ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県邑楽町、中野城跡と神光寺の大カヤです!!

2015-09-30 04:36:58 | 城跡・館跡・陣屋跡
神光寺はオオランチ役場の北約2kmのところ

県道20号線の西側に在ります

保育園の北側を入った所に駐車場が有ります



神光寺です

お地蔵様がいらっしゃいます

山門前に中野城跡の説明版があります
      中野城跡  
        住所 邑楽町大字中野字元宿地内
       中野城は鎌倉中期の文永二年(1265)新田義重の子孫、中野景継ぐによって築城され以後同氏
      の居城となた、景継ぐの子内藤左衛門が延元三年(1338)越前国(福井県)藤島において、主君
      新田義貞とともに戦死したため、築城後73年にして廃城となった。
       戦国時代の永禄年間(1558~70)小泉城主富岡氏は以下の宝田和泉守は、中野氏の古城を修
      築本拠としたが、天正十八年(1590)廃城となった、遺構は寺院境内地を含めて、東西110m
      南北140mに及ぶといわれ、わずかに南面に塁濠跡を確認でき、その規模から中世の館跡とも考え
      られる。
        昭和五十九年三月                       邑楽町教育委員会


山門です

六地蔵様です

鐘楼です

本堂です

山門脇に大カヤが有ります

群馬県指定天然記念物 神光寺野大カヤの石碑です

説明版です
      県指定天然記念物
        神光寺の大カヤ
          指 定 昭和五十四年十月二日
          所在地 邑楽郡邑楽町大字中野3015番地
       文永二年(1265)、新田氏の一族である大島時継の次男景継が、この地に中野館を構築した。
      その中野館の名残がこの大カヤであるといわれる。
       中野館は戦国時代、中野城に改修されたが、天正十八年(1590)、豊臣秀吉の関東平定によっ
      て廃城となった。
       江戸時代に入って寛永二年(1625)、前原にあった中野山善正寺を中野城の本丸跡に写したの
      が現在の神光寺である。
       このカヤは推定樹齢約770年、樹高21m、根回り15m、目通り5.6m、枝張り東西20m
      南北23mあり、地上6mのところで、20枝に分かれている。
       長年歴史の風説に耐えた樹容は壮観であり、邑楽地方における代表的な巨木であるだけでなく、県
      下においても有数な巨木に数えられる。
         平成二十六年三月                 群馬県教育委員会
                                  邑楽町教育委員会


西側から




南西側から

カヤの実が落ちています

南側の堀跡と思われる部分です

では、次へ行きましょう
コメント
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