ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県常総市、弘経寺来迎杉と千姫の墓です!!

2015-09-13 08:52:46 | 巨樹・大木
弘経寺は、常総市役所の北西約3kmのところ

鬼怒川右岸の自然堤防上に在ります

水海道有料道路の北側にあたります

弘経寺入口西側に駐車場が有ります



大本山増上寺別院寿亀山 弘経寺です


弘経寺入口です

説明版が駐車場入口近くにあります
    弘経寺(ぐぎょうじ)
   寿亀山天樹院弘経寺は、応永21年(1414)嘆誉良肇上人によって開基されて浄土宗の寺である。
   良肇上人は、増上寺開山聖聡上人(横曽根法性寺開山で浄土宗第七祖の聖冏上人の高弟)の法弟で、修学の
  のち当所に立ち帰り、近郷の豪族羽生一族と語らい弘経寺を創建した。
   九世存把上人のときに天正の兵火(北条氏と下妻多賀谷氏との戦火)にあって堂宇はことごとく焼失。存把
  上人は寺宝を携えて結城へ去り、十世了学上人が再興するまで無住時代がつ続いた。
   了学上人は徳川家康、秀忠、家光の三代にわたって厚遇された高僧で、特に家康の孫娘である千姫は上人に
  深く帰依し、弘経寺を菩提寺と定めてことから、徳川家から本堂、鐘楼、中門等の再建に莫大な寄進につなが
  った。寺運はさらに隆盛し、浄土教団統制と僧侶養成の中心的な役割を果たした「関東十八壇林」の一つに数
  えられる巨刹となった。
   弘経寺の再建・修復工事は、寛永年間十世了学上人から十一世雪念上人の二代にわたる大工事であったとい
  われ、当寺徳川幕府の要職にあった古河藩主・老中土井利勝が普請奉行を勤めている。
   明治39年(1906)失火によって大方丈・庫裏等が焼失した。
   本堂は桁行十一間、梁間八間、入母屋造りの建物で、内陣は江戸初期の寺院建築の粋を極め、豪華な仏具、
  釘隠など金具・調度品の隅々にいたるまで徳川幕府の威光が感じられる。昭和58年水海道市指定文化財に指
  定された。その他「鐘楼」「山門」「経蔵(八角輪蔵)」等の建造物、絵画「千姫姿絵」、彫刻「金銅阿弥陀
  如来立像」、工芸品「紫龍石の硯」「弘経寺扁額」「具足(甲冑)」書籍「浄土三部経(指定名・紺紙金泥阿
  弥陀経)」、史蹟「千姫墓」、天然記念物「弘経寺の杉(来迎杉)」などが市の指定文化財となっている。
   弘経寺は、建造物や寺宝あるいは境内の佇まいとが相まって、今なお「関東十八壇林」の荘厳さを残す寺で
  ある。                       常総市観光物産協会
                            常総市教育委員会

左上の絵図です

文化財案内板です



境内に御堂が並びます

手水(洗心)です


本堂です、三つ葉葵の紋が有ります



来迎杉です

根元は柵で守られています


目通り7.2mの巨木です


銀杏の大木もあります

本堂西側の石塔です


千姫墓所です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする