優婆堂は、阿賀野市役所の東約5kmのところ
ラムサール条約の瓢湖から県道271号線を東へ
五頭温泉郷手前の真光寺山南面麓、県道沿いに在ります
御堂前に
駐車スペースが有ります

優婆尊の御堂です

説明版です
優婆尊縁起
聖武天皇の御代、天平五年鶏の年(約1270年前)僧、行基(菩薩)が、越後の国に巡回の折り
出湯村に滞在され、村人が山の中に奇異なところがあることを、僧、行基に告げ、祈祷されたところ
霊木であることを悟られ、いかなる仏像を彫刻しょうと思慮された時、 かに山鳴り、谷こたえて天
地振動する思いの霊感をうけられ我は、三途の川辺りに住む懸衣姥なり、我は表に極悪念恕の相を現
しているが、内には慈恩大悲の涙を流し罪に苦しむ大衆を救わんが為、僧よ我が行像を刻んで縁を衆
生に結ぶようにと言われて形を変えられたので、僧、行基は毘盧舎那仏の化身と思って、直ちに霊木
を伐ってその尊像を彫刻したと伝えられている。
その後、天正の十四年(約四百年前)華報寺住職八代和尚が夢を見られ、和尚に(我を十字街に安
置せよ、されば多くの人々を救うであろう)と告げられたので、和尚現在地にお堂を建立し安置した
ものである、そこで和尚は、次郎丸に高徳寺を開いてこのお堂の守護所にしたと伝えられている。
この仏は、無住の仏といって、六分に身を変えて無縁の衆を救い、あるいは医師の身をやつして苦
難の産婦を救うなど霊験浅くないといわれ、広く尊信を集めている、縁日は毎月十九日、二十日の両
日で、当日は参詣者で特に賑わっている。現在のお堂は、いまから280年前に建立されたものであ
ある。
平成14年 建 笹神村教育委員会
守護所 高徳寺

御堂の鰐口です

境内の不動尊です


入口の左手に大杉が有ります



北東側から、二本に幹が分かれています



東側の大杉です、こちらも幹が二本に分かれています
では、次へ行きましょう

ラムサール条約の瓢湖から県道271号線を東へ
五頭温泉郷手前の真光寺山南面麓、県道沿いに在ります
御堂前に


優婆尊の御堂です


説明版です
優婆尊縁起
聖武天皇の御代、天平五年鶏の年(約1270年前)僧、行基(菩薩)が、越後の国に巡回の折り
出湯村に滞在され、村人が山の中に奇異なところがあることを、僧、行基に告げ、祈祷されたところ
霊木であることを悟られ、いかなる仏像を彫刻しょうと思慮された時、 かに山鳴り、谷こたえて天
地振動する思いの霊感をうけられ我は、三途の川辺りに住む懸衣姥なり、我は表に極悪念恕の相を現
しているが、内には慈恩大悲の涙を流し罪に苦しむ大衆を救わんが為、僧よ我が行像を刻んで縁を衆
生に結ぶようにと言われて形を変えられたので、僧、行基は毘盧舎那仏の化身と思って、直ちに霊木
を伐ってその尊像を彫刻したと伝えられている。
その後、天正の十四年(約四百年前)華報寺住職八代和尚が夢を見られ、和尚に(我を十字街に安
置せよ、されば多くの人々を救うであろう)と告げられたので、和尚現在地にお堂を建立し安置した
ものである、そこで和尚は、次郎丸に高徳寺を開いてこのお堂の守護所にしたと伝えられている。
この仏は、無住の仏といって、六分に身を変えて無縁の衆を救い、あるいは医師の身をやつして苦
難の産婦を救うなど霊験浅くないといわれ、広く尊信を集めている、縁日は毎月十九日、二十日の両
日で、当日は参詣者で特に賑わっている。現在のお堂は、いまから280年前に建立されたものであ
ある。
平成14年 建 笹神村教育委員会
守護所 高徳寺

御堂の鰐口です


境内の不動尊です



入口の左手に大杉が有ります




北東側から、二本に幹が分かれています




東側の大杉です、こちらも幹が二本に分かれています

では、次へ行きましょう

