ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県石岡市、常陸国分尼寺跡です!!

2015-02-27 08:23:45 | 遺跡・史跡
常陸国分尼寺跡は、石岡市役所の北西約2kmの、

石岡二高の西側・国府小学校の北側に広がっています

石岡市街地の北側、県道7号線線から東に入った所です



小学校の西側通りから入ると、特別史跡国分尼寺跡・法華滅罪之寺跡石碑です


広々とした敷地が広がります

説明版が有ります
     国指定特別史跡 常陸国分尼寺跡
                所   在   地 石岡市若松三丁目一番
                特別史跡指定年月日 昭和二十七年三月二十九日
    国分寺・国分尼寺は、天平十三年(741)聖武天皇の勅命により、鎮護国家を祈るため、国ごとに置かれた
   寺院である。
    国分尼寺は、法華滅罪之寺といい、常住の尼僧10名を置き、寺院の財政は、水田10町でまかなわれた。
    一般に、国分尼寺は国分寺より早く衰退したらしく、今日では、その遺跡すらどこにあるのか不明なものが多
   い。
    常陸国分尼寺跡は、一直線上に中門跡・金堂跡・講堂跡の礎石が基壇上にあって保存され、全国的に見ても、
   極めて貴重な遺跡です。
    昭和四十四年から四次にわたる発掘調査のにより、各建造物基壇の規模や南大門跡・北方建物跡・西及び北を
   限る溝跡などが明らかにされている。
    発掘調査で出土した遺物の中には、瓦類や土器などがあるが、瓦類は常陸国分寺跡出土のものと同形のものが
   多い。
    また、土器の中では「法華」の墨書銘のある土師器が出土しており、法華滅罰之寺を証明する資料となってい
   る。
                       昭和六十年一月      石岡市教育委員会
                                    石岡市文化財保護審議会
   (瓦制作地は、ここから北北西約9kmの瓦遺跡等と思われます・このブログの2月13日をご覧ください)


説明版の図面部分です、説明版の建っている所が中門の前です

金堂基壇です

基壇の上には、大きな桜の木があります

北側の講堂基壇です

金堂の南側小学校の建物の傍に南大門が有ったようです

では、次へ行きましょう
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