ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県長岡市、静御前の墓です!!

2016-06-16 09:49:55 | 遺跡・史跡
静御前の墓は、長岡市役所の東約16kmのところ、かつての栃尾市です

国道351号線を東へ新榎トンネル(390m)を越えると栃尾です

道の駅R290とちおの所で、国道290号線を南へ

1、5kmほどの所で県道347号線に入ると間もなく左側斜めに登る道路があります

大きな案内板が有りますが、登る道路は少し手前です(墓へ案内板の真上)

斜面を登ると左側に駐車スペースが有ります、反対側に

案内板が有ります
                                                   
ここが静御前の墓苑です

こちらが静御前の墓です

説明版です

   栃尾の源氏ゆかりの史跡
     静御前の墓        栃堀区
    京都の白拍子(しらびょうし・当時、歌や舞を舞うことを職業にしていた女性)だった静御前
   (しずかごぜん)は源義経に見初められて、その愛妾になります。
    やがて、義経は兄の頼朝の怒りをかって追われる身となり、東北の平泉へ藤原氏を頼って落ち
   て行きます。
    静は吉野山で捕らえられ、鎌倉の頼朝の前で義経を思う舞を舞います。その後、釈放された静
   は平泉にいる義経を追って、ここ栃堀の地へ辿り着きました。
    栃堀から山脈を越えて会津へ出、はるかな平泉をあすつもりでした。ところが、長旅の疲れか
   ら静は床に伏せ、二人の従者の看病のかいもなく栃堀で果てたとさrています。従者たちは里人
   の力を借りて静の遺骸をこの地に埋葬し、その麓に庵を立てて静の霊を守ったと伝えられていま
   す。
    静の戒名は「源貞院殿松寿妙栄大姉」とさえています。

                                     長岡市栃尾
   

こちらは供養塔です

供養塔説明版です
   栃尾の史跡巡りコース
     静御前の供養塔      栃堀区
    この石塔は、明治時代の末期、刈谷田川の対岸の小向(こむかい)村に住んでいた福王寺(ふく
    おうじ)セイという16歳の娘が、静御前の墓の痛みが進むことを悲しみ、自ら織物を織って稼
    いだお金で静御前の墓を建て直そうと決意したことに起因して建てられたものです。しかし、一
    心不乱に織物を織り始めたセイは、それから二年後18歳の若さで病没してしまいました。
     セイの父親である長右衛門は、セイの志を継ぎ、周囲の人たちの協力を得てこの石塔を建立し
    ました。
     この石塔は、静御前と福王寺セイを共に弔うために建てられた供養塔です。
                                      長岡市栃尾




東側には新しいレリーフの供養塔もあります

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