諏訪神社は、下仁田町役場の西約1kmのところ
国道254号線を西へ、南牧村への入口、下二田信号を南へ入って
100m程の所を右へ曲がると諏訪神社参道に成っています
神社東側に大きな駐車場が有りますが、道路部分に止めさせていただきました
諏訪神社です
鳥居です
手水舎です
拝殿です
本殿です
彫刻の説明版です
下仁田町指定重要文化財
諏訪神社の彫刻
諏訪神社拝殿の外観は、入母屋造りで向拝部は唐破風となっており、正面に千鳥破風がついている。
本殿は一間社流造りで、拝殿との間は廂で繋がっており、拝殿、本殿の壁面や虹梁は彫刻でうめられて
いる。
建築に関する文献や棟札は無くなっているが、本殿は天保8年(1837年)信州諏訪市の矢崎善司
が棟梁となり建築された。
拝殿については弘化3年(1846年)やはり大隈流の矢崎房乃進昭房による建築です。
本殿建築の棟梁となった矢崎善司の師匠は、「諏訪大社下社春宮幣拝殿(国重要文化財)」を建築し
た柴宮長左衛門という大隈流の名匠である。
彫刻と建築が一体化されており、特に彫刻がすばらしく、彫刻師の苦心のほどが忍ばれる大隈流の技
を伝える傑作である。諏訪神社の境内にある「近戸神社」は、天保5年(1834年)に再建された
歴史ある社殿であり、やはり大隈流の建築である。
下仁田町教育委員会
こちらは近戸神社のようです
大ケヤキです
下仁田観光名木10選です
通称 諏訪神社のケヤキ
樹齢 推定600年
樹高 31m
幹周 5.35m
下仁田町大字下仁田319番地
推定樹齢600年のこのケヤキは、諏訪神社の御神木として下仁田町の歴史や人々のくらしを静かに
見つめて来た。
根は境内に広く張り、幹は風雪に耐え、葉は四季の彩りをかなで、その堂々たる姿は神社のシンボル
として人々に親しまれている。
下仁田町観光名木10選は、2000年度に下仁田町観光協会が、地域で親しまれ、先人が守り育ててきた
名木で樹齢・樹高・幹周が立派な樹木10本(群)を名木に選定し、広く紹介するとともに後世に守り育て
ていかれることを願って選定したものです。 2000年指定 下仁田町観光協会
諏訪神社の大欅瑾詠石碑です
近戸神社正面の石段下から
南東側から
では、次へ行きましょう
国道254号線を西へ、南牧村への入口、下二田信号を南へ入って
100m程の所を右へ曲がると諏訪神社参道に成っています
神社東側に大きな駐車場が有りますが、道路部分に止めさせていただきました
諏訪神社です
鳥居です
手水舎です
拝殿です
本殿です
彫刻の説明版です
下仁田町指定重要文化財
諏訪神社の彫刻
諏訪神社拝殿の外観は、入母屋造りで向拝部は唐破風となっており、正面に千鳥破風がついている。
本殿は一間社流造りで、拝殿との間は廂で繋がっており、拝殿、本殿の壁面や虹梁は彫刻でうめられて
いる。
建築に関する文献や棟札は無くなっているが、本殿は天保8年(1837年)信州諏訪市の矢崎善司
が棟梁となり建築された。
拝殿については弘化3年(1846年)やはり大隈流の矢崎房乃進昭房による建築です。
本殿建築の棟梁となった矢崎善司の師匠は、「諏訪大社下社春宮幣拝殿(国重要文化財)」を建築し
た柴宮長左衛門という大隈流の名匠である。
彫刻と建築が一体化されており、特に彫刻がすばらしく、彫刻師の苦心のほどが忍ばれる大隈流の技
を伝える傑作である。諏訪神社の境内にある「近戸神社」は、天保5年(1834年)に再建された
歴史ある社殿であり、やはり大隈流の建築である。
下仁田町教育委員会
こちらは近戸神社のようです
大ケヤキです
下仁田観光名木10選です
通称 諏訪神社のケヤキ
樹齢 推定600年
樹高 31m
幹周 5.35m
下仁田町大字下仁田319番地
推定樹齢600年のこのケヤキは、諏訪神社の御神木として下仁田町の歴史や人々のくらしを静かに
見つめて来た。
根は境内に広く張り、幹は風雪に耐え、葉は四季の彩りをかなで、その堂々たる姿は神社のシンボル
として人々に親しまれている。
下仁田町観光名木10選は、2000年度に下仁田町観光協会が、地域で親しまれ、先人が守り育ててきた
名木で樹齢・樹高・幹周が立派な樹木10本(群)を名木に選定し、広く紹介するとともに後世に守り育て
ていかれることを願って選定したものです。 2000年指定 下仁田町観光協会
諏訪神社の大欅瑾詠石碑です
近戸神社正面の石段下から
南東側から
では、次へ行きましょう