提を弔う平家物語の大原御幸の場面は、私も原文をたどりたどり読んだ覚えがありますが、源平盛衰記で建礼門院が後白河上皇を激しくののしった、というほうの物語は読んでいません。平家滅亡の陰の主導者に、うらみつらみを述べるほうが人間らしいとは思いますが、この絵で建礼門院は、ただ静かに山道を下っています。
と、与謝野晶子が詠んだ京都大原の寂光院を訪れたときは、観光ブームに乗って、落ち着いた中にも静かな繁栄をしているお寺の印象でした。しかし、桃山時代に描かれたやまと絵の中では、近所の田舎家もひなびた趣,。寺も後白河上皇があまりの質素さに驚いた、という描写。仏さまに供える花は女院自らが山の中に分け入って摘んでくる、という生活。源平合戦のフィクサーだった後白河院は、壇ノ浦の実際の合戦話は、源氏側からは聞いていたでしょうが、歯医者の側の話を聞きたいと思ったのでしょう。悟りすまして一族の菩提を弔う平家物語の大原御幸の場面は、私も原文をたどりたどり読んだ覚えがありますが、源平盛衰記で建礼門院が後白河上皇を激しくののしった、というほうの物語は読んでいません。平家滅亡の陰の主導者に、うらみつらみを述べるほうが人間らしいとは思いますが、この絵で建礼門院は、ただ静かに山道を下っています。
《大原御幸図屏風》桃山時代(16世紀)

娘と「ビデオの解説があって、絵の内容がわかってよかった」と、六本木一丁目の駅ビルうどんやで晩御飯を食べながら話しました。
<つづく>