20240813
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩夏(4)となりの不思議&田口薫展 in オペラシティギャラリー
シュールレアリズムの絵画、好きです。
コレクター寺田小太郎が収集した日本画家の超現実主義の作品展、高田賢三展のついでに見ましたが、なかなかよい作品が並んでいました。
オペラシティアートギャラリーの口上
当館収蔵品の寄贈者 ・ 寺田小太郎氏(1927–2018)は、幻想的な絵画をことのほか好み、収集した。生前の寺田は雑誌のインタヴューでその理由を次のように語っている。「(超現実主義や幻想絵画の世界は)単なる想像の世界ではなく、現実の秩序を壊すことで、物事の根源に迫るひとつの筋道であると思っています」
その前提として寺田氏はこうも語っている。「私達は、目に見える世界の中で悪戦苦闘しながら生きています。そうすると、どうしても目に見える現実の中でしかものを考えられなくなってしまいます。しかし、それだけではないはずです」
その前提として寺田氏はこうも語っている。「私達は、目に見える世界の中で悪戦苦闘しながら生きています。そうすると、どうしても目に見える現実の中でしかものを考えられなくなってしまいます。しかし、それだけではないはずです」
本展では、寺田コレクションの特色のひとつである、一見ありふれた風景に見えながら、ふと現実への疑問を感じさせる作品群で構成した。「あたりまえ」と思い込んでいるものごとへの新たな視点を誘い、考えるきっかけを与えてくれる作品群を前にすると、私たちはいかに固定観念に囚われがちであるかを実感するのではないだろうか。作品を鑑賞することで、自らを律する。時には自己否定さえ余儀なくされる内省の場を、寺田はいとわず、欲した。私たちは時流や時勢に流されそうになったとき、あるいは流されている自覚すら失っている時、寺田氏の遺したこの言葉を胸に、彼がものごとの根源を知るよすがとしたこれらの作品の前に立ってみれば、自らを省みる機会になるだろう。
川口起美雄「柔らかな隕石」1993

ニルス・ウド「ハマナスの花」

現実にはあり得ない光景やものが、画家の想像力によって目の前に出現する。私の感覚は本当に狭いものだから、シュールレアリズムによって感覚をひろげてもらい、不思議な世界を見つめていきたい。
田口薫展 オペラシティアートギャラリーの口上
田口は、絵筆によって描くことと、彫刻刀で表面を彫ることという手順を繰り返すことで作品を制作している。実際に作品を見るとわかるように、画面の表面には、彫刻刀で削り出された無数の線が走り、図像を形づくっている。それは、木の板を刃物でえぐって彫るという直接的な接触の痕跡であり、見る者に物質性と身体性を強く意識させる。ここには、描くことで対象から距離を取り離れると同時に、近づき接触するという二つの相反する力が働いている。イメージは、「刻印」や「傷」として刻まれているのだ。
このように、田口の絵画では、常に「離れる/近づく」、「切り離す/接続する」、「描く/彫る」という相反する運動が絶えずせめぎ合い、拮抗している。田口自身はそれを「画面の層を遡行/浮上するような運動」という言葉で語っているが、「描く」とは画面の上に絵具を重ねる行為であり、「彫る」とは画面を下へと掘る行為である。絵具によって重ねられた色面による図像と、彫刻刀で彫り出された線による図像は、画面という平面の前後関係を撹乱し、イメージは常に浮かびあがっては溶け込んでいくような揺らぎのなかにある。作家は、対象を自らと切り離し、距離を取ろうとするが、それでもなおイメージは、完全に引き剥がされる手前で留まり、分かちがたい結びつきを保持している。田口の絵画においては、アンビバレントな力が絶えず発動し、寄せては返す波のように揺らいでいる。(瀧上華)
田口薫「聖顔布」2024



瀧上さんの解説を読んでも、なんだかよくわからない非見巧者なのだが、私の感性がしばし揺れたので、脳に刺激があったのだ、と思う。
<つづく>