石下稲荷神社は、常総市役所から北へ約12kmのところ
関東鉄道常総線いしげ駅の直ぐ西側にあります
鬼怒川左岸沿いに県道357号線を北へ
県道24号線を越えて間もなく
駅入口信号の手前を東へ入ると
西向きに鳥居が有ります、鳥居前に駐車スペースが有ります
鳥居の後ろに大欅が有ります
説明版です
1、名称 稲荷神社の大ケヤキ
2、住所 常総市新石下222番地
3、特徴 幹の太さ(目通り)6.2m石下町内最大の巨樹である。
稲荷神社の神木的存在である。
根本の内部は殆んど空洞化している。
推定樹齢500年
4、由来 稲荷神社一帯は、陣屋敷の地名であり、昔、陣屋が置かれていたとの伝えがある、この大けやきは
その以前からあったと言われている、なお、この地は砂丘であり、前方が川であったとの伝えからも
重要な所であったらしい。
常総市教育委員会
根元は、簡単な柵で守られています
拝殿前から
北東側から、幹に穴があいています
直ぐ東側にも大きなケヤキが有ります
大ケヤキの半分くらいでしょうか
手水舎です
拝殿です
稲荷神社再建記念碑です
石下稲荷神社由来記
稲荷とは「稲生り」の意で、豊かな生産と繁栄を祈る神社でありす。
当稲荷神社は、豊田郡新石下村の総鎮守として延享二年(1745年)三月に創建され、豊受大神宮の
分霊を勧進して豊受神社と称しておりましたが、天保十二年(1841年)9月10日に名主小口氏が、
新田開発を記念して石下稲荷神社と改称して現在に至っております。
祭神は宇迦之御魂神(倉稲魂神)と申し、五穀豊穣、商売繁盛、厄除開運の神として崇敬篤く、戦前は
「石下の初午祭」として盛大に祭事が行われ、近郷近在の善男善女の参詣で賑わったのであります。初午
とは、二月初めての午の日に、春の農亊の先駆けて豊作を祈念する祭典であります。
当社には、神明神社、八坂神社、天満社、側鷹八幡神社、琴平神社、蔵王神社が摂社として祀られてお
ります。
なお、記録によると、当社の傍らに「持福院」というお寺がありました。
正一位 石毛稲荷大明神
では、次へ行きましょう
関東鉄道常総線いしげ駅の直ぐ西側にあります
鬼怒川左岸沿いに県道357号線を北へ
県道24号線を越えて間もなく
駅入口信号の手前を東へ入ると
西向きに鳥居が有ります、鳥居前に駐車スペースが有ります
鳥居の後ろに大欅が有ります
説明版です
1、名称 稲荷神社の大ケヤキ
2、住所 常総市新石下222番地
3、特徴 幹の太さ(目通り)6.2m石下町内最大の巨樹である。
稲荷神社の神木的存在である。
根本の内部は殆んど空洞化している。
推定樹齢500年
4、由来 稲荷神社一帯は、陣屋敷の地名であり、昔、陣屋が置かれていたとの伝えがある、この大けやきは
その以前からあったと言われている、なお、この地は砂丘であり、前方が川であったとの伝えからも
重要な所であったらしい。
常総市教育委員会
根元は、簡単な柵で守られています
拝殿前から
北東側から、幹に穴があいています
直ぐ東側にも大きなケヤキが有ります
大ケヤキの半分くらいでしょうか
手水舎です
拝殿です
稲荷神社再建記念碑です
石下稲荷神社由来記
稲荷とは「稲生り」の意で、豊かな生産と繁栄を祈る神社でありす。
当稲荷神社は、豊田郡新石下村の総鎮守として延享二年(1745年)三月に創建され、豊受大神宮の
分霊を勧進して豊受神社と称しておりましたが、天保十二年(1841年)9月10日に名主小口氏が、
新田開発を記念して石下稲荷神社と改称して現在に至っております。
祭神は宇迦之御魂神(倉稲魂神)と申し、五穀豊穣、商売繁盛、厄除開運の神として崇敬篤く、戦前は
「石下の初午祭」として盛大に祭事が行われ、近郷近在の善男善女の参詣で賑わったのであります。初午
とは、二月初めての午の日に、春の農亊の先駆けて豊作を祈念する祭典であります。
当社には、神明神社、八坂神社、天満社、側鷹八幡神社、琴平神社、蔵王神社が摂社として祀られてお
ります。
なお、記録によると、当社の傍らに「持福院」というお寺がありました。
正一位 石毛稲荷大明神
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