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ぽかぽか春庭「ブラックジャック展 in そごう美術館」

2025-03-06 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250306
ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩2025歩いて探す春隣(1)ブラックジャック展 in そごう美術館

 2月12日、娘とそごう美術館でブラックジャック展を観覧。このところ、NHKアーカイブ放映で、手塚治虫の「わたしの自叙伝(1979)」を見たり、「新しい地図」の3人が出演するEテレの子供番組で稲垣吾郎が「絵本昔話」として手塚治虫の一生を紹介したり、私の日常にやたらに手塚治虫の名があふれ、テレビ再放送で「火の鳥」を見ています。
 手塚治虫、1928生まれ、1989年胃がんのため60歳で死去。最後の言葉は「仕事をさせてくれ」
 
手塚治虫仕事机


 昔、漫画雑誌でとびとびに読んだ「キリヒト讃歌」や「アドルフに告ぐ」など、全部は読んでいない作も読み返すべきですね。
 今回のブラックジャック展は、1973年の少年チャンピオン連載開始から50年になったのを記念しての展覧会。
 娘は小学生のとき、文庫サイズブラックジャックを全巻読んだことがあると言います。「学校の図書館だったか、学童クラブだか覚えていないけれど、全巻そろっていた」と。私は、全242話 のごく一部を読んだだけにすぎませんが、ストーリーの概略は知っています。

        

 そごう美術館、エントランスの中とプロローグの部屋は撮影OKですが、あとは撮影禁止。展示は第1話から順に並ぶのではなく、テーマ別に「動物や宇宙人など人間以外の患者」とか「手塚作品のキャラクターが患者になるシリーズ」などをひとつのコーナーにしています。

 展示は、原画が2ページ分、原画の上下にパネルでストーリーが紹介される、という構成で、242話のうち200話が紹介されていました。残りの42話は、時代が変わったので、コンプラ的に取り上げにくいストーリーだったのかな。手塚漫画の黒人描写などに類型的差別的な表現があることは批判されていますが、手塚自身は人間のみならず生きとし生けるものひいては宇宙人すらも同じ心で分かり合える存在として描いてきたこと、展示された500点の資料からも受け止めることができました。


そごう美術館の口上
 世紀前の1973年に登場したマンガ『ブラック・ジャック』は、現在第一線で活躍する医療従事者の多くに影響を与えたといわれ、作品に込められたテーマやメッセージは、今なお多くの人々に深い感銘を与えています。
 本展では、500点以上の原稿や200以上のエピソードなどから手塚治虫の情熱と執念を大解剖。『ブラック・ジャック』を深くまで知る人、初めて知る世代など、すべての人々に向けて、『ブラック・ジャック』の魅力を余すところなくお楽しみいただける『ブラック・ジャック』過去最大規模の展覧会です。


 私と娘の大誤算。何度も訪れているそごう美術館のひろさからみて、一回り観覧するのに午後8時閉店の2時間前に入場すれば会場一巡できるだろうとふんでだのですが、なにせ手塚治虫の生原稿や資料が500点もぎっしり並んでいるのです。手塚プロダクションでは、アシスタントたちの線の描き方などが気に入らないと手塚自身が全部ひとりでやり直した、という話は漫画界にうとい私でも知っていましたから、一枚一枚の生原稿、あだやおろそかには見ることができません。手書きの文字の上に活字をはりつけた吹きだしの部分でも、消し残しの手書き文字がよめるところは、ああ、これが手塚の文字なのかなどと感慨にふけりながらすすんでいったので、最後の一室は時間切れ。係員に「出口のシャッターを閉めますからお急ぎください」と追い立てられながら駆け足になりました。娘と「3時間とっておくべきだったね」と悔やみました。


 第1室 ブラックジャック(BJ)とキャストたち
 第2室 BJ曼荼羅  
 第3室 BJ蘇生
 

 第2室には、手塚治虫の医師免許状や医学専門校時代の医学ノートが展示されていました。確かな医学知識に裏打ちされてブラックなど医療物が執筆されたこと、医学生のころのノートの緻密な図などを見てもわかりました。
 「陽だまりの樹」で描かれた手塚治虫の曽祖父手塚良仙の肖像画など、貴重な資料を見ることができました。

 漫画ファン、手塚ファンなら朝から晩までひたっていたいお宝を目の前にしていながら、最後は駆け足で出なければならなくなったのは無念残念。

 第1作目、BJ登場のシーンも原画が展示されています。

 第2室には、手塚の娘るみ子と息子真のインタビュー映像もあり、虫プロ倒産後もおおらかな母のもとで、それほど不幸な思いをせずに育ったと語っていました。
 手塚治虫は勤労動員で工場労働に従事した世代ですが、大阪で空襲に遭い、多くの友を失いました。黒焦げの死体の中で生き延び、戦争を憎み平和を愛する姿勢を60歳の一期まで持ち続けました。ブラックジャックも、生き物全部の命を尊ぶ心があふれていて、全巻読んでいない私も、全部読もうと思いました。


 死の床で「仕事をさせろ。アイデアは売るほどあるんだ」と言っていたという手塚。60歳での死は、ほんとうに残念です。漫画の神様が神様と呼ばれる理由もよくわかりました。

<つづく>
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