
20250225
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩光の春(6)須田悦弘展 in 松濤美術館
1月31日、渋谷の松涛美術館で「須田悦弘」展を観覧。私は学芸員の建物紹介を聞くため早めに松濤についていました。娘は前回松濤を訪れたとき、建物見学ツアーに参加しており、私が「毎週金曜日に開催されていて、学芸員は交代で担当するでしょうけれど、紹介される内容はほぼ同じ」と、他の美術館の学芸員によるギャラリートークはそうであるので、つい、同じだろうと予測したのです。したがって娘は夜間開館の時間に合わせて遅れて到着し、18時半からの観覧。金曜日は渋谷区民無料の夜ですから、かなりの混雑でした。
しかしながら、今回は「哲学的建築家白井晟一」というタイトルで、設計者の白井の話が中心になっており、地下2階の講堂(多目的室)での講義は、白井の設計図を示しながら、当初の設計図、しだいに変化していく設計図などの解説でした。当初は東京の区立美術館第1号を目指していたはずなのに、渋谷区の土地と予算でもめているうちに板橋区立美術館に第1号の名称は持っていかれ、東京で2番目の区立美術館です。
もっとも、板橋は交通の便が悪い立地で、私もよほど見たい展示でなければ出向きません。松涛美術館は、ぐるっとパスが使えるので、年に1,2度は観覧に訪れます。白井晟一の建築模型も、地下2階で何度も見てきたので、設計図との比較で白井のデザインがよくわかりました。通常は閉鎖され職員の休憩室になっている地下の部屋は本当は茶室として白井が設計した、というお話もおもしろかった。特別なときに茶室として公開し、お茶もふるまわれるということです。
たしかに、建物の真ん中、中庭を吹き抜けにして、地下2階には噴水の池を作るというのは、他の美術館には見られない独自の設計です。ライトを浴びてキラキラ光る池の面と噴水のほとばしる水は夜間開館のときでないと見られない。学芸員さんの講座に参加できてよかったです。娘は「前と違う内容なら聞きたかった」と悔しがる。「母が、学芸員さんの人は変わるだろうけれど、説明はだいたい同じと思うっていうから、ゆっくり出てきて失敗だった。おまけに渋谷でバスが渋滞して、着いたら講座が終わってた」と、残念がる。

作者生存中だけど、撮影自由。
撮影自由という館だと、撮影者の邪魔にならないように見てまわる気遣いや、自分が撮影するときに観覧者が画面に入り込まないようにするのが面倒なときもありますが、今回は、観覧者の撮影風景がありがたかった。観覧者がスマホを向けているので、ドア影やいすの下の作品展示に気づく、というふうで、うすぼんやりの私には、他の観覧者がいなかったら、ものかげにひっそり置かれた作品を見つけることができなかったかもしれない。
松涛美術館の口上
普段、道端で見かけるような草花や雑草。実は本物と見紛うほどに精巧に彫られた木彫作品です。須田悦弘(1969~)は独学で木彫の技術を磨き、 朴 ほお の木で様々な植物の彫刻を制作してきました。須田によって生み出される植物は全て実物大で、それらを思いがけない場所にさりげなく設置することで空間と作品が一体となり、独自の世界をつくりあげています。
本展は、東京都内の美術館では25年ぶりとなる須田悦弘の個展です。今回、須田の初期作品やドローイング、近年取り組んでいる古美術品の欠損部分を木彫で補う補作の作品等をご覧いただくとともに、本展のための新作も公開します。
渋谷区立松濤美術館の建築は、「哲学の建築家」とも評される白井 晟一 せいいち (1905~1983)によるものです。閑静な住宅街に位置する石造りのユニークな外観、入口の先には楕円形の吹き抜けがあり、そこに架かるブリッジからは池と噴水を見下ろすことができます。地下2階から2階まで螺旋階段で繋がり、高い天井と湾曲した壁面をもつ展示室や、ベルベットの壁布が張られ、絨毯敷きにゆったりとしたソファが置かれた展示室など、他にはない空間が来館者を迎えます。
ここに須田の植物を配することでどのような作品となるのか。白井建築を舞台にした須田悦弘のインスタレーション作品としてもご期待ください。
渋谷区立松濤美術館の建築は、「哲学の建築家」とも評される白井 晟一 せいいち (1905~1983)によるものです。閑静な住宅街に位置する石造りのユニークな外観、入口の先には楕円形の吹き抜けがあり、そこに架かるブリッジからは池と噴水を見下ろすことができます。地下2階から2階まで螺旋階段で繋がり、高い天井と湾曲した壁面をもつ展示室や、ベルベットの壁布が張られ、絨毯敷きにゆったりとしたソファが置かれた展示室など、他にはない空間が来館者を迎えます。
ここに須田の植物を配することでどのような作品となるのか。白井建築を舞台にした須田悦弘のインスタレーション作品としてもご期待ください。
美術館が言う白井晟一の建物と須田悦弘のコラボレーション。このふたりの取り合わせが、今までのどの作家との組み合わせよりもぴったりに思えるのは、理由があると思う。ふたりともアカデミックな建築科アカデミックな彫刻科に進学していないこと。正規の建築教育を受けていない大家では、現在生存している建築家では安藤忠雄が有名ですが、白井晟一も、日本では図案を学び、ドイツ留学先では美術史、哲学を学ぶ過程でゴシック建築を研究するという、異色の経歴。須田も彫刻は独学であり、1992年多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業 したという経歴です。1969年山梨県生まれ。多磨美卒業後はグラフィックデザイナーとして 企業に勤務するが、ほどなく退職。在学中に授業課題として制作した木彫作品「するめ」で目覚めた「木を彫る」道を極めていきます。

卒業後は、イラストレーターとして、商業美術をたんとうしました。十緑茶のパッケージ薬草や果物、キリン生シードルの王林など、リアルな花や果物をえがきました。

最初の個展は1993年の「銀座雑草論」。銀座のパーキングメーターに停めた自作のリヤカーが展示空間でした。外側はトタンで、内側には全面に金箔を施し、1本のチチコグサモドキを展示したもので、この斬新な展示方法で注目を集めました。
2回目の個展「東京インスタレイシヨン」は、銀座の駐車場を借りて展示されました。松涛美術館地下1階の展示空間に、この時の展示が再現されていました。ドアから入る細長い部屋。観覧者は、ひとりずつ細い空間に入り、その奥にある朴の花を見つめる。
朴の木

この展示のタイトルは「朴の木」となっており、ネットの作品紹介で、「朴の葉が展示してある」と書かれているサイトが散見されます。おいおい!
植物に興味のない人、木の花を知らない人も東京には多いと思いますが、この空間で向き合っているのは「朴の花」です。せっかく須田が本物とみまごう見事な彫刻作品を作っているのですから、葉っぱと花を間違えるのはもったいないでしょ。
と、えらそうなこと言っているのは、植物園通いで朴の花をようやく覚えた老婆の「ものを知らぬ奴らめ!」という高笑い。なに、私も朴ノ花を覚えたのは数年前です。高い朴の木、花も高いとろこにあるから、普通に散歩していたら朴ノ木の花をみすごす。私は神代植物園で朴の花を知りました。

壁に咲くアサガオも葉っぱもつるも全部木彫作品
ガラスケースに重々しく展示されている作品も多かったですが、眼目は、館内のあちこちに「生えているように」おいてある植物たち。床の上やドアの陰、柱の横などに目立たぬように存在する「雑草」。観覧者がカメラを向けているから、気づいたようなものの、私がひとりで館内を歩いたなら見過ごしたであろう作品たちでした。
柱の横の木蓮

床の上の雑草

牧野富太郎などの植物学者でもなければ、道端の雑草をしげしげと見て歩く人は少ないでしょう。しかし、美術館という空間でアートとして展示されると、この葉っぱがアートになる。踏みつけたりしたら大ごとだ。
須田の作品を見たあとでは、そこらじゅうの雑草も貴重なアートとして見えてくるかもしれない。
アサガオもどくだみの花も、超絶技巧のリアリズム木彫作品。1階ロッカーの左端一番下のロッカーのふたが外されている。入館した時はロッカーいっぱいで、あいているロッカーをさがすのに注意が向いていました。ふたの中の棒には注意が向かなかったのだけれど、退館するときにロッカーの中をのぞいたら、木の枝が一本横たわっていました。アート!

1階エントランスホールの窓外。敷石の中に、作品の雑草がありました。図録を見て、ここに作品があることを知ったカップルが、熱心に「どれだろう」「わかんない」と、探しています。私と娘も石の上に目を這わせましたが、見つからない。カップルが「ここだ!」「あった!」とスマホを向けているので、ようやく石の中に金色の小さな雑草を見つけました。きっとどこかの庭園を歩いていて石の間に雑草を見つけても、踏みつけて通りすぎただろう。
床の上にポンとおかれたチューリップを見て、監視員さんに「あそこ、ロープとか張っておかないと、ふんずけちゃう人も出るかも」と尋ねると、「作家さんの希望でロープなどは張らない」というお答えでした。
ライトアップされた噴水が見える窓の前にそっと置かれたチューリップ。踏んずけてしまわなくてよかった。

特別室ドアの陰に隠れていたどくだみの花。我が家の庭を占領してはびこっているときは、葉っぱは引っこ抜いて乾燥しお茶にする。花とつぼみはむしり取って焼酎に漬けるんだけど、木彫だと立派なアート。

私は道端の葉っぱが虫に食われ放題になり、最後は葉脈しか残らないような天然芸術作品に感心し、いつかこれを押し葉にして額にでも入れてアート作品にしてどこぞの展覧会に出したいと思っているのだけれど、まだ実現していない。作者「虫たち」作品番号HAL49(しじゅう苦)

娘と「敷石の中の雑草、みつけられなかったね」などと話しながら渋谷駅へ向かい、途中の蘭州拉麺店で牛肉拉麺を食べてかえりました。注文も支払いもスマホQコードで済ませる店で、私ひとりなら注文できなかったでしょう。甘蘭渋谷本店蘭州拉麺おいしかったです。
<つづく>