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ぽかぽか春庭「紙の上のスタイル画 in アクセサリーミュージアム」

2025-03-09 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250309
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩あるいて探す春隣(3)紙の上のスタイル画 in アクセサリーミュージアム

 アクセサリーミュージアムは、上目黒の住宅街の中にあり、祐天寺駅西口から小道を曲がりまがりしていくのがわかりにくく、道に迷いながらたどり着く館でした。案内にでている通りに祐天寺西口から歩くとどこかの曲がり角で迷う。駅東口から東急線ゲートをくぐる道が、最適と、前回の訪問で気づきました。1月31日の訪問ではメインの通りを順調に歩き、駅近くの古本屋では新書版「フェルメール全点制覇の旅」を300円でゲット。近道しようと思わずに、メインの通りを歩けば、決して迷うような道順ではない。

 アクセサリーミュージアムは、地階が手作りアクセサリー教室とショップ。1階2階が展示室のこじんまりとした造り。今回のファッションプレート(19世紀中心のデザイン画)の展示は点数は少ないけれど、よい企画でした。

 もとより私には、冬は寒くなければよい、夏は裸でなければよい、という以上のファッション感覚はなく、今見ている「カーネーション」再放送を見るにつけ、自分がおしゃれと無縁の生活を送ってしまったことが悔やまれます。母に「身なりで人を判断してはいけない」と、厳しく言われすぎたのかとも思いますが、それは敗戦後のもののない時代に、どんな高潔な人物でも襤褸を着てすごしたときの時代のこと。同じ母に育てられても、姉と妹はおしゃれ大好き娘に育ち、服だ靴だバッグだと、伯母が定期購読していた装苑を見て喜んでいました。姉はおこずかいでセブンティーンなどのファッション雑誌を買うようになると、伯母に教わりながら自分でスカートなどをこしらえて新しいおしゃれをたのしんでいました。私は姉のお下がりをもらえば十分で、姉のミニスカートが姉より背が低い私に膝丈になるのも気にしない。

 アートとしてファッションを楽しむようになったのは、2009年に庭園美術館で開催されたポール・ポワレとマリアノ・フォルチュニィ展が開催されてからだったかと思います。以後、シャネル展(三菱一号館)ディオール展(現代美術館)ミナペルホネン展(現代美術館)高田賢三展(オペラシティアートギャラリー)など、自分が着ることなくても、見るだけでもファッションを楽しんできました。シャネルは伝記映画なども見て知っていたけれど、全く知らなかったスキャパレリを美術館で知ることができました。

 今回のアクセサリーミュージアムの展示は、ファッションプレート。19世紀を中心に20世紀初頭までの最新のスタイルを美しい彩色で印刷したもの。

 アクセサリーミュージアムの口上
 大航海時代、海外を目にした人々が、自分たちとは異なる独自の文化や服装に強い関心を持ったことから、ヨーロッパにおけるファッション史研究は始まります。17世紀以降には流行のスタイルを描いたファッションプレートが制作されるようになり、異国文化を受け入れ始めた明治時代の日本にも伝えられました。
 アクセサリーミュージアムはコスチュームジュエリーのメーカーベンダーであった田中美晴・元子夫妻のコレクションを基に設立された私立美術館であり、ファッションプレートをはじめとした資料は、戦後日本の洋装化に伴うスタイルや当時の流行研究の過程で蒐集が始められたものです。 この企画展ではコレクションの中から19世紀のファッションプレートをはじめ、アーサー・ラッカム(英)やジョルジュ・バルビエ(仏)などの挿画を「スタイル」をテーマに展示いたします

 18世紀までの西欧社会では、おしゃれを楽しむのは貴族社会でした。しかし、産業革命後のブルジョア社会が成立した19世紀、ファッションは大きく変化しました。近代化が進むにつれ、ファッションの流通方法も変化していきます。富裕層をターゲットにしていた婦人雑誌の購読層が、中流階級~一般階級へと広がり、ファッションの消費ターゲットもさまざまな階層を対象とするようになっていきました。

 富裕層相手の手彩色でのファッション画は、印刷技術の機械化により大量生産が可能になり、ファッションプレートは機械彩色へと変わりました。さらに時代が進むと写真印刷が普及し、ファッションプレートは徐々に衰退。20世紀のファッション雑誌は写真が中心になりました。

 つまり、ファッションプレートと呼ばれるデザイン画は、18世紀後半から19世紀にかけて最盛期を迎えており、今回の展示でも、19世紀20世紀初頭のもので構成されています。

雑誌Journal Gens du Monde 1834 雑誌Petit Courrier Des Dame1836 7月   
  

雑誌 Le follet 1836 7月    雑誌Petit  Courrier Des Dame1836 5月
 

雑誌Journal dens du Modes1838


雑誌Le felle 1843 5月        Le Monitear de la Mode 1864
 

アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1874

アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1875
    
アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1875  


アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1875
 
アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1878  1878  
  

アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1877  1881
 

アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1881 1881
  

アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」 1884   1884
  
アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1884
  

アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1886   1886
 
 


アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1888 1888
  

アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1889   1889
   
アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1890   1891
    
アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1892
 
アナイス・トゥドゥーズ「La Mode Illastree」1894
 

 アデル=アナイス・コラン・トゥードゥーズ(Adèle-Anaïs Colin Toudouze、1822 - 1899)は、姉エロイーズとともに父の画家アレクサンドル=マリー・コランに絵の手ほどきを受けました。1845年に建築家、水彩画家、版画家のガブリエル・トゥードゥーズ(Gabriel Toudouze: 1811-1854)と結婚しましたが、3人の子供を残し夫は1854年に亡くなりました。アデルアナイスは、3人の子供を育てるために、ファッション雑誌や書籍の挿絵を描く仕事を続け、数々のファッションプレートを描きました。

 アデル・アナイスの3人の子供は母の訓育を受け、息子ギュスターヴ・トゥードゥーズ(Gustave Toudouze: 1847-1904)は文学者になり、もう一人の息子、エドゥアール・トゥードゥーズ(1848-1907)は画家になりました。娘のイザベル・コラン(Isabelle Colin)は、母と同じファッションプレート画家となり、アデル・アナイスは、32歳で未亡人となったあとは、仕事を持つシングルマザーとして一生をまっとうしました。

 女性が絵を描く仕事で生き抜く画材として、植物画またはファッションプレート以外には少なく、アデル・アナイスはファッションプレートのイラストの仕事により3人の子を育てあげたのです。父アレクサンドル=マリー・コランは、ロマン主義時代の画家として、友人ドラクロアほどの名声を得ることはありませんでした。私はドラクロアは子供のころから知っていました。生涯独身を貫いたドラクロアは、遠い日本の美術教科書にも歴史の本にも登場する大画家。フランス紙幣に「民衆を導く自由の女神」の絵と自画像を残しました。一方、コランというと、日本では、黒田清輝師匠のラファエル・コラン以外には知られていません。子も孫もそれなりに絵で生活できるように成長したコランと、紙幣に肖像を残すドラクロアと、どっちが満足のいく生涯だったのかなんて、大きなお世話でしょうが、私は、花咲く庭で絵を描いて遊ぶ孫たちに、色遣いの手ほどきなどしながら過ごすコラン爺さんを勝手に想像しています。

 アーサー・ラッカム「水の妖精ウンディーネ」1909初版


ジョルジュ・バルビア「カサノバシリーズ」1918
  
ジョルジュ・バルビア「ファッション誌『ガゼット・デュ・ボン・トン」1918
 

雑誌 La guirLand 1920   La guirLand 1919~1920 
 

La pafum de la Rose 1919~1920

 ファッションプレートを年代順に眺めていくと、衣装の変遷が年ごとに変化し、流行が大きなうねりとなっていくことがよくわかります。裾を引きずって歩くドレス。女性が日傘片手に外歩きを楽しむようになり、猟銃を手にする姿も社会に進出してくると、ひきずるスカートでは行動が制約されてしまいます。女性の足首が見えたら「はしたない」とヒンシュクを買った時代から、足首からふくらはぎまで見せるようになっていきます。女性解放運動とも連動した時代だったと思います。第1次大戦で女性の社会進出が進む時代とココ・シャネルのスーツがぴったり合ったように。
 20世紀1960年代、ひざもすねも堂々とお披露目し女性たちが生き生きと闊歩するようになるまで100年のファッションの歩み。

 アデル・アナイス・コラン・トゥードゥーズというイラスト画家を初めて知り、紙の上に表現されたファッションの歴史、楽しく観覧できました。

<つづく>
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