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ぽかぽか春庭「中原淳一展 in 松涛美術館」

2024-07-23 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240721
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩ファッションの夏(2)中原淳一展 in 松涛美術館

 7月12日、松涛美術館で「111年目の中原淳一」展を観覧。ぐるっとパス利用。
 前回の松涛美術館のエミール・ガレ展を見たとき、あることに気づいて、その後、電車の中でも待ちゆく人をぼうっと眺めているときも、同じ感想を持ちました。私は子供が生まれてからスカートを履いたことがほとんどなく、パンツスタイルを貫いてきました。仕事に出かけるときも子連れで遊びにいくときも。
 エミールガレ展で、金曜夜間公開という時間帯だったせいで仕事帰りの人が多かったからかもしれません。半数以上がパンツスタイルだったのです。スカートの女性はカップル来館が多く、ひとり観覧でスカートの女性は少数派でした。驚き!少数派だと自認してきたパンツスタイルが、最近の社会の中で主流になっていた。

 今、町の中を行きかう女性の10人のうち半数以上がパンツスタイルなのです。 コロナ禍の数年で外に出ることが少なくなり、自宅でオンライン仕事に慣れたせいかもしれないけれど、日常がコロナ禍前に戻っても、人々のファッションは「自分が心地よく、動きやすい」というスタイルを続けています。「おしゃれで女らしい華やかな衣装」を取り戻そうという動きにはなっていなかったことが、街を歩く人のファッションを見て納得できました。

 私は、小学生だったころ、王女様のドレスもかぐや姫の十二単も好きだったけれど、おしゃれが大好きな姉と異なり、服を買ってもらうより本を買ってもらうほうが嬉しかったから、本の中に見るドレスで十分でした。少し上の世代の女性たちは、映画のオードリーヘプバーンに憧れたり「それいゆ」や「ひまわり」に描かれたファッションを真似したり、おしゃれに余念なかったけれど、私はシャーロックホームズや巌窟王の冒険に胸おどるほうでした。

 中学校と女子高の制服はスカートだったけど、暖房が十分でない田舎の女子高で、冬場はズボンも認められていました。家のなかではパジャマを室内着として暮らしていました。外出するときは姉のおさがりがたくさんあって、スカートをはきましたけれど。姉のファッションセンスは、セブンティーンなどの雑誌で鍛えてあり、高校生になると「装苑」などを見て、自分で服を作っていました。私は自分に似合うとか合わないとか考えることもなく、お下がりの服を着てすごしました。

 ファッションをアートとして眺めて楽しめるようになるまで、私が町のファッションに同調したのは、70年代前半のミニスカートブームだけでした。ぞろりと長いスカートより活動的に思えたからです。
 私が中学生高校生だったころには中原淳一ブームは終わっていました。雑誌の中の夢見る美少女にあこがれたことは、一度もありませんでした。
 
 私は、ファッションを「着るもの」ではなく「見るもの」として興味を持ってきました。この40年の間にはさまざまなファッションが流行しすたれて、またリバイバルしてきました。ココ・シャネルの服もディオールも、ファッションショーでなく、美術館の展示で見てきた私。今回の中原淳一展も、アートとして楽しめるだろうとでかけました。

 戦時色も強まってきた1930年代後半から敗戦まで、色鮮やかな服装で街に出ることは非難の的。おしゃれを封印し、もんぺを履いて銃後の女としてすごしました。

松濤美術館の口上
 イラストレーション、雑誌編集、ファッションデザイン、インテリアデザインなどマルチクリエイターと呼ぶべき多彩な活動で知られる中原淳一(1913-1983)。彼は、戦前に雑誌『少女の友』でデビューをし、挿絵や表表紙を手がけ人気を博したほか、編集にも関わっていきました。1937年に日中戦争が勃発すると、戦時色が強まる中で同誌を去ることを余儀なくされます。しかし、中原の雑誌制作への情熱は絶えることはなく、終戦の翌年の1946年には自身が編集長を務める『それいゆ』を創刊。その後も『ひまわり』、『ジュニアそれいゆ』、『女の部屋』などの雑誌を手がけていきました。
 中原の生誕111年目を記念し開催される本展では、こうした数々の雑誌に掲載された挿絵や表紙の原画をはじめ、デザインした衣服、アーティストとして制作した絵画や人形など、中原の仕事の全貌に迫ります。「再び人々が夢と希望を持って、美しい暮らしを志せる本をつくりたい」という想いのもと、中原が生み出したこれらのクリエイションの数々を通じて、今もなお色褪せることのない魅力を紹介します。

 1章新しい少女のために 2章「美しい暮らしのために」3章「平和な時代のために」4章「中原淳一の原点と人形制作」が、2階と地下1階に展示されていました。、

 「それいゆ」や「ひまわり」の挿絵や表紙絵、雑誌の付録やグッズとして売られた小物が並んでいました。

    

  

    

  


七人の姫より「シンデレラ」


 制作された着物とスカート
 

 初期から作り続けられた人形
  

 今回の展示で一番心惹かれた作品は、「三人のスリ」というタイトルの若くて悪い顔をした3人組のスリの人形でした。三人の友情と葛藤と破滅と。物語が立ち上がってくるようなすてきな人形でした。

イラストから作られたパネル
 



 モンペしか許されないような時代に、こっそり雑誌を開き、美しいスカートやブラウスの絵を見て心なぐさめていた少女がきっといたに違いない。どんな服もOKの時代に育ちながら、私は「動きやすいジェンダーフリーな服」が子の実でしたから、中原淳一風のフェミニン少女とは無縁でした。人には向き不向きがあるから、私には数字とファッションが合わなかった。これは仕方がない。でも、人が数字に魅了される気持ちもファッションに心躍る人の気持ちにも寄り添いたい。「美しい暮らし」など、中原淳一が人々の暮らしの豊かさ美しさを求めてきた中原淳一。

 あいかわらずのぐうたらで部屋中が床上収納になっている日々を送る私には、遠い夢のような少女、女性たちのスタイルでしたけれど、たまには「心の中だけ美しい日々」に浸るのもまたよきかな。

<つづく>
コメント (2)
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