KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

毎年恒例?春の雪

2024年03月08日 | 俳句
天気 雪のち雨のち曇

朝、6時半ごろの窓の外。もう雪はチラチラと舞う程度で止む時刻になっていたが、写真の手前、ベランダの手摺りにも積もっていた。見下ろすと、道路も真っ白なので、このあたりの積雪は数センチにはなったのかも。都心でも積ったようだ。
ここ数年、3月に雪の降ることが多い。
「暖冬なのに今夜は雪なの?おかしなお天気ねえ」と昨日、食堂で誰かの声がしていた。
はいはい、暖冬だから余計、南関東には雪が3月に降ることが多いのですよ、と言ったって、ま、解るお年寄りはあまり居ないかも・・私は天気オタクばあさんなので大体のことは解るのデス。来世の天気予報士を目指しております。
ここでそれを披露するつもりはないが、最近は関東平野に空っ風の吹く日が少なくなった。
その分、3月になり太平洋側に低気圧が出来やすくなるのだろうか。
ここへ入所した年の2020年3月末には、大雪が降った。満開の桜に雪。
長く済んだマンションでの最後の春、ベランダから見下ろした桜へ、容赦なく重たい雪が積もった。
コロナ禍の始まった時期でもあった。満開の桜に降った雪が、天変地異の前触れのように不気味に感じたものだ。

その、2020年の春の雪。歳時記に「桜かくし」という季語がある。まさに桜隠しだった。
再度、お断り。以下の写真は今朝のものではありません。






春の雪消ゆる電車の過ぎるたび  KUMI
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パソコン入門のきっかけ・ある訃報

2024年03月06日 | 俳句
天気 雨のち曇

未明に雪が降ったらしく、起きてカーテンを開いたら家々の屋根が真っ白。といってもたいした雪ではなく、細かい雨にだんだん消えてしまった。明け方、足指が痛くて眠れず、昨日も今日も寝不足で昼間、ソファで座ったままのうたた寝。おまけに点滴の副作用なのか寒暖差・気圧の差なのか、体調は最悪。動かねば・・と焦ってもそうもいかず。

句会のグループLineで、吟行仲間だったKさんの訃報を知った。私よりはるかに若い彼のこと、え、と驚いたが考えれば糖尿病でインスリン注射をしながらの吟行だった。経営コンサルタントか何かの自営業だったので、女性の多い週日の句会にもご一緒出来た。
実は、パソコンのことを詳しく教えてくれたのはKさん。まだパソコンを買う前に、句会の集まりで「パソコンの通信とは何ぞや」のような話をしてくれた。つまり、インターネットの使い方など。私は体調不良で早めに現役引退していたが、職場のワープロやデータの端末機などは使えた。なので、パソコンも似たようなものだろう、と思い切って買ったきっかけは、彼の話を聴いたから。これからは、メールで句会が出来る、というのも魅力だった。それまでも全国規模の郵便での投句、などというのはあったが、メールなら即刻届くので、幹事がそれを清記(投句を一覧表にする)してメールで参加者へ送る。それを選句してメールで送り返す。
何だか、当時としてはうきうきする斬新な話だった。その後、私は何とかパソコンを使えるようになり、Kさんが幹事となった月1回のメール句会、最後の100回まで参加することが出来た。
今、どこへも行けなくても何とか俳句や社会と繋がっていられるのも、Kさんのおかげかもしれない。
そして、秩父三十四観音を廻る主宰との吟行句会も、Kさんが幹事の1人となって、納経所での納経帳の記載など、取り仕切ってもらっていた。何とか満行出来たのも彼のおかげだ。当時はまだ病むほどではなかったようで、健脚で、急坂を走るように登り降りしていた姿が浮かんでくる。


ご冥福をお祈り申し上げます。
昨年から、私より若い人の訃報が相次ぎ、俳句仲間もかの世ばかりがにぎやかになっていく。何だか、私も早く皆に追いついて、自在に飛び回れる世界で吟行句会をしてみたくなった。

啓蟄を吟行の友逝きたると  KUMI
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まさか・・彼女も認知症?

2024年03月04日 | 俳句
天気 晴

免疫療法の点滴から5日、ちょうど副作用の最盛期?へ入る時期。その時にもよるが、今月はチトきつい。色々あっても膠原病の症状なのか化学療法の副作用なのか、自分でも解らない。化学療法室の看護師さんに話したら私のような患者は他にも居て、どちらなのか判明しないのは医師も同じだと言っていた。
ともかく、足指の痛みは膠原病の強皮症からくる血行の悪さからの炎症、頭痛は点滴のせい。病院で処方してもらった痛み止めを目いっぱい飲んでいる。鎮痛剤はクセになりそうで余り飲まないようにしてきたが、明け方の3時4時くらいに足がズキズキ痛むと眠れない。今日は内科医の診察日で聴いてみたら「そのための薬なので気にしないで飲んだ方がいいですよ」と。
ドクターの言うことは、自分の都合の良い方にとるのが得策だ。

さて、食堂のテーブルの、私の隣の席は2ヶ月くらい空いていた。4人座れるテーブル、窓際で、介護の不要な3人がずっと占めていたのだ。
10日ほど前、新しい人がやってきた。90歳を過ぎていて、手押しのカートか杖を使えば何とか歩ける、あまり介護の要らない人だったので安心した。補聴器をきちんと使っているので会話も出来る。私の向かいの人は耳が少し遠くて、私は彼女に話しかけるとき声量を一段上げねばならない。が、彼女は私の苦労をあまり知らないようで「さっきの話、聞こえなかった」とケロリと言う。声を大きくしているのに・・とムッとすることがある。そろそろ補聴器でしょ!
でも、今度のお隣さんはその苦労はないし、頭もしっかりしているし・・と安心していたら・・
1週間前から、彼女の愛用の手押しのカートがなくなったのだという。仕方ないので、事務所に話して施設のものを借りているのだと。使い慣れた前のカートの方が良かった、名前をあちこちに貼ってあったのに何処へいったやら・・と、介護士にも話すし、事務室へも「捜索願い」を出していたようだ。廊下に放置されてもいないらしい。私も気になって廊下のカートの名前を確かめたり。「誰かが間違って自分の部屋へ持っていったのかしら?」などと言っていた。

それでも何処にもないのは変。で、私が屈んで「事務所で借りた」という新品のカートを見たら、車軸部分に彼女の名前が書いてある。もしかして・・と。今日、自分の用事のついでにケアマネさんに聴いてみたら、入所時には、古いものではなく今使っている新品を持ってきたそうだ。そういえば彼女、前日に話したことを又、繰り返すことがよくあるし。ま、そんなことは私にもある話だが、広島からここへ直接入所した、という話も辻褄の合わない内容だったりで眉唾になってきた。まさか、と思うが、彼女も初期認知症? 
もう、疲れる。自分が認知症になってしまった方が楽かもしれない。

鴉悠々杉花粉飛ぶ空を  KUMI
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雛の日

2024年03月03日 | 俳句
天気 晴

写真は、ここへ来た翌年に撮っている、近くの公園の水仙。まだまだ散歩の元気はあったのだ。今は・・足指が痛くなくても、この公園までカメラを持って行く元気はないかも。情けない話。

今日は雛祭で、少し雛の日らしい昼食が出た。ちらし寿司に筍と蕗の煮物、菜花の辛し和え、お吸い物とフルーツは缶詰の梨。
去年は・・と見たら、ふくさ寿司と稲荷寿司だった。どちらにしても少しは有難いメニューだ。

午後は、ボランティアの人の琴とピアノの演奏会。コロナ禍がおさまってからは、少しづつそういう演奏会などが入るようになった。コロナ騒ぎの前には、色々と賑やかだったらしい。老人ホームへボランティア、というのはよく耳にした話だが、自分がその受け手になることは考えてもいなかった。
演奏会を聴きに出たくても出られない体になることなぞ、予想もしていなかったのだ。すぐそばの市民ホールの催しでも、今は余程体調が良くないと無理かもしれない。
ボランティアとはいえ、来てくださる方たちは本物の演奏の出来る方ばかりなので楽しめる(ピアノは施設に設置されている)。ことに今日は、二人とも初めての方たちだったが、内容も演奏もとっても良かった。琴の演奏で洋楽をこんなに表現できるとは思わなかった。


認知症の人が多いとはいえ、50年以上前のことは覚えているので、少し古いと思う曲でも皆、楽しんでいる。朝ドラを見ている人は少ないようだが、服部良一の楽曲は皆が知っている訳で「青い山脈」「湖畔の宿」を演奏したら、歌詞カードなんかないのに、歌い出した人が何人も居た。ピアノと琴の生演奏で歌うなんて、贅沢なこと。
私も、終戦直後に流行した歌なら、一番くらいの歌詞は正確に覚えている。蓄音機もない暮らしだったけれど、ラジオと、大人たちが歌うのを聴いていただけで覚えたものなのだ。子供の頃に覚えた歌詞は忘れないもの。朝のことも忘れている認知症の人が「青い山脈」を間違いなく歌っているのには生命の「不思議」を感じた。

朝、私のお友達みたいに必ず来ている鴉。いつもなら鴉の向こうには富士山が見える。今日は雲が多くて見えなかった。隣に、これ以上鴉には近づかないヒヨドリ。

最近はあまり住人と話す機会もなくて、お友達は窓の外の鳥くらいになりそう。鴉が居なくなったら、雀の一家がやってくる。鳥にも止まる順番が決まっているようだ。
今日は東京マラソンの日だった。もう行くことのない都心の今の風景が見られるので、中継をしっかりと見てしまった。

春光を浴びランナーの過(よ)ぎる首都  KUMI 







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地震が止まらない

2024年03月01日 | 俳句
天気 晴のち曇りがち

日の出あとの空。どことなく春めいた雲になった。
明け方、足指が痛んで5時前に目が覚めてしまった。鎮痛剤は一日に4回まで、6時間を経過したら飲んでいいことになっている。寝る間際の11時に飲んだのでもう次を飲んでもいいか・・と、起きてガサガサと薬を出したりしていると目が覚めてしまった。どうせ、ズキズキの痛みでは眠れる訳もなくて・・見た目には腫れも大分ひいてきて、治癒に向かっているように見えるけれど、しつこいです。
着替えを済ませた頃、スマホの地震警報が鳴った。え?全然揺れないのに・・とテレビを付けると、最近頻繁に起きている房総半島東方沖が震源地。警報は現在地とあーちゃんの住む横浜が震度3以上でないと鳴らない設定にしているので、あれ?と思ったらこちらではなく横浜が震度3だった。
ともあれ、このところ、能登半島地震の前みたいに房総半島が不気味に毎日揺れているらしい。先日来てくれた亡甥の妻は千葉に居るので、毎日の揺れに不安なようだ。大学生の娘は都内の寮住まいだから、今は独り暮らし。心細いかも。新しい集合住宅でちょっとくらいの地震は心配ないとはいえ・・

育った房総半島は、台風の通り道の上、地震が多い。子供の頃から怖い思いをしてきた。地震に子供は「慣れる」ことが出来ない。震度2でも5でも怖いのは同じ。戦後、疎開した地に建てた急ごしらえの家は古材で作ったから、台風にも地震にも耐えられそうになかった。小学5年くらいの時だったか、昼間に震度5を超すくらいの(今の震度)大きな揺れがあり、夜になっても余震がおさまらない。家が潰れるかも・・と、隣家との間の竹藪に寝たことがあった。竹の根っこが地面を守っているので安全な場所、と大人の話。
学校の校舎も古い木造で、崩れてもせめて怪我をしないように、と机の下へもぐる訓練は随分させられた。今も建物の中なら、揺れると反射的にテーブルの下へ身を隠す。何かで頭を守る習慣も、子供の頃から身についてしまった。
中学3年の時、父の仕事の都合で瀬戸内海に面した町へ移った。地震なんて「一度も遭ったことがない」と言う同級生に驚いた。天候とは違い、地震なんて日本中どこも同じかと思っていたのだ。実際、高校の途中まで住んでいて、地震は一度もなかった。私の人生で、1年以上地震を感じなかったのは、この四国時代だけだろう。
そういえば、阪神淡路大震災のとき「東京は地震が起きそうだから子供の大学進学は神戸にしたのに・・」という大阪の人の記事を見たことがあった。神戸の大学の寮で被災して大変だったという。

ともあれ、能登半島のような地震が房総半島には起きませんように。成田空港が近いし、地震の規模によっては東京も襲われそう。どこに暮していても、つくづく安心のない国だと思う。

過去のみな消えたる人や春寒し  KUMI
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