天気 雨
写真は、馬酔木(あせび)の花。桜の咲く前に遠慮がちな花を咲かせるので、何となく見逃されているような低木。散歩に行くとあちこち目につくので、私は好きな花だ。ちょっと出れば、その辺にも咲いているのだが・・今日は雨。おまけに、昨日、介護サンダルで出掛けてちっとも楽に歩けなかったので、歩行する自信すらなくなった。早く靴を履きたい・・いつ、そんな日が戻ってくるのやら。
昨日は寝不足で一日不快な日だったが、夕食後、目の覚めてしまうようなことがあった。
部屋へ帰ろうと、1人で食堂からエレベーターに乗ったら、最近入所したばかりのジイサンが私の後から乗ってきた。歩行器に掴って歩いている。太ってはいないが、身長は180㎝近くもあるかというような大男。私の席の斜め後に座っているので、立っている姿を見たのは初めてだ。が、びっくりした。な、な、なんと、上下白い下着姿・・・・
上は白い丸首の長袖シャツ(もしかしたらTシャツ?)で、下はいわゆる「もも引き」というのか、昔の冬の年寄の定番。夫は高齢になってからも真冬だけ時々タイツは着用したけれど「もも引き」は持っていなかった。なので明治生まれの父親の姿でしか見たことがない。ジイサンは2階で下りていった。
何かの間違いでは?と思い、今朝、同じテーブルの、ジイサンの見える向かいの人に訊いたら「今日は白ではないけれど、同じようなものよ。上はポロシャツ着てる」とのこと。ということは、介護士付きではなく食堂へ1人で往復できる人なのだ。いくらなんでも、下着姿だったら介護士がズボンくらいは着せるはず。でも、認知症だったり歩行に支障があれば、入所後しばらくは、慣れるまで職員が付き添って食堂へ来る筈なのに・・職員が下着姿を容認している?まさか・・
時々、着替えを手伝いに部屋へ来る介護士を待たず、パジャマのままで来てしまう認知症の人は居た。そんな、パジャマ姿の方がまだ良い。「もも引き」はやめて欲しい。高級老人ホームではないけれど、最低でも私以上の暮らしをしてきた人ばかりのはず。なので着替えがない、ということは考えられない。多分、本人には普段の暮らしのスタイルなのだろうが、下着姿の人が出入りする食堂に居るのは我慢がならない。他に見苦しい服装の人は殆ど居ない。
食後、ケアマネさんに、何とかして欲しい、と訴えた。無論、彼女は知らなかったという。他の人は気にならなくても、絶対にイヤ、というレディが居ることは介護士にも伝えて欲しい、と。それにしても、ジイサンのあの姿を見ても気にならなかった、という人たちが私には信じられない。そこまで品性のない施設へ入ったつもりはないのに・・
花馬酔木老犬乗せしベビーカー KUMI
天気 晴
昨日からあまり落ち着かない気分で、おまけに足指が痛み今日は酷い寝不足で、気分冴えないまま一日を過ごした。
やっとのこと、外出する気になれる気温と陽気。明日はまた雨だというし、と、この機会を逃せない・・午後、買い物に出てみた。靴は履けないので介護用のサンダルで厚いソックスにして出かけたものの・・寒さや冷えは感じなかったが、やはり介護用サンダルは室内とは違い歩きにくい。おまけに寝不足なのでフラフラ状態、買いたいものの半分も買えなかった。気になっていた仏壇の花が買えてなんとなくほっとした。
午後2時46分までには帰る。あの時刻を思い出すのもイヤなこと。でも、やはり命ある者は命を落とした方たちへ合掌せねば。
被災された方たちの13年は私の13年と比較にならない苦労の日々だったと思う。でも、私の13年も、随分と苦労した日々だった。そう思うと、13年前が懐かしくさえある。まだ、私の心臓が正常に動いていた日々。夫のがん闘病の始まっていない日々。独身貴族だった姉が元気で、何の心配もしないで済んでいた日々。
疲れるのでこれ以上は考えるのをやめよう。
鴉来て雀去る朝震災日 KUMI
天気 晴
写真は、数年前に撮った片栗の花。年によるけれど、今年は何でも早いのでとっくに咲いているかもしれない。隣駅前の都立庭園の狭い土手にたくさん咲く。自生の花を見るためにはかなり歩かねばならないが、ここは駅の改札口を出て僅か数分の庭園だ。毎年のように見に行っていたけれど・・そんな近い場所も、今の私には遠くなってしまった。
お雛様は片付けた。がんを患ってからは毎年、片付ける時には来年飾ることはもうないかも・・と思ったものだ。でも、それから15年。毎年、飾ってきた。なぜか、今年はもうそういうことも考えなくなってしまった。来年、が来なくて当たり前、と思うようになってしまったのかもしれない。
大好きな片栗の花の写真を見ても、咲き揃っているあの光景をまた見に行きたい、とは切望していない。
明日は3.11で、もう13年前のことになる。なんとなくその当時のブログを眺めてみたら、今はもう考えられないようなことが私の周囲にも起きていた。
スーパーの日用品不足。放射線被害騒動、などなど。私は案外用心深くて、当時から災害に備えてのストックはしている方だった。なのに、買い物に行ったついでに列なしているティッシュペーパー売場で買い足したりしている。、万一のためにトイレットペーパーを2ヶ月分くらいストックしていたから、何も慌てることはないのに・・
あれから、熊本でも震災があり、コロナ禍があり、今年また能登の震災。そのたびに防災が叫ばれる。私は今は防災も施設任せだが(安心出来るかどうかは??)それでも水とトイレットペーパーのストックの癖は抜けない。
午後、同じ階のFさんと日向ぼっこしながら久々に話し込んだ。Fさんは私よりも何歳か上で、奥さまを亡くされての1人暮らしに限界を感じて入所した人。足は悪くて歩行器で移動しているが、認知症もないし聴力も何とか保っている、ここでは珍しい男性だ(なぜか男性は耳の遠い人が多い)。
「認知症の人は死への恐怖はないらしいよ」と、彼の話。私はそれは考えたことがなかった。「恐怖がないというより、考えないんだろうな。羨ましいよ」
本当にそうなら、私も認知症になってしまいたいけれど・・
「災害の悲惨さをテレビで見ても理解しないのでしょうねえ」
もしそうだったら、羨ましいけれど。3.11を思い出すのは、被災地の端っこに居ただけの私にも辛い。
一年ののちは思はず雛納む KUMI
天気 晴
昨日までの体調の悪さは、やはり南岸低気圧のための気圧低下だったのか・・と思い知らされた。今日は、普通にいつもの目眩だけで済み、朝一番で(といってもここでは9時になるが)何日かぶりにシャワーを浴びてすっきりした。
午後にはリハビリがてら出かけてみようか・・と思ったが、北風がまだ強い。靴を履けないのでサンダルか草履では足の指が冷え、痺れてしまうかも。と想って外出はやめた。予報を見ると、明日から徐々に春の気温へ近づいていくようなので焦りは禁物。まだまだ足指は回復に遠くて、明け方、痛くて眠れないのは相変わらずだ。
おまけに今朝は4時過ぎ、緊急地震速報で眼が覚めた。揺れが来ないので、房総で又?・・と思ったらその通り。震度4以上にはならないものの、不気味な日々が続いている。昨夜、千葉に住む義姪と別のことでLineのやりとりをしたばかり。
大きな地震になるかならないかは、誰にも解らないらしい。同じような状況は、東日本大震災の前にもあったというが・・今度もあの未曾有の震災になるなんて、あり得ない。と思っている。
写真は、4年前の今頃のもの。ヒヨドリはたまたま来ていた。黄水仙の鉢を二つ、マンションに放棄してきたことを今頃になるとウジウジと思い出してしまう。もっとたくさんのものを放棄して(片付けないでゴミ付で売った)きた。あのコロナ禍の初年は異常な日々で、人に会ったりモノの売買の交渉をしたり、ということすら憚られた。この、大きな鉢2個、数年間、ベランダにほおって置けば咲くようになっていた。丈の低い水仙でベランダ向き。株はどんどん増えてきて、ベランダに春の訪れを告げてくれる花になっていた。
思うことは、3年も生きていられたら考えも変わっていたろうに・・ということ。あの時は、人間、最後は諦めが肝心、とすべてを放棄することで納得したのに。夫の闘病を看取ったばかりで、早く私も楽になりたい・・という気持があったのかもしれない。
瀬戸焼きの立派な鉢の上、土が目いっぱい入っていて、とても1人では持てないし、近所の人に譲っても迷惑になる。咲き終ったら球根にして人に譲るのが最適、と思いつつ、その作業を忘れてしまった。鉢に未練があったのだ。
どこかの家へ運ぶにしても、車を頼まねばならない。コロナの大騒ぎの中、室内のあれこれと一緒にすべてを放棄、不動産やに委ねた。
後悔先に立たず。山ほど大事なものを廃棄して生きている。あの、震災に破壊された日々を体験した人に比べれば、私のように自分で選んだ廃棄処分を後悔するのは贅沢なことだ。
早春の富士の中腹雲を抱き KUMI